見出し画像

続・単独親権制を問う

きっかけをいただき、単独親権制の問題点について研究する日々である。

親権制度の在り方の議論は、共同親権が万能で理想的だという視点で始まったものではない。単独親権制が運用の仕方によって重篤な悲劇を引き起こすゆえに、比較的有益性が認められる共同親権制を導入しようという議論なのである。

独裁制から民主主義制へ移行することと似ている。

万能かつ優秀な独裁者によれば、効率よく、リーダーシップを発揮して、国民の幸福の最大化を貢献しただろう。しかし、歴史を学べば、常に理想的な独裁者に限らないことを知ることが簡単だ。効率性を犠牲にしてでも、横暴な独裁者の登場を防ぎ、暴走させない仕組みに移行する必要があった。三権分立制度であり、民主主義制度である。どのような仕組みであれば、民意の反映を徹底できるかについては、今も日々研鑽が求められている。一票の平等という価値のための訴訟は続く。

日本も、戦争の反省もあって、大日本帝国憲法を克服し、日本国憲法の下、議会制民主主義を徹底しようと努力しているとしても、諸々課題は残っている。それでも、独裁制に戻った方がいいということにはならないだろう。

そういう議論によく似ていると感じてしまうのが、親権制度の議論だ。


共同親権制度についての情報発信が活発になってきたことを歓迎したい。

たとえ、最初に出会う共同親権の情報が、消極的なものであったとしても、情報収集していけば、自ずと、世界の大半が共同親権制へ移行しているのかという事実に直面し、それはどうしてだろうか、という思考にたどり着くだろう。

今の、日本にはいろいろな問題がいっぱいあるから、戦争を知らないみんなに、戦前が良かったという議論は通用するだろうか。女性の参政権すらない時代だって、古き良き日本らしさだってあったろう。

大切なのは悲劇を知り、それゆえに克服していく努力のために、歩みだすことに思う。未来が明るいばかりではなく、細かい課題はあるだろう。それを恐れていては、前に進めない。

親権制に関しては、共同親権の推進派と慎重派と呼ばれるらしい。単独親権一択という現行制度の問題は実は共有されているのかもしれない。親権制の議論は、新しいものではなく、すでに、繰り返し紹介しているとおり、日弁連も熱心に取り組んできた過去を掘り起こせば、自ずと学べることも多い。


今日も、同書から学ぶ。

第2章 日本における親権・監護法制の問題点と課題 第2節 実務から見た離婚後の子どもの共同監護 共同親権制度と関連して

鈴木経夫弁護士が担当している項目からも、深い学びを得る。

現行親権法の実務上の問題点を次のように指摘する。

単独親権制では、子どもを引き取らなかった親は、どうしても面接交渉、養育費の支払、その他離婚後の子に対する配慮については、義務感が薄くなりがちで、時間の経過とともに、親としての自覚も次第に減退していくのではないか。まして、再婚でもしてしまい、さらに新しい配偶者との間に子どもが生まれたりすると、もとの妻や夫との間の子に対する関わりには、後ろめたさをすら感じるのではないか。

親心が発揮できない現象への言及といえる。単独親権制は、親心を手放すこを促進すらさせる仕組みともいえるのだ。本来、制度の趣旨ではなかったのかもしれないが、実態として、そのように「誤解」したとしてもやむを得ない風土があるのであれば、たしかに、単独親権制は、親心喪失へと機能してしまう。養育費未払い問題という形で表出するのも、単独親権制が、親子の親子らしい関わりを否定するよう作用するからに他ならない。別れて暮らすわが子のことを極力忘れるように努め、新しい家族ができれば、養育費減額を裁判所も肯定していくのである。たとえ会えなくても、自ら親としての責任の自覚を維持し、養育費の送金も怠らないことももちろんあるだろうが、それはあくまで「自己責任」「任意」とされ、裁判所や、国家、社会は、決して推奨しない。面会交流への消極性も相まって、親子断絶を許すメッセージを単独親権制が放つのだ。その問題意識を最も発露するのは、別居親でも「珍しく」、離れて暮らす子を思い続け、会いたいと求め、親であろうとする立場の者たちだが、どういうわけか、こうした当然の親心を発揮する者たちへの風当たりは厳しい。離婚事由が何だったのか、知る由もないのに、別居親・非親権者に対する厳しい眼差しが世間に蔓延している。差別にも近い劣遇の例としては、それまで、保護者として出入りしていた学校現場から、排斥されることもある。わが子の成長を見ようと立ち寄っただけでも、ともすれば、通報・逮捕という目に遭いかねない。実際の恐れはともかく、運悪くそういう目に遭うかもしれないと思えば、親心を発揮しようという意欲は、どんどん減退するだろう。校長の裁量の範囲内の問題として、理解のある校長が、親権の有無に限らず、親を親として扱うこともあるかもしれないが、裁量というあいまいな規範に依存している限り、萎縮効果を招く。

