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訴状読む~共同親権研究会 #親権

10月24日の共同親権研究会は,ガチなRKゼミ

学びになりました~的なほんわかな時間は期待できないかもしれない

はるばる東京の果ての単線しかない田舎駅までやってきて,ほんわかしたければ,北上して,多摩湖のほとりをさんぽした方がきっといい

南下した,事務所では,自分語りの暇もなく,専門用語も遠慮なく飛び交う時間となるだろう

受験生が,それによって合格する実力を身につけられるのであれば,「ゼミ」に参加することは有意義だろう

だが,そんな期待もな一切ない,ただ,訴状を読んでみようという私のモチベに付き合うためだけの時間である

自己紹介くらいはするかもしれないけど,どこから来たのか,あと呼び名だけで,当事者か否かすら問われない(それにより,当事者以外が来ることを歓迎したい・・・がすでにキャンセル待ちの満席御礼である)

リプロダクティブ権なる単語に出会った続きを進めていく

5 親権及び監護権について

(1) 親の子に対する親権及び監護権は,憲法13条(幸福追求権,人格権)及び憲法24条1項により保障されている基本的人権である。

親権・監護権は,人権であると斬り込んでいく

ただ,憲法の人権カタログには明記されていないから,ここの論証は丁寧にする必要がある・・・さて?

(2) 外国法において親の子に対する親権及び監護権が基本的人権として保障されていることについて
ア 例えばドイツ憲法6条(婚姻,家族,母および子の保護)(2)は,「子どもの育成および教育は,両親の自然的権利であり,かつ,何よりもまず両親に課せられている義務である。」と規定している(甲1号証178頁)。
同規定において,「子どもの育成および教育は,両親の自然的権利であり」と規定している趣旨は,子どもの育成及び教育がいわゆる自然権(自然的権利)であること,それは国家により与えられた権利ではなく,憲法により与えられた権利でもなく,人が人として生まれたことで当然に有している権利であることを確認したことを意味している。
とすると,「子どもの育成および教育」が自然権(自然的権利)である以上,ドイツ憲法だけでなく,日本国憲法においても,親の子に対する親権及び監護権が基本的人権として保障されることは明白である。
イ また,イタリア共和国憲法30条(子どもに対する両親の権利および義務,嫡出でない子の保護)1項は,「子どもを養育し,訓育し,教育することは,その子どもが婚姻外で生まれたものであっても,両親の義務であり,権利である。」と規定している(甲2号証141-142頁)。
このイタリア共和国憲法30条1項も,ドイツ憲法6条(2)と同様に,「子どもを育て,教育し,しつけること」を自然権(自然的権利)として保障するものである。そうであれば,それが自然権(自然的権利)である以上,イタリア共和国憲法だけでなく,日本国憲法においても,親の子に対する親権及び監護権が基本的人権として保障されることは明白である。
ウ 加えると,ポルトガル憲法の36条(家族,婚姻及び親子関係)5項は,「親は,子の教育及び扶養の権利及び義務を有する。」と規定している(甲 3号証37頁)。
このポルトガル憲法36条5項も,ドイツ憲法6条(2)などと同様に,「親が,子の教育及び扶養を行うこと」を自然権(自然的権利)として保障するものである。そうであれば,それが自然権(自然的権利)である以上,ポルトガル憲法だけでなく,日本国憲法においても,親の子に対する親権及び監護権が基本的人権として保障されることは明白である。
エ さらに,ロシア連邦憲法の38条(家族の保護)2項は,「子どもに対する配慮およびその養育は,親の平等な権利および義務である。」と規定している(甲4号証340頁)。
このロシア連邦憲法の38条2項も,ドイツ憲法6条(2)などと同様に,「子どもに対する配慮およびその養育」を自然権(自然的権利)として保障するものである。そうであれば,それが自然権(自然的権利)である以上,ロシア連邦憲法だけでなく,日本国憲法においても,親の子に対する親権及び監護権が基本的人権として保障されることは明白である。
オ 付言すると,アメリカにおいては,「親の自己の子どもの教育を管理する権力」「人が婚姻し,家庭を設け,子どもを養育すること」は国家に対し主張する権利として判例法により形成され,憲法上保障される基本的人権として確立している(甲5号証569-570頁)。
従来アメリカ国家は,国家の目指す国民を作るために家族を支配したがっていた。1920年前後,学校で英語以外の言語を学習することを禁止する法律や,公立学校以外の私立学校への通学を禁止する義務教育法を州は制定した。そしてこれらの立法が違憲であるとして争われた連邦最高裁判例 Meyer v. Nebraska, 262 U.S.390 (1923)において裁判所は,人が婚姻し,家庭をもうけ,子どもを養育することは連邦憲法第14修正の自由にあたり,親には自己の子どもの教育を管理する権力があることを認めたのである(甲5号証569頁)。
参照:アメリカ合衆国連邦憲法第14修正第1節「合衆国において出生しまたは帰化し,その管轄権に服するすべての人は,合衆国およびその居住する州の市民である。いかなる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定しまたは執行してはならない。いかなる州も法の適正な過程(due process of law)によらずに,何人からも生命,自由または財産を奪ってはならない。また,その管轄内にある何人に対しても法の平等な保護を拒んではならない。」(甲6号証88頁)
このように,アメリカの判例法においても,親の子に対する権利(親の自己の子どもの教育を管理する権力,人が婚姻し,家庭を設け,子どもを養育すること)は,ドイツ憲法6条(2)などと同様の自然権(自然的権利)であるとされていることが分かる。それは国家により与えられた権利ではなく,憲法により与えられた権利でもなく,人が人として生まれたことで当然に有している権利であることを確認したものであることを意味している。
とすると,それが自然権(自然的権利)である以上,日本国憲法においても,親の子に対する親権及び監護権が基本的人権として保障されることは明白である。

