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法制審議会家族法制部会第31回会議議事録読む5~北村幹事・戒能委員・井上委員・小粥委員・大石委員・落合委員・北村幹事

社会実験観察中

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○北村幹事 

今、部会長代理にまとめていただいたとおりで、飽くまでも事実の調査として行うものという位置づけを記載するために(注1)、(注2)を記載しているものでございます。その中で、裁判所がどういう形で子の意思、意向を把握していくのかというのは、正にその裁判手続の中で考慮されていくものかなと、位置づけとして、最終的な審判をするためのものではなく事実の調査をするためで、それ以外の特に他意はございません。

議論の途中だったか

○戒能委員

 それでもなお、子の利益とか、場合によっては子の意思の配慮ということは、幾らそういう位置づけであっても必要ではないかという意見ですので、そのようにお受け取りください。
○窪田部会長代理 事務当局、それでよろしいでしょうか。一般論として子の利益、子の意思の重要性ということについての御指摘を頂いたものと理解しております。

何を気にしているのかな?

○井上委員

 ありがとうございます。委員の井上です。3ページの1、養育費等の請求権の実効性向上の(2)について発言をさせていただきます。こちらの方に先取特権の順位に関して、雇用関係の先取特権に次ぐものという記載があります。養育費は義務者の資力によるものであるということを踏まえれば、事務当局から提案いただいたとおりでよいと考えております。短くて恐縮ですが、意見でございます。
○窪田部会長代理  ありがとうございました。先取特権の順位については、前回の部会でも議論があったかと思いますが、提案どおりでよいのではないかという御意見を頂きました。
 ほかに第3、4について御意見はございますでしょうか。

先取特権といえば、きょうこそにちよう

○小粥委員

 委員の小粥です。今の井上委員の御発言に関連してなのですけれども、実際に問題になるのはほぼ、個人の事業者が債務者である場合で、雇用の先取特権が成立しており、今回の養育費等に関する先取特権が競合する場合だろうと思います。そうだとしますと、双方の金額の実際に想像できる額などを比べますと、そういう場合に雇用の先取特権が優先することにした場合、それで理念としてよいのかというような問題はあるように思います。少なくとも意識的に、ここは本当に雇用優先でよいのだろうかという議論はした方がいいのではないかと思います。
 それからもう一つ、戒能委員から、補足資料の30-2の19ページの、遊興などのために使用することを許容する趣旨ではなく、を削除すべきであるという御発言がありました。けれども、ここは、金銭がこどもではなくて父母に入る制度を設計しようとしている以上、新しい法定養育費という制度を正当化するためには、それは子のために使われなければいけないということを強調しないと、なかなか制度を新しく設けるためのハードルを乗り越えることが難しいので、こういうこどものためのお金なのだということを、なかなか難しいところを強調しているという趣旨だと思うので、戒能委員がなぜ消すべきだとおっしゃったのか、私自身は十分に理解できておりません
○窪田部会長代理 ありがとうございました。小粥委員からは、具体的にこの先取特権の関係が問題になるのは個人事業者が債務者であるような場合ということで、優先関係というのが問題になるのだと、小粥委員からは、雇用優先でいいのかについてはきちんと議論した方がよいのではないかということで。
○小粥委員 逆の結論もあり得るのではないかと。
○窪田部会長代理 逆の結論もあり得るのではないかということで御意見を伺ったかと思います。先ほど戒能委員から御指摘があった、法定養育費として支払われた金銭を父母の一方がうんぬんという部分については、その文章の意味もあるということでした。ただ、私自身は多分、小粥委員と全く同じ認識なのだろうと思うのですが、その上で遊興費などは駄目だよねということではなくて、これは多分、必要なお金であったとしても、親が必要であるお金のために使うということは許されていないと思いますので、それがもう少し明確になるようにする必要があるかと思います。遊興費は駄目なのだというと、すごく例外的な場合が駄目なのだよという形になってしまうのですが、非常に幅広い場合が駄目なのだろうと思いますので、その文章はやはり少し検討していただいた方がいいのかと思っております。ありがとうございました。

