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22日 オレンジデイ #共同親権の日

今月も22日を迎えると,共同親権の日だからというオレンジデモtweetが炸裂する

そうすると,渾身の記事が次々と発信される・・・偶然もあるかな?

来月の連休に控えるオレンジパレードの応援記事も貼っておこう

来月の22日はオレンジパレードの振り返りかな?

AERAといえば,過去,取材を受け短いながらもコメントさせてもらったことがあった・・・が,またたくまにネット記事が削除されたという思い出がある

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ネット記事だけではなく,冊子の方は出版され,決して出版差し止めにはならなかったし,表現の自由の制約とは言い切れないものの,びっくりした

光栄な機会に,喜びをシンプルにシェアしたのに,その記事が消えていく不気味さ・・・なんで?という疑問はあふれるが,どうしようもなかった

どんなコメントしたんだっけ?思い出してみた

・モラハラなどの精神的DVや経済的DVは解釈の範囲が広い
・一般的に女性と男性の主張には大きな隔たりがある
・「会えない父親」からの依頼を多く受ける弁護士
・妻側の『連れ去り』とDVの主張はセットでなされること多い
・DVといっても、深刻な暴力ではなく単に主観的な嫌悪や恐れに過ぎない主張もある
・裁判所は月1回程度の面会交流はさせようという姿勢ですが、面会させたくない母親はいる
・DVが利用されているケースはある
・裁判となればお互いに親としての不適格性を主張し合って泥沼となる
・結果、離婚して面会交流の取り決めがなされたとしても、夫婦に信頼関係がないために、面会が履行される保証もない
・こうした「悪循環」が父親と子どもを遠ざけている側面もある
・でっちあげDVは許されませんし、監護する親は親の代表として責任もって面会を実現すべき
・司法や社会はこのことをもっと理解して欲しい
・現状、父の代理人としてできることは、単に正論だけでなく、同じ事実でもなぜ妻は違う見方だったのか、対立しないで自分の思いを伝えるアプローチはないかなどを模索
・父親の気持ちもほぐしていく弁護が必要

コメントのベースになったアイディアのメモ

今日のAERAの記事によると,連れ去り違憲訴訟に続き,自由面会交流の訴訟もあるという

そろそろでっちあげDVに関連する訴訟の動きもあるような気がする

支援措置に関しては,名古屋地裁の判決がその後逆転したとはいえ,それを踏まえた半田市の和解事件がある

問題意識を共有する当事者は多いように思う

一方で支援措置下における配慮不足からのDV被害者に対する損害賠償ないしは被害者保護のための配慮や謝罪をする行政という報道も見られる

と,いうことは,支援措置が発動されればそれだけの配慮を要することになる実際の負担,ミスが起きた時のリスク,となると,支援措置の発動自体に慎重にならざるを得ない動きも考えられる

それが,結果として,不適切な支援措置(目的外利用や,要件を充足しない利用等)の抑止が期待できる一方で,その負担がかえってDV被害者の救済を後退させることになりはしないかという懸念もある

連れ去り勝ちの一面を評価されることがあっても,実際は,いろいろなものを手離すことを余儀なくされることもあったりして,怨みを買うかもしれないリスクも想定すると,DV被害者の動きは鈍る

共同養育離婚が一般に普及し,婚姻が軽くなれば,離婚への躊躇いが減少し,かえって幸福度向上が期待できる

そのためには,社会が責任をもって共同親権制を整えるべきだろう

単独親権制ほどDV加害者にとって都合のいいものはない

子どもを抱え込みたければ,追い出しか連れ去りかして,他方配偶者を排斥することが可能だ

子どもに興味がなければ,協議離婚によって,親権を押し付け,養育費未払いを条件にした離婚をすることも可能だ

子どもには会いにいかない

そのことで,何も心は痛まない

何なら,親権者となって監護は押し付けることで,養育費未払い状況を造ったケースも遠めに見たことがある(監護者としての養育費請求,あるいは監護の実績や子どもの意思を踏まえた親権者変更手続きからの養育費請求はあり得るかもしれないが,DV被害者にとってはハードルが高すぎて,結果として泣き寝入りになるだろう)

