キライが止まらない
おおみそか
令和元年が終わる
最後は、家族の時間を堪能し、良い年を迎える支度を完了するはずだった
が
旅行中も、ずっとモヤモヤが尽きない
波はあっても消えない感情
息子のことがキライだ
わが子を愛せない想い(瞬間)にかられるママたちの悩み(愛したいし愛しているのに、瞬間的にはありうるよね)にも触れる機会があったおかげで、子育ての実践の場で起こり得ることだということは想像する、自分を慰めて、改めて愛せる感情を取り戻したい
そうすればよい
だが、離婚後子育てになると、一筋縄ではいかない
今年は、取材された記事が公開された
自己紹介動画で、進化を果たすプライベートについても言及している
私は、とても幸せに過ごしている
12年前、ロースクールに通いながらのマタニティライフ前半こそ夢に挑戦する意欲にあふれる日々から、年明け、2008年は、大切なわが子が無事に誕生し、それはそれは幸せ一色のはずであったが、その前後から不穏が生じ、いつまでも解決しないループにはまり、終わらそうにも、また、再燃、長く苦しい連続の日々だった。ジェットコースターのように感情の起伏が激しく、司法試験受験を目指す日々なのに、荒れていた
その辺のことを、先日、家庭裁判所調査官調査で3時間半にわたって語ることがあり、今も鮮明に刻まれているのだと振り返る
ほんとうに。いろいろなことがあった。あえて、述べなかったこともある。
調査官調査が行われたのは、私が監護親として申立てをしている息子と別居親との面会交流に関する事件のために、だ。
5年前の養育費請求調停事件の際、養育費だけではなく、面会交流を月1回、父子間で連絡をとって実施するという取り決めがあった。父母同士は緊急時を除いて連絡をしないことも取り決めている。
りむすびさんにインタビューされた記事で言及しているエア共同養育は、実は、公的な取り決めで裏付けられるものであった。
父母間の連絡はないが、面会交流は小学生になった子どもと父のやりとりで実現できると、同居親としては負担がないことがおすすめだ。
が、これが、別居親の都合による、面会交流の不履行が、2018年より続いていた。
2019年は、その改善に向けた調停通いの1年であった。
息子は、父親にもっと会いたいと求めているが、月1の取り決めを変える必要はないというのが回答であった。それならそれで、月1の実施を厳守することがせめてもの最低限の望みだが、その答えについては曖昧だ。
約束できる日は直前にならないとわからないこと、仕事や家庭の都合があること、結果として会えないこともあること、というから、何とも無責任な話だ。
面会交流の原則実施日を固定する手法はとれないという。
そういうことをしている内に、12月は2回延期された。
11月はなし崩しで不履行。
その反省かのように12月1日(日)に当初提案があったが、直前にダメになったという一方的な連絡だけで不履行。
ここは寛容に受け止めた。
代替日が12月21日だったが、20日なって、次のような連絡があったことをその夜気づく。またしても、メールで一方的だ。
21じゃなくて22日はだいじょうぶ?
前後を切り落として抽出しているのではなく、本当に、こういう類の連絡が、一方的に届く。
だいじょうぶじゃなかったらどうなるのか? と回答してみた。
結果、とりあえず、21日(土)に会えないことは確定していたようだった。
メール1通で簡単にキャンセルできること。それだけ息子との時間の約束が軽んじられるように感じてします。
それが、古傷に障ってしょうがない。
結果、22日は会えたものの、それで済むものでもないだろう。
謝罪の言葉もない。
理由は、土曜日と日曜日を勘違いしていた、というのももはや何の慰めにならないし、信用を失う。
肝心の話をしなければならなかった。
正月に、父方祖父母方を訪れるかどうかについて、息子は希望していた。
父との面会交流が実現しない間、息子が祖父母宅に連絡をとり、1月3日以降の受け入れ可という連絡があった。3日~7日、短い期間でも会えたらいい話だった。
その話を一切しない父親。
面会交流が延期されたために、協議の機会を失った挙句、22日に、息子は、おじいちゃんおばあちゃんに会いに行きたいと伝えたようなのだ。
しかし、その回答がないまま、今日どこ行く?という話をそらされ、結局、実のある話が一切なく帰ってきたという。
じゃあどうするのか?思い出したように、連絡をとってみる。
パパに新幹線の切符を用意してもらいたいのだけど
息子の問いに対する答えは、切符を買っても渡せないから、ママにお願いして、というものであった。
切符を物理的に買う手伝いならいくらでもできる。
子どもじゃないのだから、費用の負担について、どうして誠実な連絡ができないのだろうか。
息子が祖父母に会いたがっている。私が善意で用意してしまったら、費用の負担をどうしてくれるのだろうか?