養育費も一筋縄にはいかないね

○大石委員

 ありがとうございます。何点かあります。まず、今議論になった遊興費関係の話ですけれども、そういった例を列挙するよりは、こどもの福祉、福利厚生あるいはこどもの厚生のために使われるべき趣旨であるといった書き方に変えていただくのが、よいのではないかと思います。また、遊興費が何を具体的に指すのかとかいったことについても誤解、混乱を招くということもありますし、例えばこどもを遊園地に連れていったりするために使ったとして、それは遊興費になるのか、ならないのかとかいったような、少し趣旨から逸れた議論を招きかねないということもありますので、むしろこどものために使う趣旨であるということさえ書けば、わざわざ遊興といった言葉を使わずとも済むのではないかと考えます。それが1点です。
 それから、2点目は法定養育費に関してなのですけれども、資料にも書いていらっしゃいますけれども、法定養育費を含めて、養育費の請求権が誰にあるのか、今議論している新しい法制度の中でどういったことになるのかといった点について、まだ十分な議論をしていないのではないかと考えます。例えば、2の法定養育費、(注1)において、子の養育を主として行う者、子と同居する者といったふうに書かれておりますけれども、この場合の、例えば同居の定義はどうなるのかといった問題があります。住民票がある場所を指すのか、それとも住民票と生活実態が異なっている場合にはどうするのか、それから時間的に長く一緒に過ごしていることを同居と捉えるのであったら、その時間はどのようなタームで評価するのか、1週間なのか1か月なのか1年なのかといった問題が生じるのではないかと考えます。それについてもう少し詰めた議論が必要ではないかと思います。
 養育費の受取りは、以前私の拙稿を紹介させていただきましたけれども、それによって所得が変わるということを通じて、各種の制度ですとか、あるいは社会保障給付などを利用する際の収入認定にすごく関わってくる問題で、こどもの生活にも甚大な影響が及びます。ですので、ここで養育費の請求権が誰にあるのかといったことについての議論を詰めていかないと、制度の穴に落ち込むこどもが生まれてしまうのではないかと懸念しております。
 それから、もう一つの懸念としては、法定養育費の請求権の所在の判断の仕方によって人々の行動が変化する点について、かなり軽く考えられているのではないかと、経済学者としては懸念いたします。人は制度が作る経済的なインセンティブに非常に敏感に反応するものであります。例えば、よく知られている103万円の壁などに見られますように、経済的な損失を避けるためには非常に繊細な調整などを人は行うものであります。ですので、法定養育費のように、具体的な金額はまだ分かりませんけれども、年間にすれば結構な金額になるような経済的な負担を避けるためであれば、率先して、例えばこどもと同居する形をとるようにしたりとか、あるいは意図的に労働時間を減らしたり、仕事をしないということで収入を減らし、支払能力がないというふうにするとか、そういった行動に出る可能性さえあるわけで、実際にそういうことは起こっているということがヨーロッパにおける経済学の実証研究においても明らかにされております。ですので、制度を設計することによるリパーカーションというのを十分に考えておく必要があるかと思います。
