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法制審議会家族法制部会第32回会議議事録読む3~棚村委員・大石委員・小粥委員・赤石委員

共同親権ありがとう

恐ろしい単独親権制、はよ終われ

こうやって終わりに向かわせてくれるかも

自分が親権者になる約束がなくてもいいのか、そこが単独親権制を維持できなかったウィークポイント

共同親権止まらない

実は運用も変わりつつある

単独親権制をやめないばっかりに、養育費がピンハネされる

議事録がとっても面白い!さぁ読んでいこう

○棚村委員

 早稲田大学の棚村です。いろいろ御批判というか、課題についてもお伺いすることができて、有益だったと思います。私は第2の親権及び監護等に関する規律のところで、1、2、3というところで事務局から提案されたことについて、前回と同じように引き続き賛成させていただきたいと思います。
 特に批判になっているところとして、第2の1のところは、婚姻中も離婚後も含めた親権の共同行使というものと、単独行使になる場合の振り分けの基準とかルール、これが示されているというところだと思います。特に、(1)イのところで急迫の事情というのが非常に狭いのではないかという御批判が出されています。むしろ必要性とか相当性という文言にした方がいいのではないかというような御提案が出されているところです。これについても、言葉の問題なのですけれども、元々は議論してきたのは緊急性とか差し迫った事情があるというときに、親権行使は単独でさせた方がこどものためになるのではないかという議論だったと思うのです。ですから、これを必要性とか相当性という言葉に置き換えたりすると、かえって広くなってしまって、ある意味では当初考えていた言葉よりは限定がかけられないのではないか、もちろん必要性とか妥当性とか相当性というのは非常に分かりやすい部分もあるのですが、内容的には緊急性や急迫性と比べてかなり曖昧なところがあるかと思います。ですから、この言葉の問題は、むしろどちらかというと、急迫とか緊急とか、緊急の必要性がある場合とか、緊急的な差し迫った事情があるというときには親権行使は単独でできるのだという趣旨であって、具体的な表現ぶりをどうするかは別として、大枠の合意はできるのではないかと思っています。
 それから、特に問題になってきていたのが、2(1)のところで協議で双方又は一方を親権者と定めるということについて、なかなか話合いが十分にできない人たちの方が多いのではないかということで心配されておられる向きもありました。ただ、これについても、少し確認をしておきたいのは、合意型の共同親権と、それから強制型の共同親権というようなことで区分けをされているのですけれども、当事者が合意をして話し合って決めた共同親権の場合と、それから話合いも意思もなく強制されるという区分けが非常に誤解を招くのではないかと思います。つまり、ここで今問題になっているのは、正に家庭裁判所が、双方が話合いができなくても、こどもの利益の観点から共同親権がふさわしいとか、単独親権がふさわしいということを判断する可能性というのを認めるかどうかということだと思うのです。そうだとすると、家庭裁判所は飽くまでも、当事者が話合いのできないときに、こどもの利益の観点から、共同親権か単独親権かを定められるという仕組みであって、家庭裁判所が共同親権だけを強制する強制型の共同親権制が提案されているわけではありません家庭裁判所は、こどもの利益には縛られますが、共同親権がふさわしいか単独親権の方がよいかを最終的に選ぶことになります。
 正におっしゃっているように、家裁を信頼するという制度で作っていくのか、それとも、家裁はやはり信頼できないという話になるのかということなのですけれども、これは担当の裁判官とかいろいろな方の個別の事案ごとの信頼性の問題というよりは、制度として、当事者が話し合って決められない場合でも、家庭裁判所が総合的にこどもの利益の観点から一定の判断をするという仕組み自体は、民法もそういう基本的な構造になっているわけですので、それを採るか採らないかという話だと思うのです。ですから、その辺りのところの誤解がないように、何か合意がなければ共同親権はやってはいけないとか、やれないとか、そういう話ではないのではないかというところは、きちんと確認をさせていただきたいのです。つまり、話合いでできれば一番それがいいし、話合いがもしできないのであれば、何らかの形で、最終的には裁判所の調停だとか審判だとか裁判というような形で、こどものためにふさわしい在り方というのを決められる仕組みになっているというのが現行法ですし、今回の共同親権とか監護をめぐる問題でも、特別なルールにするというより、合意ができないときに現行の制度や仕組みを維持するとか、そういうルールを採用しているという前提で、その延長線上で認めるということなのだと思っています。