私は、心を鬼にした。この夏の旅費は結局、グリーン車代(片道だけ、帰りは普通車の指定)含め私が用意した。折半するという言い方を事前に言われていたが、結局叶っていない。
そんな前提もある中、私は、とてもとても苦しい思いをしている。
会いにいけなくてもいい、わかった、と息子はいう。
そういう言い方が父親と同じだ。
本当に納得していないのであれば、納得していない、というしかない。
父方祖父母に会いに行ってほしくないのであれば(費用の負担も含め、消極的であれば)、そういえばいい。
ママにお願いして
これが、どれだけズルいことか
私の怒りは蘇ってくる
離婚をして、すっかりと立ち消えた感情をまた経験するのである
幸せな家族との暮らしに、息子を通じて封じていた闇が流れてくる
家族の時間、健気に過ごす息子の横顔に、親としての愛情を実感しては、まだ愛せるという安心を覚える一方で、キライの感情が、押し寄せてくる
つまらないことでウソをつく癖も、父親譲りに見えて、ここ数年の悩みの種だ
意地悪をして会わせたくないとかではない
何度も裏切られる経験をして正解がわからない
会えなくてもわかったで済ませてしまう一族がいる
会えるようにしなくてもいいのかもしれないという思いにたどり着く
会いたいのに会いたいという言い方を知らない
会いたいといったところで会える約束がないのが日本だ
会いたいと言わずして、会えるわけがなく、しかし、いろいろな理由をつけて、会えないことを他責にして済ましていく
不用意に、息子に対し、祖父「来なくていい」と言ったようだった
そうやって、傷つき合いが続く
来なくていいと言われたから、もう、会いにいかなくていいや
そういう言い方で、息子は、会いたいという言葉を手放してしまった
そこが、また、私をさらに悩ませる
8年間会っていなかったようになる方が平穏なのか
じゃあ、この夏の再会は何だったのだろう
孫だから遠慮するな、と言ってくれて、敬語をしなくていいと言われたこと
8年間会っていないのに、孫と祖父母水入らずでのびのびと過ごせたこと
私は、それを喜ばしいことと受け止めたこと
腹立つことの連続で、正解がわからなくなる
お金の問題だけならば、いってらっしゃいと言えれば楽なのだろうか
いろいろとよぎる
会いたいと言えないようにさせたのは誰かも振り返る
もし、そっちだったとしたら。。。単純に申し訳なくも思うが、いや、それは正解なのだろうか。
そう言えなくさせるほどの経緯がそれはそれであるはずで、それはまさに闘いであった。
闘い。闘いならば、もうずいぶん得意になってきた。
立川家裁は、私のホームグランドだ。
子どもが会いたいと言うまで協力しない姿勢でいいのか。
会いたいと言えなくなってしまっているのに、それでいいのか?
自問自答する大晦日は初めてな気がする。
ここまで3000字書いて、整理されるものがある。
エアしている場合ではない。
親として責任を果たさねばならない。
2020年、子年が再びやってくる。
闘いはもう終わりにしなければならない。
とはいえ、今までの司法試験などの挑戦に比べて、もっともっと難しい挑戦ではないか。
40歳。やるっきゃない。
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