ドイツ,イタリア,ポルトガル,ロシアの各,そしてアメリカの判例法により,親が子を養育することが自然権であると明記されていることを指摘していく

諸外国で人権として保障されていることが日本においても通用することを結び付けていく

カ 最高裁判所大法廷平成27年(2015年)12月16日判決(女性の再婚禁止期間違憲訴訟)は,女性の再婚禁止期間の旧規定の内,100日を超える部分を違憲とした理由に外国法を引用した上で,次のように判示している。それは,外国法の存在が,日本国憲法の解釈に意味を与える立法事実であることを示している。
「また,かつては再婚禁止期間を定めていた諸外国が徐々にこれを廃止する立法をする傾向にあり,ドイツにおいては1998年(平成10年)施行の「親子法改革法」により,フランスにおいては2005年(平成17年)施行の「離婚に関する2004年5月26日の法律」により,いずれも再婚禁止期間の制度を廃止するに至っており,世界的には再婚禁止期間を設けない国が多くなっていることも公知の事実である。それぞれの国において婚姻の解消や父子関係の確定等に係る制度が異なるものである以上,その一部である再婚禁止期間に係る諸外国の立法の動向は,我が国における再婚禁止期間の制度の評価に直ちに影響を及ぼすものとはいえないが,再婚をすることについての制約をできる限り少なくするという要請が高まっていることを示す事情の一つとなり得るものである。」
(3) 上で述べた諸外国と同様に,日本国憲法においても親の子に対する親権及び監護権が基本的人権として保障されていることは,以下で述べることから明らかである。
ア 親子の自然的関係を論じた最高裁大法廷昭和51年5月21日判決(旭川学テ判決)が「子どもの教育は,子どもが将来一人前の大人となり,共同社会の一員としてその中で生活し,自己の人格を完成,実現していく基礎となる能力を身につけるために必要不可欠な営みであり,それはまた,共同社会の存続と発展のためにも欠くことのできないものである。この子どもの教育は,その最も始源的かつ基本的な形態としては,親が子との自然的関係に基づいて子に対して行う養育,監護の作用の一環としてあらわれるのである」と判示したことからしても,親の未成年者子に対する親権及び監護権は,憲法が保障する基本的人権であることは明らかである。
その判示内容は,子の成長と養育に関わる親の子に対する親権及び監護権が,憲法13条の幸福追求権の一内容として保障されており,またそれは憲法13条により保障されている人格権の一内容を構成すると解釈する立場であることは明白である。
この点につき,大森貴弘「翻訳:ドイツ連邦憲法裁判所の離婚後単独親権違憲判決」常葉大学教育学部紀要<報告>425頁(甲7)においても,「諸外国に目を転じると,ドイツでは子を育成する親の権利は自然権とされ,憲法でも明文化されており,アメリカでは平等原則と適正手続により親の権利が人権として認められている。日本国憲法には親の権利についての明文の規定はないが,親子の自然的関係を論じた最高裁判決(旭川学テ判決)が存在していることや人権の普遍性等を根拠として,憲法上認められうると解される。」と指摘されている。その指摘からしても,親の未成年者子に対する親権及び監護権は,憲法が保障する基本的人権であることは明らかである。その記載内容は,子の成長と養育に関わる親の子に対する親権及び監護権が,憲法13条の幸福追求権の一内容として保障されており,またそれは憲法13条により保障されている人格権の一内容を構成すると解釈する立場である
ことは明白である。
イ また,東京高等裁判所昭和30年9月6日決定は,「<要旨>元来親権は,血縁関係(養親子にあつては血縁関係が擬制されている)に基く親の子を養育するという人類の本能的生活関係を社会規範として承認し,これを法律関係として保護することを本質とするものである。」と判示している。その判示内容は,子の成長と養育に関わる親の子に対する親権及び監護権が,憲法13条の幸福追求権の一内容として保障されており,またそれは憲法13条により保障されている人格権の一内容を構成すると解釈する立場であることは明白である。
ウ さらに,上でも引用した仙台地裁令和元年5月28日判決において,以下の判示がされている。
「人が幸福を追求しようとする権利の重みは,たとえその者が心身にいかなる障がいを背負う場合であっても何ら変わるものではない。子を産み育てるかどうかを意思決定する権利(リプロダクティブ権)は,これを希望する者にとって幸福の源泉となり得ることなどに鑑みると,人格的生存の根源に関わるものであり,上記の幸福追求権を保障する憲法13条の法意に照らし,人格権の一内容を構成する権利として尊重されるべきである。」