単独親権制の中でも共同養育はできる言説への疑問

たしかにできる

父母の合意により任意に実現することはありえる

養育費の定めも合意がまず求められる

しかし,算定表により指針があることの重みを考えたい

裁判所で考案され,昨年末見直しが発表されたが,父母双方の年収と子どもの数年齢等からある程度の相場が簡単に算出される

それがなければ,受給者はより多く受け取りたいし,支払者はなるべく低額に抑えたいだろう

元々激しく対立するから,そもそも合意が不可能なところ,一応の理屈を積み重ねて専門家たる裁判官の有志で研究して作り上げた算定表が付与されることによって,合意にたどりつく

払う側としても納得いかなくても払わなければならない不満もあるだろうが,受給者としても,必ずしも納得する場合に限らない

少なく感じ,いろいろな事情を言って多く要求したくても,やはり相場に落とし込まれていく

養育費は,子の監護に関する一面にすぎないが,これが客観的に義務付けられることによって,父母は窮屈にも拘束されることになっていく

同じく子の監護に関しては,別の面として面会交流と呼ばれる養育時間があるが,この分担についての相場は付与されず,父母の自由に委ねられる

いろいろな考え方があり,対等に分担する価値観が合致する場合はともかく,一方だけが寛容であるだけでは面会交流は実現しない

同居親が会わせようとしても,別居親が会わないと決めればやはり面会交流は行われない

逆のケースにおいては,面会交流の申立てが行われ,ある程度は実現に向かうかもしれない(裁判所での相場は,せいぜい月に1回程度)

子どもに会わないことを決める別居親もいる

養育費こそは義務付けられることもあるが(サラリーマンでなければ実際強制的に回収するのが困難なことがあるとはいえ),面会交流を強制するにも限界がある

義務付けられる養育費の支払いさえあれば親としての責任を一切逃れ,会わないことが許される制度なのである

子どものために面会交流は大切だ,といった価値観が蔓延すれば,別居親がわが子に会うことを望まない子は,どんなに子どもの方から親に会うことを望んでも叶えられる手段がなく,ますます傷つくかもしれない

場合によっては,養育費の義務付けを免除するから会って欲しいと懇願することでようやくと会うことが叶うかもしれないことがあるとすると,それは,もはや,面会交流を利用してコントロールして,養育費の支払いを逃れることまで許すことになるかもしれない

その他離婚に伴う経済条件だって,下手したら譲歩を余儀なくされることもありうるとさえいえる

単独親権制のまま,自己責任の下,任意にすれば足りるとする共同養育では不適切であるということだ

社会の責任として共同養育を整備する

共同親権制へと整える必要があることがよくわかる

父母共に責任をもって,養育費と養育時間を分担することが重要である

お金を払わない,会わないことを許すことがあってはならない
(会ってはならない虐待親への対応はまた別に対処する用意する)

共同親権制への法改正が足踏みする間も,共同養育の方の理解は普及が始まってはいる

だから現場の当事者が悩まされている

会わせたい

父母共に愛されることが望ましい

そのために協力しようという親(フレンドリーペアレント)が不利になることがあってはならない法制度が必要である

寛容親が最強になる仕組みが必要だ

共同親権ってなあに?の回答として,寛容親が最強になる仕組み,と答えたい

暴力に親和する親のことではない

寛容親になるには努力を要する

それは,同居親か別居親かの立場を問わない

子どもの視点で,子どもにとって最善の利益を実現することを努力する親になる

その目標は,同居親じゃなければ設定できないものでもない

来るべき共同親権制のある未来社会を待つ間,別居親あるいは非親権者になってしまった親でも,寛容親としての振る舞いを研究,シミュレーションし,行動するということ等できる努力があるかもしれない

寛容親のお手本を構築するだろう

耐えがたきを耐えざるを得ない現状の中,わが子に会いたい,わが子に幸せに育って欲しいという願いの傍ら,寛容親たる精神修行がなされていると思う

別居親へのリスペクトが止まらないのである



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