 それからもう一つ、監護者の定めを一律に必要とするかどうかということについても、監護者についても、その内容とか権利義務とか、法的地位とかも、ある程度明確にする規定を置いた上で、それを話合いでもって選べる、選べないということで規定を置いていくという御提案だと思います。一律に監護者を共同親権にした場合には置かないと駄目だという考え方というのは、既に以前にも述べましたように、これまでの民法の立て付けと大きく異なる仕組みの提案になってしまうということ、それから、社会保障給付とか児童手当を誰が受け取るかという話は、監護者を決めたから直ちにその人が全部受け取る地位にあるということではないと思うのです。つまり、監護者になったらパッケージとして主としてこういうことについては責任を負いますよということはある程度はっきりするとは思うのですけれども、個別の予防接種がどうだとか健康診断は誰が決めるとかという細かなことについては、民法に細々とした個別具体的ルールを全部盛り込んでいくというのは非常に困難です。特に民法の場合には日常の生活や暮らしの一般法ということで、基本法ですから、いちいち細かいことを盛り込むことについてはもともと限界があります。しかも、監護者を定めたから問題がなくなるとか、争いがそれで解決するというわけでもありません。オーストラリアの例をよく出されますけれども、オーストラリアはあまりにも細かい規定を盛り込みすぎたり、子細な考慮事項を置いた結果、紛争が長期化したり、あるいは紛争が非常に熾烈になってしまったというので、シンプル・イズ・ベストということで今回、改正の提案がされたわけです。ですから、細かく具体的な規定やルールを明示しろというのは、ある意味ではもちろんそうだと思うのですが、やはり限界があるのではないかと思っております。
 また、前にも私が言いましたように、プラスとマイナスの要素についてもそうなのですけれども、先ほどからの議論をお聞きしていると、合意があることがプラスの要素だとか、コミュニケーションがとれていることがプラスだとか、協力ができるということがプラスなのだということで明示しろというのですけれども、逆に言うと、このプラスとマイナスというのは、極めて相対的、流動的なことで、合意がない場合にはこれはマイナスの要素として考えればいいわけで、コミュニケーションがとれないものもマイナスの要素、あるいは協力もできていないということはマイナスの要素として考えるわけで、プラスとマイナスというのは表裏一体になっているところがあるのです。プラスを判断してから、マイナスを判断しろということになりますと、二重のハードルを課すことにもなりかねません。プラスの要素を入れろという話でも、裁判所では、最後は総合的な判断になりますので、その辺りも、どちらかというと大きな、あるいは重大なマイナスの要素は判断がしやすいという点でいうと、諸外国も、プラスよりマイナスの要素がないか、重大なマイナスの事情を列挙するというケースが多いのです。
 ですから、この片方の1(1)アの親権行使を行うことができないときというのは、今でも規定があるわけなので、親権行使の困難性も、比較的客観的で、幅広い事情を含みうる点で妥当だと考えています。話合いができるかできないかとか、協力ができるかできないかというところになると、非常に主観的な要素が増えてきてしまうので、なかなか条文として採用するのは困難なのではないかという指摘をさせていただいたところです。
 ところで、先ほどからお話があるのですけれども、戒能委員からもあったのですが、この部会での議論の進め方は、事務当局や部会長がおっしゃったように、できる限り少数や反対の御意見も含めて、お話を聞きながらさまざまな意見を尊重して進めるということは間違いないと思うのです。それで、どこまで進んだのですかという確認ですけれども、4月18日に、単独親権という今の規定の在り方は見直しましょうというところで、皆さん一応の合意はできたのではないかと思うのです。それから、8月29日ですけれども、ここのところで、やはり離婚後の共同親権を全く選べないというのは問題があるのではないかという点でも異論もありましたが、部会としては一応のコンセンサスをいただいたと理解しています。もちろん、共同親権は決めなくても、事実上やればいい、やれる人はやればいいという御意見は確かにあったのですけれども、それが選択肢として認められないのはおかしいのではないかというところで、皆さんの反対とか慎重論はありましたけれども、大方の合意というのはあったと思います。ただし、具体的な中身とか基準とかというのはこれから更に詰めていきましょうということだったと思うのです。