 それから、3点目としては、法定養育費なのですけれども、私自身としては金額に、まだ分からないわけではありますけれども、児童扶養手当の収入認定からは外す、今は8割、養育費は算定されていますけれども、外すといった方向も検討すべきではないかと考えておりますが、これは法務省ではなくてこども家庭庁が考えるべきことかと思います。
 続いて、面会交流というか、全体に関わることでもあるのですけれども、それについて一つ申し上げたいと思います。今、こども大綱の中間整理案が出ております。その中ではこどもの権利や意見を尊重するということが非常に重視されております。例えば、中間整理案の中で一部を少し読み上げさせていただきますけれども、貧困、虐待、いじめ、不登校、障害、医療的ケア、非行などを始め困難な状況に置かれたこども、若者、ヤングケアラー、社会的養護の下で暮らすこども、社会的養護経験者など、様々な状況にあって声を聞かれにくいこどもや若者、乳幼児を含む低年齢のこども、意見を表明することへの意欲や関心が必ずしも高くないこどもや若者がいることを認識し、全てのこどもや若者も自らの意見を持ち、それを表明することができるという認識の下、安心して意見を表明し、その意見が施策に反映されるよう、意見聴取に関わる多様な手法を検討するとともに十分な配慮や工夫をするとなっておりまして、面会交流に限らずなのですけれども、やはりこどもの意見、意思とか状況というものに対して十分に配慮し、かつこども大綱との整合性といったものも求められるのではないかと考えております。
 以上です。ありがとうございます。
○窪田部会長代理 どうもありがとうございました。一つは、文章の変更に関して、先ほどから議論になっております部分について、遊興費の部分についてはもう、この部分を削除して、こどものために使うのだということを明確にすればいいのではないかということを御発言いただいた上で、3点、御意見を伺ったかと思います。一つは、法定養育費に関して、これは具体的な意見というよりは、むしろ請求権者、あるいは請求権の所在についての議論が必ずしも十分ではないのではないかという形での御指摘であったかと思います。その中には、同居の定義等々も含めまして、まだ十分ではないのではないか、そして、養育費の受取りというのは社会給付等とも関係が出てくるので、この部分できちんと整備しておかないと、抜け落ちてしまうこどもが出てくるのではないかというのが第1点であったかと思います。第2点として、法定養育費あるいは請求権の所在によって、それが人々の行動に影響を与えるということも考えられるということでした。負担者が別居していたのを同居する、あるいは仕事を減らしてその負担を免れるといったようなことも考えられるので、そうした点も踏まえた上で考えていく、制度を整備していく必要があるのではないかということについて御発言いただいたかと思います。なお関連して、養育費と児童手当についても御指摘を頂いたかと思います。3番目としては、親子交流に関してはこども大綱、中間整理案が現時点で発表されていますが、この中ではこどもの意思であるとか意見表明というのが大変に重視される形になっているということで、親子交流の問題に限ったことではないけれども、この問題に関してもこども大綱との整合性を十分に図るべきではないかという御意見を承ったかと思います。
 一旦途中で休憩を入れることにはなると思いますが、落合委員、今津幹事、それから沖野委員、赤石委員、原田委員という順番でお願いしたいと思います。