親をやめることが無難だと思い至るのも自然というわけだ。

これを子の立場から見ると、もっと悲惨だ。次のとおり引用する。

子の側からしても、離婚の結果、監護者でない親との別居あるいは別れ、面接交渉していない親に対する様々な思いは簡単には表現できない。それが自分自身の成長にどのように影響するのか、予測もできない。親と実質的に別れてしまうことは、多くの問題を惹起することになりかねない。そのことは、子に様々なマイナスの条件も作り出す可能性がある。場合によると、自分は親から捨てられた、それは自分が悪いからだと、自責の念にかられることもめずらしくないといわれている。

子が成長するにあたって、自己肯定感が大切であることは、よく語られることである。両親の離婚という経験だけで、一発で、自己肯定感が破壊されるわけではない。それでも、離婚後の養育環境を適切に配慮していかなければ、両親の離婚を契機に、子どもの傷は根深いものになってしまう。本人の自覚のないところで、生きづらさを抱え、そして、人との関わり方、距離感、信頼の築き方が不器用なまま、パートナーとの関係につまづくこともありえる。離婚家庭出身の子は、自身もまた離婚しやすいという体感を覚えることもあるだろう。連鎖するということが起こりがちだ。引用先は、さらに踏み込んでいく。

日本の法制のもと、単独親権の弊害がもっとも鮮明に表れるのは、養子縁組制度の不備と相まって、離婚後に親権者となった親が新しい配偶者と養子縁組をする場合である。主として再婚にともなういわゆる連れ子養子の場合であるが、親権者の直系尊属との養子縁組の場合もある。つまり、親権者の合意だけで養子縁組が成立し、他方の親の意向はまったく考慮されない。したがってなにも知らずに、親権者とならなかった方の親が約束にしたがい、養育費を支払い、面接も続けていたという例すらある。いずれにしても、他の未成年者養子の場合と異なり、家庭裁判所が関与することもない。親権者とならなかった親は、意向の打診すらされない。

同様の問題意識については、すでに言及してきた。

2007年当時において、すでに、単独親権の弊害として指摘されていたにもかかわらず、全く改正の話題にもなく、ただ、現状、児童虐待が深刻に蔓延している状態に陥っている。一体、何をしてきたのだ。

幼い少女が、「前のパパがよかった」と言って虐待によって命を落としたニュースは全国に衝撃的であったが、まさに、単独親権の弊害の犠牲者である。初めてのことではなく、いくらでも気づき、そして行動さえしていれば、対策ができたかもしれないと思うと、単独親権制を放置したことで、幼い命を次々と死に追いやっているといえよう。死ななければいいという問題でもない。養親による虐待は、性的虐待という場合もある。魂の殺人である。養親に遠慮して、進路の相談ができないということもあるだろう。この養子縁組制度の不備については、脚注にて次のように補足されている。

日本の養子縁組は、家制度の維持の名残をとどめているし、その法制の不備は、実務上も明かである。子連れでの再婚がますます増えていく現状で、親権と養子縁組制度の法改正は、その必要性は極めて高い。

特別養子縁組にこそ法改正の動きがあり、それも手放しでは歓迎できない懸念も覚えるが、それでも、「裁判所の関与」があるだけ評価できるかもしれない。今後、子連れ再婚を特別養子縁組に統一し、普通養子縁組の事実上の廃止を期待したい。引用先本文は続く、

 ・・・連れ子養子がされた場合、養育費の支払いは原則的に免れるとするのが一般の扱いであるが、面接交渉については様々な問題がある。

この点について脚注で回答している。

 連れ子養子がされたあと、他方の親の面接交渉がどのようにされるべきかは、問題であろう。以前は養親子関係の安定のために、原則面接交渉は停止するというのが一般的な考えであった。子の年齢にもよるであろう。一方現在では児童相談所も、養子縁組の場合、原則として早い段階で、養子縁組の事実を子に開示するように指導している。

真実告知への理解が示されている。そして、今や、養子縁組後も、実親子関係の交流は続けることを家庭裁判所は推奨するという。特別養子縁組であれば、真実告知に関する知識の提供を、養親になるためのトレーニングの中で自然と学ぶことができる。特別養子縁組制度の拡充への懸念も忘れてはならないが、普通養子縁組の問題の解消に貢献しうる面への期待も覚える。

引用先は、最後に次のように締めくくる。

 もし、いわゆる共同親権となれば、養子縁組の問題が生じた場合には、もちろん双方の親の意向が調査され、どうしても意見が一致しないときには、その成否は、家裁の審判によることになるであろう。もちろん子どもの意向が重視されることはいうまでもない。

共同親権が、普通養子縁組の問題を救い、養親になる者への責任の自覚を促すきっかけへ導き、結果、子どもの養育環境を守ることに機能することが期待できる。

それが、共同親権制によって、児童虐待を抑止しうるというメリットである。

つづく




親子に優しい世界に向かって,日々発信しています☆ サポートいただけると励みになります!!いただいたサポートは,恩送りとして,さらに強化した知恵と工夫のお届けに役立たせていただきます!