さらに補足意見<嫡出子差別違憲判決>

最後の、岡部喜代子裁判官の補足意見も読む。


裁判官岡部喜代子の補足意見

本件の事案に鑑み,本件規定の憲法適合性の問題と我が国における法律婚を尊重する意識との関係について,若干補足する。

前2者が意見したポイントと違う。

 平成7年大法廷決定は,民法が法律婚主義を採用した結果婚姻から出生した嫡出子と嫡出でない子の区別が生じ,親子関係の成立などにつき異なった規律がされてもやむを得ないと述べる。親子の成立要件について,妻が婚姻中に懐胎した子については何らの手続なくして出生と同時にその夫が父である嫡出子と法律上推定されるのであり(民法772条),この点で,認知により父子関係が成立する嫡出でない子と異なるところ,その区別は婚姻関係に根拠を置くものであって合理性を有するといえる。

嫡出子と嫡出でない子の区別があり、それは合理性を有するってさらっと言ってしまうことに、驚いてしまう。

しかし,相続分の定めは親子関係の効果の問題であるところ,婚姻関係から出生した嫡出子を嫡出でない子より優遇すべきであるとの結論は,上記親子関係の成立要件における区別に根拠があるというような意味で論理的に当然であると説明できるものではない

嫡出子と嫡出でない子の区別をするとしても、相続分に差を設けることまで論理必然ではないよね、と。婚姻(夫婦)と親子を切り離そうという一歩に読める。

 婚姻の尊重とは嫡出子を含む婚姻共同体の尊重であり,その尊重は当然に相続分における尊重を意味するとの見解も存在する。しかし,法廷意見が説示するとおり,相続制度は様々な事柄を総合考慮して定められるものであり,それらの事柄は時代と共に変遷するものである以上,仮に民法が婚姻について上記のような見解を採用し,本件規定もその一つの表れであるとしても,相続における婚姻共同体の尊重を,被相続人の嫡出でない子との関係で嫡出子の相続分を優遇することによって貫くことが憲法上許容されるか否かについては,不断に検討されなければならないことである。

婚姻を尊重するとして、その尊重の仕方については、検討の余地がある。

 夫婦及びその間の子を含む婚姻共同体の保護という考え方の実質上の根拠として,婚姻期間中に婚姻当事者が得た財産は実質的には婚姻共同体の財産であって本来その中に在る嫡出子に承継されていくべきものであるという見解が存在する。確かに,夫婦は婚姻共同体を維持するために働き,婚姻共同体を維持するために協力するのであり(夫婦については法的な協力扶助義務がある。),その協力は長期にわたる不断の努力を必要とするものといえる。社会的事実としても,多くの場合,夫婦は互いに,生計を維持するために働き,家事を負担し,親戚付き合いや近所付き合いを行うほか様々な雑事をこなし,あるいは,長期間の肉体的,経済的負担を伴う育児を行い,高齢となった親その他の親族の面倒を見ることになる場合もある。嫡出子はこの夫婦の協力により扶養され養育されて成長し,そして子自身も夫婦間の協力と性質・程度は異なるものの事実上これらに協力するのが通常であろう。これが,基本的に我が国の一つの家族像として考えられてきたものであり,こうした家族像を基盤として,法律婚を尊重する意識が広く共有されてきたものということができるであろう。平成7年大法廷決定が対象とした相続の開始時点である昭和63年当時においては,上記のような家族像が広く浸透し,本件規定の合理性を支えていたものと思われるが,現在においても,上記のような家族像はなお一定程度浸透しているものと思われ,そのような状況の下において,婚姻共同体の構成員が,そこに属さない嫡出でない子の相続分を上記構成員である嫡出子と同等とすることに否定的な感情を抱くことも,理解できるところである。

家族の形が多様化していると語られる時代において、まさかの、固定的家族モデルを肯定する。その重みに気づいていないのかもしれない。法律婚を尊重するがゆえの、異なるものへの忌避の感情を否定しないのだ。ここは、本当に向き合うべき闇が見えるが、判決当時、やむを得ないのであろう。

 しかし,今日種々の理由によって上記のような家族像に変化が生じていることは法廷意見の指摘するとおりである。同時に,嫡出でない子は,生まれながらにして選択の余地がなく上記のような婚姻共同体の一員となることができない。もちろん,法律婚の形をとらないという両親の意思によって,実態は婚姻共同体とは異ならないが嫡出子となり得ないという場合もないではないが,多くの場合は,婚姻共同体に参加したくてもできず,婚姻共同体維持のために努力したくてもできないという地位に生まれながらにして置かれるというのが実態であろう。そして,法廷意見が述べる昭和22年民法改正以後の国内外の事情の変化は,子を個人として尊重すべきであるとの考えを確立させ,婚姻共同体の保護自体には十分理由があるとしても,そのために婚姻共同体のみを当然かつ一般的に婚姻外共同体よりも優遇することの合理性,ないし,婚姻共同体の保護を理由としてその構成員である嫡出子の相続分を非構成員である嫡出でない子の相続分よりも優遇することの合理性を減少せしめてきたものといえる。

婚姻共同体の保護について、一定の配慮をしてしまった。これが、次の歴史に足を引っ張ることになることに、気づくことができなかった。ただ単に、相続分差別の違憲判断の評価にとどまってしまったろう。

 こうした観点からすると,全体として法律婚を尊重する意識が広く浸透しているからといって,嫡出子と嫡出でない子の相続分に差別を設けることはもはや相当ではないというべきである。

結論として違憲であった。しかし、まだ法律婚尊重意識を前提としていた。

夫婦別姓訴訟、同性婚に関する訴訟が続く。結局、法律婚尊重意識を克服しない。だから、阻まれるともいえる。

法律婚を尊重するには、法律婚が多少窮屈ぐらいがちょうどいいのだ。

非婚の差別を解消するとき、あらゆる多様な結婚が対等に尊重されることだろう。その域にたどり着くには、どうしたものか。

親子に優しい世界に向かって,日々発信しています☆ サポートいただけると励みになります!!いただいたサポートは,恩送りとして,さらに強化した知恵と工夫のお届けに役立たせていただきます!