経済学者のご意見ね~

○落合委員

 お時間ありがとうございます。落合です。法定養育費について発言したいのですが、その前に先ほどの遊興費という話が少し気になりますので、一言言わせていただきます。やはり遊興費のような言葉が入っているのは、シングルマザーに対する差別感があると思うのです。それを感じないという方がいるのは少しおかしいと思います。やはりその言葉が入るべきではないと思います。それと、こどものために使うというのを強調すると、それは大事だと思うのですけれども、こどものためというのはどういうことか。ではお母さんはそれで食べてはいけないのですか。法的にはどうなのですか。私はお母さんはそのお金から絶対に食べるべきだと思っています。こどもの監護をする、こどもの世話をするということは、そのケアをする人も生きていなければいけないからです。その心身の健康を保ちながらお母さんが生きる、これはこどものためなのです。ケアをするということは、ケアをする人がきちんと健康に生きているということが前提です。だから、子の監護のために使うというのは、お母さんはそれでしっかり食べるし、着るし、あと遊興というけれども、そうですね、メンタルな安定を保つためにも使っていけないことはないと思うのです。ケアをする人がきちんと生きていなければいけないというのを考えて、そこを解釈してほしいと思います。
 追加で言いたかったことは以上でして、法定養育費についてお話します。この流れで行くと、金額で決まることになりそうなのですが、金額で決めるのはやはりおかしいと思うのです。なぜおかしいかというと、親がこどもに対して持つ義務というのは自分の生活と同じような生活をさせる義務ですよね。そうであるなら自分の生活レベルを入れられるような計算式であるべきです。法定養育費というのは算出する式を決めるべきであって、金額を決めるのでは駄目だと思います。金額だったら余り高いものに決められませんから、割と収入のある人にとっては、少しもめていれば、自分が本当に払わなければいけないぐらいの額よりも低い法定養育費になってしまいます。そういうことが交渉の過程でも働いてしまうでしょう。だから、法定養育費は式として決めるということを提案したいと思います。
 そうすると、支払能力を欠く人というか、非常に収入が低いのであっても、式なら何か計算できるわけですよね。あるいはゼロになるかもしれないけれども、算定はできるでしょう。すごく低い費用でも払えばいいのかもしれない。でも、ここで最低限度の生活を維持するためというのは、少し別の使われ方をするべきだと思っていまして、その式に合わせて法定養育費を計算したときに、その金額がこどもの最低限度の生活を維持するための金額を下回ってしまうような場合、その場合は何か自動的にというか、迅速に公的な何か費用が出るとか、それをセットにしたらどうなのでしょうか。
 先ほどから社会保障の方との連動の話がありましたけれども、そちらが働くまでに何か月も空くと、本当に困窮する可能性があるわけですよね。ですから、ここで法定養育費というのを決めるのは、決定までの間で困窮するといけないからということで決めるのですから、法定養育費が余りにも低くなってしまうようなケースの場合は、すぐに公的な支援があるみたいなことをセットにしないと成り立たないのではないかと思うのです。ここで実行したいことが実行できないのではないかと思います。
○窪田部会長代理 ありがとうございました。落合委員からも幾つかの点の御指摘を頂きました。先ほどから問題となっている文言については、遊興というのは単に余り適当ではないというだけではなくて、一定のバイアスの掛かった表現である可能性があるので、避けた方がいいだろうということでした。その一方で、こどものために使うというのが一体どの範囲までなのかということでの御指摘もいただきました。これは恐らく、こどもが自らの扶養料を請求するという場面と養育費という形で立てる場合で、ひょっとしたら違いがあるのかもしれませんが、それについてもう少し詰めていく必要があるのかなと思って伺っておりました。また、法定養育費については金額で決めるのはおかしいのであって、むしろ算出する式を決めるのがここでの役割なのではないか、その上で、非常に収入が少ない場合等については社会保障等との関係で速やかな連携が図れるという仕組みを立てる必要があるということでした。法定養育費については事務当局から何か御発言がありますでしょうか。

お父さんも生きてね、って思う

○北村幹事

 今いろいろ御指摘いただきました。前提として、補足説明の文言につきましては御指摘を踏まえまして検討したいと思います。それ以外に、法定養育費、この部会で様々御議論いただきましたけれども、まず前提として、御議論いただいた経過としては、やはり父母がしっかりと話し合って決めていただく、そして、それはきちんと収入に応じてしっかりとその義務を果たしていただく、それを決めることが、基本的にはそれがまず在るべきだという、そこはこの部会の中で共有されているのだと思います。それができない場合、特にもう話合いも全くしないで離婚してしまったような場合の救済措置として一定額、その話合いができるまでの間、そこを決めようという中で、話合いができていない中でどうするのかという議論を頂いたのかなと思います。
 そうすると、きちんと話合いあるいは裁判所で決めるのであれば、今、落合委員から御指摘がありましたように、双方の収入を比較して、どういう金額を決めるのかというのは可能なのだろうとは思いますけれども、それがない中で収入が分からないまま決めるというのはなかなか困難であるということを前提に、制度設計はしてまいりました。いろいろこの建て付けには御批判があろうかとは思っておりますけれども、飽くまでこの法定養育費というのは、合意ができない場合のデフォルトルールだという発言をしていただいた委員もありましたけれども、飽くまでもそういう位置づけであって、ここに依拠するのではなく、きちんと父母が話し合って決めていただくということを念頭に御議論いただいていた、それを前提にいろいろ御提案させていただいているものと理解しております。
○窪田部会長代理 ありがとうございました。たくさんの方にお待ちいただいているのですが、もう3時20分になっておりますので、ここで一旦休憩を頂いてもよろしいでしょうか。今津幹事、沖野委員、赤石委員、原田委員には少しお待ちいただくことになりますが、それでは3時30分に再開するということで、10分弱休憩を頂戴したいと思います。
 
          (休     憩)

原則共同親権の場合どうなの?っていう気はする
養育費払うのはだれ?
もらうのはだれ?
共同親権の場合には?

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