 その辺りのところは、法制審議会の部会ですから、きちんと確認をしていただかないと困ります。このような積み重ねの中で、部会としては審議を進めているわけですから、まだここまでは合意していません、まだここまでは決まったはずではありませんという話になると、結局、時間をかけて調査や審議してきたことが、では次回はどういうことについてどう議論すればいいのかというのを蒸し返すようなことになりかねないと思うのです。その辺りは、私は今日、戒能委員からも御提案があったように、今どういうところまで進んでいるので、今後どういうところを議論すればいいのかというのは是非確認していただきたいと思うのです。そうでないと、これはまだ決まっていません、これはまだペンディングです、これは議論の余地がありますということになると、法制審議会の部会として責任をもった合意形成や議論ができないということにもなりかねません。結論がどうこうというのではなくて、国民の皆さんも関心の高い問題ですから、拙速に議論をするというのはもちろん慎みたいと思いますけれども、議論をきちんと重ねた上で早く進めるということも大切なことだと思うのです。ですから、その辺りは確認を是非お願いをしたいと思っています。
 基本的に賛成というのは、細かい部分について、こういうふうにあってほしいとか、私も法制審議会の部会も大分経験させていただいて、全員の一致か、それとも多数決かという、二者択一の白か黒かみたいな議論はしてこなかったと思うのです。むしろ、できる限り皆さんの意見を尊重して、民主主義ですから、少数意見も反対意見も尊重する、だけれども時間とかタイミングみたいな、時間の問題もあるので、納得していただくというので、私自身も、研究者個人としては反対をしたり、賛成できない部分について御意見は申し上げて、議事録に載せていただいて、最終的には、今後にいかしていただくという意味で了解するというのは、逆にこれは法制審議会の部会の委員や幹事としての責務だと私は思っているのです。個人の意見をずっと通してというか、あるいは、あるグループの皆さんの意見を言っていただくということは大事なのですが、最終的にはこれは法制審議会の家族法制部会のメンバーだけではなくて、国民皆さんが見ておられるわけですから、そこのところでこういう意見があった、こういう議論があったということを明らかにするために議事録があるわけです。そうだとすると、ここでは、自分の意見が通らないから、ほかの人の意見については同意できないから反対し続けることにはならないと思っているのです。
 少しくどくなりましたけれども、基本的には事務局の御提案について賛成をします。もっとも、表現ぶりについては最終的には、要綱案という形でもし取りまとめができたとしても、細かい表現とか、ほかの条文の整合性とか、様々な観点から専門のチェックが法制局から入って、調整をされるということになりますので、余り細かいことよりは、規定の趣旨とか目的みたいなものに照らして表現が本当に妥当かどうかという、これまでの議論はそうだと思うので、結構ですけれども、私は事務局の御提案に賛成したいと思います。
○大村部会長 ありがとうございます。棚村委員からは、全体としてこの提案に賛成であるということと、それから、これまでの委員、幹事から多く御指摘があった幾つかの点について、調整をするための議論の仕方について御示唆があったかと思います。あわせて、全体としての議論の仕方ということと、順序が逆になるかもしれませんけれども、民法の規定が持つ性質あるいは裁判所の役割といったことについての御意見を頂いたと理解を致しました。
 今、原田委員が手を挙げているのは分かりましたが、ウェブで大石委員から手が挙がっていますね。それから、石綿幹事もですね、ほかにもたくさんいらっしゃることが分かりましたが、時間が1時間半たっていますので、先ほどから手が挙がっている大石委員に御発言いただいて、そこで休憩をして、そのあと残りの方々に御発言を頂くということにしたいと思います。