「そして,憲法13条は,国民一人ひとりが幸福を追求し,その生きがいが最大限尊重されることによって,それぞれが人格的に生存できることを保障しているところ,前記のとおり,リプロダクティブ権は,子を産み育てることを希望する者にとって幸福の源泉となり得ることなどに鑑みると,人格的生存の根源に関わるものであり,憲法上保障される個人の基本的権利である。それにもかかわらず,旧優生保護法に基づく不妊手術は,不良な子孫の出生を防止するなどという不合理な理由により,子を望む者にとっての幸福を一方的に奪うものである。本件優生手術を受けた者は,もはやその幸福を追求する可能性を奪われて生きがいを失い,一生涯にわたり救いなく心身ともに苦痛を被り続けるのであるから,その権利侵害の程度は,極めて甚大である。そうすると,リプロダクティブ権を侵害された者については,憲法13条の法意に照らし,その侵害に基づく損害賠償請求権を行使する機会を確
保する必要性が極めて高いものと認められる。」
このように,仙台地裁令和元年5月28日判決は,「子を産み育てるかどうかを意思決定する権利(リプロダクティブ権)は,これを希望する者にとって幸福の源泉となり得ることなどに鑑みると,人格的生存の根源に関わるものであり,上記の幸福追求権を保障する憲法13条の法意に照らし,人格権の一内容を構成する権利として尊重されるべきである。」と判示しているのであるから,子を産み育てること,さらには子の成長と養育に関わることである親の子に対する親権及び監護権も,やはり幸福追求権を保障する憲法13条により保障されており,またそれは憲法13条により保障されている人格権の一内容を構成すると解釈されるべきことは,明白なのである。
エ なお,文部科学省のHPでは,教育基本法第4条(第4条(義務教育)第1条国民は,その保護する子女に,九年の普通教育を受けさせる義務を負う。第2条 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については,授業料は,これを徴収しない。)の「義務を負う」の解説において,「親には,憲法以前の自然権として親の教育権(教育の自由)が存在すると考えられているが,この義務教育は,国家的必要性とともに,このような親の教育権を補完し,また制限するものとして存在している。」と解説されている(甲8)。そこで「親には,憲法以前の自然権としての親の教育権(教育の自由)が存在すると考えられている」と指摘されていることは,日本国憲法においても,親の子に対する親権は憲法が保障する基本的人権であることを,国自身が認めていることを意味している。そしてその記載内容により,子の成長と養育に関わる親の子に対する親権及び監護権が,憲法13条の幸福追求権の一内容として保障されており,またそれは憲法13条により保障されている人格権の一内容を構成すると解釈する立場であることは明白である。
オ 付言すると,『新版注釈民法(25)』(有斐閣,改訂版,2004年)(甲9)には,以下の記載が明記されている。その内容からすると,親の子に対する親権及び監護権が自然権(自然的権利)であり,日本国憲法においても基本的人権として保障されていることは明白である。
①69頁の「820条 Ⅲ 監護教育の程度方法(1)」の箇所
「ただ,親権者の監護教育権は,子供の監護教育を受ける基本的人権に対応しつつ,親が子に対して有する前国家的・始原的な自然権であると見られるけれども(→Ⅴ)」
②76頁の「820条 Ⅴ 監護教育権の性質(1)(ア)」の箇所
「ドイツ連邦共和国基本法6条2項は「子供の育成および教育は,両親の自然の権利であり,かつ,何よりもまず両親に課せられている義務である。その実行に対しては,国家共同社会がこれを監視する」と規定しているが,親が親権者としてその子に対し有する監護教育権は,民法などによって創設されるものとしてよりも前国家的・始原的な自然権に由来するものと見てよく(教育権につき,田中耕太郎・教育基本法の理論[昭36]154),民法は私法上の立場においてこの権利を宣言しているものと見てよいであろう。」
カ 婚姻の自由を憲法24条1項から導き出した最高裁大法廷平成27年12月16日判決(平成25年(オ)第1079号,女性の再婚禁止期間違憲訴訟)の立場からすると,憲法24条が人権条項であることは明白である。また,憲法24条1項は「婚姻は,両性の合意のみに基づいて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。」と規定しており,親の子に対する愛情や,親が子の成長と養育に関わることで感じる幸福が両親について平等なものである以上,親の子に対する親権及び監護権は,憲法24条1項においても,基本的人権として保障されていることは明白である。
(4) そして原告らは,配偶者に子を連れ去られたことで,基本的人権である親権及び監護権を侵害されたことは明白である。

親権及び監護権は,憲法以下で付与されるものではなく,前国家的・始原的な自然権であり,人権として保障される

当たり前のことのように感じられることを表現することは実は難しい

諸外国の憲法資料にも目を配り,日本国内の判例や文献からも収集しながら,人権性を論証しているのである

その作業量には頭が下がるm(__)m   つづく

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