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「失って初めてわかる」を予見していたけど、やっぱり起こった我が家

先日母が亡くなって父に大きな変化がありました。

仏前の母の写真に毎日話しかけているんです。

「今朝は寒いな〜」

「今日は畑でこんなのが採れたぞ」

「お茶でも飲むか」

「おやすみ」

で、私は思うのですよ。

ねえ、それ、生きている間にやってあげてたら喜んだと思うよ。

父は外面はいいのに母にはぶっきらぼうな人でした。

母が話しかけても聞いてないとか、おはようって言わないとか、わざとやってんじゃない?と思うことが多々ありました。

それがいなくなったら掌返しです。


父は昭和の典型な人ですから、思ったことを素直に出せなかったのかもしれませんが、母は楽しくなかっただろうな〜。

「お父さん絶対あとで後悔するよ」と思っていました。

父はいま母の写真に話しかけていますが、すっかり自由になった母は「あなたバカよね〜」と言っているのかもしれません。


「大事な人を失って初めてわかる」というのはドラマでも小説でもマンガでもよくあるテーマなのに、人は自分の体験としてでないと全く実感がわかないものです。

親や兄弟、特に生まれてからずっと一緒にいる肉親、そしてほぼ24時間一緒にいるダンナさんや奥さんのような配偶者、パートナー。

いなくなってからでは遅いのです。

「後悔」は後から気づくから後悔なのです。

目の前にいる人を「今」大事にしないといけませんね。


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