監護者指定しても解決しない?

○大石委員

 大石です。棚村委員の後に何となく発言しにくくなってしまっている気持ちなのですけれども、一応、先ほどの事務局からのお返事も頂いたので、発言させていただきます。
 まず、第2の1(1)イの急迫の事情のところなのですけれども、私は法律家ではないので、法学上にどのように理解されているかということは余り詳しくはないのですけれども、とはいっても、この急迫という言葉は、やはり余り適切ではないのではないかと思います。必要性とか相当性とかという言葉もありましたし、あるいは赤石委員がおっしゃったように、別の文言を足すとかいうことが望ましいのではないかと。今日逃げなければ明日はもう命がないというような事情でなければ急迫ではない、と解釈されてしまいますと、やはり問題が生じると思いますし、どのように解釈されるのかというのは実は一般人からは分かりにくい、専門外の人間からは分かりにくいところがあると思っております。
 それから、第2の2(6)ですか、また以降の、子の利益を害すると認められるときはという、いわゆる共同親権をどうするのかの話なのですが、先ほど棚村委員もおっしゃったように、過去の議論におきまして私は共同親権を、選択の自由を認めるという議論の中で、それであればよいのではないかと合意したということは自分としても覚えております。ただ、それがデフォルトになるかということについては疑問があるということは申し上げたとおりですし、現時点においても、やはりオプションとして選びたい人が選べる、そういう選択の自由を認めるというスタンスで合意したということであることを、もう一度私の立場を明確にさせていただきたいと思っております。
 それから、その中での子の利益を害する、先ほどの急迫もそうですし、利益を害するもそうで、やはりどうしてもこういう法律条文は価値判断が入ってくるところがあって、その害の及ぶタイムホライズンがどのぐらいなのかという点に疑問があります。子育てをしていると、こどものかなり長期的な発達とか成長を考えて、現時点でこれがベストであるというような選択をしていくわけですので、今日明日に害が出ないというようなことで判断されるようなことがあると、やはり望ましくないのではないかと。ですから、そういうネガティブ表現よりは、子の最善の利益にかなうということで裁判所が共同親権を判断するというようなことであれば、私は全く異論はないと考えております。
 それから、3(1)監護者指定のことですけれども、これも過去にも何度も申し上げておりますけれども、私自身はやはり監護者指定はしておいて、コンタクトパーソンははっきりさせておいた方が、こどもにとっては安心して成長することができる基盤となり得るというスタンスでおります。(1)の中で、必須とする旨の規律は設けないということがあるのですが、共同親権について議論していたときのように、真摯な議論ができる父母であれば、やはり子のベストな状況、最善の利益を考えて、監護者指定もやはりできるはずだと考えておりますので、監護者指定はしておくべきだと考えております。
 以上です。ありがとうございます。
○大村部会長 ありがとうございます。大石委員からもこれまでの委員、幹事の御発言が集中している3点についての御意見を頂戴いたしました。急迫の事情ということについてと、2の(1)と(6)の構造及び(6)の判断要素ということについての御理解と御意見、そして最後に3(1)についての御意見を頂戴いたしました。
 ここで、先ほど申し上げましたように、10分ほど休憩させていただいて、改めて他の委員、幹事の御発言を頂きたいと思っております。15時ちょうどですので、10分休憩いたしまして、15時10分に再開したいと思います。休憩いたします。
 
          (休     憩)
 
○大村部会長 それでは、時間になりましたので、再開させていただきたいと思います。
 たくさんの方が挙手されていたのですが、手元に回ってきたメモによると、小粥委員、石綿幹事、久保野幹事、水野委員、そして2周目で原田委員、武田委員、落合委員、佐野幹事、もちろんそれ以外の方の発言を制約する趣旨でありませんが、手元の覚えのためにそのように整理させていただきます。

