私の税理事務所敗戦記 EPISODE5
先日、こがねむしクラブ会員の税理士たちにあったら、このシリーズを楽しみにしているという声を多く聞きましたので、頑張って続けます。
今回は本来のタイトルに戻って、ガチで敗戦記を書いてみたいと思います。
1996年に大阪市内で開業後、大栄税理士学院で所得税を教えたり、ネットベンチャー企業のCFOを経て、京都市内に事務所を移しました。
大栄税理士学院時代の教え子に事務所を手伝ってもらいながらボチボチとやってました。その頃は、インターネットでの税理士紹介業者が出始めた頃で、早くからホームページを持っていた私のところには、次から次へと紹介案件がきてかなりの高確率でクロージングできていました。
また、この頃、高杉良さんの「不撓不屈」という本に感動してTKCにも入りました。
事務所が手狭になってきたのと、京都府最南端の自宅から京都市の中心部へは通勤時間がかなりかるので、京都市の南の伏見区に事務所を移転しました。
このころからわたしのしくじり先生が始まります。移転するまでは、開業のとき借りた国民金融公庫への返済も終わり、無借金状態でした。
しかし税理士紹介業者に毎月数十万円前払いの報酬を支払うようになり、また金食い虫のTKCへの支払いも重なって、資金繰りが急速に悪化し始め銀行から300万円ほど融資を受けました。
その時点で、教え子は勉強に専念するため退社したので、税理士事務所経験が豊富なパートさんふたりを雇用し、私はTKCの月次巡回監査方式で毎日顧問先を訪問してましたが、件数が増え自分一人で顧問先を訪問することが難しくなってきました。
そんな頃に、私の事務所のHPをみて、雇ってほしいという女性がやってきました。彼女も経験が豊富で猫の手も借りたい状態だったので雇用したいところでしたが、ご家庭の事情で正社員雇用が条件でした。
その当時、資金繰りがカツカツの状況で正社員を雇用するのは如何なものかと悩んだのですが、ある勉強会の懇親会でTKCのベテラン税理士の先生に相談しました。
いわゆる大艦巨砲主義時代の税理士さんなので、
「いいと思うなら、借金してでも雇いなさい、TKCに税理士向けのローンがあるから俺が口を聞いたるから。」
ということで口を聞いていただきTKCから人件費1年分くらいを借りました。同時に、別のパートさんの方もご家庭の事情があったので正社員になりました。
カツカツの状況から、人件費が一気に年間500万円ほど増えました。
それでも正社員になってもらったおかげで、顧問先の月次訪問も任せられるようになり、組織っぽくなったのですが、利益が激減してますます資金繰りが厳しくなりました。
これに追い打ちをかけたのが実家と親戚の会社の倒産です。
独立のときから、親と親戚の会社、数社から給料と税理士顧問報酬を年間500万円ほどもらっていました。しかし倒産によってこの500万円がゼロになってしまったのです。
つまり、カツカツの状態から人件費が500万円増えて、売上が500万円下がったので、足し算すると年間利益がマイナス1000万円も減りました。当時売上が2000万円台でしたから大打撃です。
一番ひどいときの事業所得は100万円ほどで、これもクレジットカードの支払いを経費からはずすなど粉飾気味でしたので実質事業所得は赤字でした。
すかさず不審に思った税務署が調査にやってきました。しかし脱税するどころか、利益を増やそうとしている様がありありと分かったので、
調査にやってきた統括官に
「わたしも、もうすぐ退官して税理士になるんですけど、税理士さんて大変なんですね。」
と慰められて、午前中早々に調査は終了しました。
このへんから更に転落がスピードアップします。
ひとつの原因は勘違い。
実家の倒産で得たいろいろな教訓をもとに書いた本が、そこそこ売れました。2冊めの本のオファーを大手出版社から頂き、日経ベンチャー(現在の日経トップリーダー)にも大きく取り上げてもらいました。
これで
「けっこう、俺っていけてるんちゃうの?」
と自分の実力を過信し、さらに借金を増やして、駅前の広い事務所に移転しました。
ここで前々回書いた、税理士のフランチャイズに加入し、また借金を増やしました。