単独親権の発想に拘束され過ぎているような・・・恐ろしいね、制度とは

○小粥委員

 委員の小粥でございます。第2の2に関連して2点申し上げたいと思います。
 一つ目は、2の(6)の先ほど来議論が出ているところに関わるところなのですけれども、結論としては、第2の2の(注2)の規律の内容をより具体的に定める観点から例示するという、これを本文に格上げした方がよいということになります。それが第1点です。
 なぜそういうことを申しますかというと、少し法の理念のようなことになるのですけれども、民法の規定は、こどもが生まれるとできるだけ早期に親というものを確保しようとしていると考えられる、私が学生に話すときは、親を確保しようとしているという話し方をするのですけれども、それは、まず母を確保し、そして婚姻していれば父が割と早く安定的に決まると。婚姻していなくても認知の仕組みによって父を確保しようとしていると。そうして一旦親になりますと、親が親権者として子の養育の責任を負ってくる仕組みが用意されています。この子の養育を負う責任、これまでのこの部会の議論を聞いていると、親権というのは自分が欲しいものだというようなイメージで語られることもないでもないような気もいたしますけれども、やはり子を養育する責務の面が大きいのだろうと思うのです。子の養育をする責務としての親権というのは、自分勝手に抜けることはできないものとして民法の規定はできているのだろうと思います。典型的には親権喪失、あるいは親権停止を裁判所が決めないと抜けることはできないし、辞任をすることができるという制度はありますけれども、それも自分でやめたいからやめられるというものではございません。
 そうだとすると、親権者を誰と決めるのかというのは、もちろん両当事者が合意して誰それを親権者と決める場合があるということを全く否定する必要はないと考えておりますけれども、これは一種の子の利益のための公序であって、全てその合意ないし選択だけに委ねるということは、その性質上なかなか、その法の理念という観点からすると難しいことではないかと思っております。なので、特に親としての責務を果たすべき人がオプションという形で抜けることができてしまうというような制度設計というのは、少し疑問が残るような気がいたします。
 そういう観点からいたしますと、先ほど申した(注2)のところで、こういう場合は駄目だということははっきりさせていただくということは、こういう場合であれば、裁判所の判断要素ではありますけれども、はっきりするので、要するに勝手にやめられるようなものではないというような趣旨もこういう形で、間接的にではあるけれども、はっきりさせることができるような気がすると、そういう意味で(注2)を本文に組み込むということがよいのではないかと、それが以上、第1点です。
 それから、第2点目ですけれども、どうやって裁判所が親権者となるべき人、あるいは親権者となるべきでない人を判断するのかの考え方の問題ですけれども、第1点について申し上げたように、法は親を確保すると、その親というのは全ての国民というか市民でありますから、いろいろな人がいて、とてもよい人もいれば、余りよくない人もいるし、とにかくいろいろな人がいて、でも、それは一旦親とされて親権者となった以上はその責務を果たすべきだということなのだろうと思うのです。そうだとすると、誰もが親になり得て、誰もが親権者としてこどもを育てる責任を負うという元々の理念というか、制度設計になっているのだろうと思います。
 そうだとすると、プラス要素を書いていくということだとすると、国がというか法律が在るべき親の基準を決めて、それに達しない親は親から排除されてしまうような書き方になってしまうような懸念もあるわけです。それがどうなのかということが申し上げたいことで、実質的に問題があるケースを排除すべきということについては異存はないつもりですけれども、法律の書き方として、在るべき親像を書くというのは、どうも、誰でも親になって、どんなこどもにとっても親としてその責任を負っていくというような法の理念からすると、その書き方としてはやはり、マイナス要素を書いていくと、しかし排除すべきところは漏れなく排除するというようなことが望ましいのではないか、以上が2点目でございます。
○大村部会長 ありがとうございます。小粥委員からは具体的な提案としては、(注2)を本文に掲げた方がよいということをおっしゃっていただきました。その前提として、親権に関する規定の公序性ということと、出発点をどこに置くのかということについての御意見を頂いたと理解を致しました。
 赤石委員、質問ですか、手短にどうぞ。

国が親を選別するって恐ろしいことだよ

○赤石委員

 ありがとうございます。赤石です。小粥委員に御質問なのですが、今おっしゃったことは、全ての人間が子を産む、あるいは産む配偶者になったり認知者になったりすることで親になる、親権者になるという可能性があるということをおっしゃっていて、そこについては、そういう可能性があるということを前提にしているという御議論と、そういう地平と、共同で親権を担うときの関係性、あるいは共同で親権を担うときにどのような状況であれば両方が担うことができるかという、婚姻というのは一緒に住んで、お互いに尊重義務というのがあったわけですけれども、それがないときに共同で親権を担うときの基準を考えることと、個別に親になるときの排除規定と、少し地平が違うところの御議論になっているように見受けて、誰でもなり得るということだと、別れたら、誤解があって聞いていたらごめんなさい、誰でも何もなければ共同親権になり得ますねとおっしゃっているように聞こえてしまいましたが、そういう御議論ではないのですよね。
○大村部会長 短くお答えください。
○小粥委員 私は、親に一旦なって、それで親権者になったら、それは勝手にやめられるものではないということを強調して言っているつもりです。それ以上のことについて申し上げたいことはありますけれども、赤石委員のおっしゃる受け取り方と、私が言っていることは多分違うと思います。
○大村部会長 今、小粥委員のおっしゃっている理解と、赤石委員は別の理解に立たれているということが一定程度明らかになったと思いますので、また後で追加の御発言があれば頂きたいと思います。
○赤石委員 理解がとても不十分なのだろうと思いますので、どこかでお教えいただければ幸いです。

婚姻と親子を紐づけて差別していることが明らかになる始末

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