(今から思うと、なんと愚かな)
旧日本軍が失敗した、大陸への戦線拡大を始めるのです。
クラウド時代が始まったので、インターネット時代の先駆者でイケてる俺はとにかく今ある全ての税理士向けのクラウドサービスをためしてやるんだと、Mykomon, Bizup, a-Saasなどに手を出していきます。
自社でもトリプルアイというクラウド上で、作れる経営計画ソフトをつくり何百万円も業者に支払いました。(インパール作戦だ!だんだん、背筋が寒くなってきました)
とにかく金儲けの方法を探そうとマーケティング系などの高額セミナーにもいっぱい通い、高級車1台分くらいの受講料をはらいました。
(吐き気を催してきました)
そのなかで、良かったのはマインドマップで、その後インストラクターとして頑張り、ここでの学びは今につながっています。
TKCに入った頃は理念や方向性が明確でいい面もいっぱいあり従業員も働きやすかったと思いますが、実家の倒産に直面したときに、TKCのいうような綺麗ごとは危機においては通用しないと感じ、そこから税理士としての方向性がブレブレになりました。それは従業員にも伝わっていたと思います。
さらに借入れも増え、事務所の雰囲気も悪くなり、経営破綻が見えてきました。
貸してくれる銀行がなくなり、最後に借入をお願いしたのは、最初に人件費分を借りたTKCでした。このときの担当者であったKさんには感謝しているのですが、
「先生、これ以上借金したらだめですよ。」
と、叱っていただきました。
普通の銀行員の方は表面上は顧客に厳しいことをいうひとは少ないのですが、Kさんは、遠慮なく厳しいことを言ってくださいました。電話を切ったあと、文字通り悔し涙を流したのですが、これで目が覚めました。
そんな頃、自宅と同じ町内にあった学習塾が移転し空き家になっていました。
前を通るたびに、「ここで仕事ができたらいいだろうなああ、経費も大きく減るだろうし。」と思っていました。
また商店街で生まれ育った私は、職住近接への思いがあり、まだ幼い子どもたちと毎日一緒に夕食を食べられる生活に憧れを感じていました。
妻に相談したところ大賛成でした。条件として事務所の一階をお菓子教室にするということでした。
それで2008年のゴールデンウイーク明けに、スタッフを集めて近藤学税理士事務所の解散宣言を行いました。
ただしスタッフを解雇するかわりに、在宅勤務での請負契約、報酬は完全歩合で経費分上乗せするので今の給料よりも多くなるというもの。副業はもちろん干渉しない。
最近流行りのスタイルを先取りしていました。
その後、この形態を8年間ほど続けましたが、税理士法に抵触するおそれがあるので現在はこのスタイルはやめています。
そして、今は、高い授業料だった借金の返済をせっせと行っています。
我々の業界では、顧客に積極的に借入を勧める人と、極力借金をさせない人がいます。
現在は、借入が比較的楽なので、積極派が優勢です。
私の立場は、自分の経験をふまえその中間です。
つなぎ資金がなければ事業がストップするので、そういう時には必要です。輸血のようなものです。
またリターンが確実に見込め、レバレッジをかけられる場合も必要でしょう。
銀行は、晴れた日には傘を貸すけど、雨が降れば取り上げる。
だから晴れの間に借りるだけ借りておけという理屈も聞きます。
確かに、経営は晴れの日ばかりではないので、一見その理屈は正しそうに思います。
しかし強い風が吹けば傘は吹っ飛ばされてしまいます。
最初から10本も傘を持っていたら、当分大丈夫。なくなったらまた傘を借りればなんとかなると考え、本来必要な雨風を防ぐ穴を掘ったり、建物をたてる力を養う機会を失ってしまう可能性があります。
すべての傘を失ったたときには、すでに、ぜい肉だらけで立ち上がる力を失っているかもしれません。
私は幸いなんとか立ち上がることができましたが、ついたぜい肉(返済)が重石となっています。
まずは経営の筋肉を鍛えその上に脂肪をかぶせてパワーアップするのがベストなのでは無いかと考えています。
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