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ネネ・ハンプデンは愛されたい



「ネネちゃん、ここまで暑かったでしょ? 今日は朝から陽射しガンガンだもんね」



 ナノカが、帝国ジュニアアカデミー入学以来の友人である少女のためにコーヒーを淹れながら訊いた。
 工房のあるじがひと仕事を終え一休みに入るであろうころを見越し、ネネ・ハンプデンが籐のバスケットをたずさえプロスペロ発明工房トリスティア支店を訪れたのは、昼下がりのことである。

「ええ、この季節らしい陽気で。暑さで悪くならないよう差し入れの料理にも気を使いました」
「ネネちゃんの差し入れは、いっつも美味しいからね。この間のポトフなんかお野菜大ぶりでゴロッとしてて……思い出すだけでうっとりするよ。今回も期待しちゃうな、とてつもなく」
「まあそんな、ナノカさん――お世辞を」

 ネネは、ちょっと戸惑ったような視線をナノカに向ける。

「あまり持ち上げられると怖いですわ」

 が、あくまで表面上だけのこと。ナノカがお世辞抜きの本心からの言葉を向けてくれているのは〝ナノカの一番の親友〟を自認するネネにはよく分かっている。

「そのように人をからかわれては」
「ええ? そんなことはないけど……」
「冗談でないのなら、お願いですのであまり過度な期待をしないでくださいな。いつも通り、たわいもない趣味の素人料理で――」

 などとすまし顔で受け答えつつも、ネネは内心のニヤニヤがとまらない。

(ナノカさんに期待されている……ああ、山より高くうれしい……)

 ネネは相好を崩しそうになるのを必至に堪えている。

「んー、それにしても暑いっ。精密作業中は窓を開けられないせいで、すっかり熱が籠もっちゃって。ネネちゃん、へいき?」
「大丈夫ですわ、お気遣い無く」

 幼いころからのお嬢様教育、しつけのたまもので、ネネはとおりいっぺんの暑さ位で佇まいを崩すことは無い。かといって生理的反応がキャンセルされようはずもなく額にはうっすら汗がにじんでいた。

「でもね、ネネちゃん。本日の暑さとワンセットで、これは運が良かったかも」
「といいますと?」
「ついさっき出来たてホヤホヤ、ちょうど納品バージョンが完成したんだよ! まさに、本日、この瞬間、この効果を味わうには絶好の日なのです♪」

 ナノカは、作業台の上に置かれた地金色も真新しい装置を指さす。

「トリスティアの街興しに関わる発明品ですか、もしかして?」
「その通り! トリスティア港の管理組合からの依頼でね。では、さっそく試運転をば!」

 と謎の装置の操作を開始する。
 するとヴゥンヴゥンと身体の芯まで響く作動音。それと共に下段の受け口から大量の白いモヤが噴き出し、

「まあ――!?」

 程なくクリアな氷粒がばらばらと吐き出されてきた。

「すごい、氷がたくさん?」
「よーし、E式製氷機、成功だよ♪」

 トリスティアは帝都のような先進地域とは異なる。そこで調達できる材料類では、いろいろ制約も多いだろう。なのにそれをものともせず、ナノカの工房は次々と魔法のような道具を生み出してゆく。

(最初はとても不可能と思いましたが、これなら本当にトリスティアの復興も成るかも……)

 ネネが目を丸くして感嘆の声を漏らす間にも、装置は次々と氷粒を吐き出し続ける。

「氷の出来具合も問題無さそうだね。想定よりちょっと音がうるさいけど」

 使う場所は港の海産物倉庫って話だし静音化は今後作ることになるであろう派生品への課題に……と独りごちつつ装置を停止させたナノカは、出来たての氷を手際よくグラスへ詰め、

「ちょっとヌルめにドリップしたコーヒーを注げば……ほうら♪」

 アイスコーヒー! と満面の笑みで高らかに宣言した。
 ガムシロップの入ったピッチャーと一緒に小盆に乗せ、まだびっくりした表情のままのネネへ差し出す。

「こ、これはありがとうございます。この工房は、いつも驚きに溢れて……帝都の本家プロスペロ発明工房に負けないくらいですわ」
「それは嬉しい評価だね。ささやかだけど、これはトリスティア初だよ。今の所、わたしたちふたりだけの贅沢」

 ふたりだけの――という言葉にめざとく反応したネネの表情がトロンとゆるむ。
 世界有数の超富豪一族ハンプデンの息女、トップレディになるための帝王学を仕込まれ、自他共に認める支配者階層として、普段使用人たちなどの前では12才という年齢にそぐわぬ風格を漂わせる少女ではあった。しかし、ことナノカの前では、ただの乙女になってしまう。いや、ナノカと親友以上の関係を築きたいと日々真剣に考えているのは、〝ただの乙女〟のありようとは、いささか異なるものだろう。でなければ「親の庇護から離れ、自分を見つめ直してみたくなった」などと最もらしい理屈はつけているものの、いくら親友といえ遠く帝都からアカデミーを休学してまで一途にナノカを追いかけて来はすまい。
 もっとも当のナノカは、
 ――さすがネネちゃん、いろいろ考えてるね。なるほど、うーん、自分を見つめ直す、かあ。
 ネネの言葉を額面通り受け取っているようではあったが。


「どう? 問題無いようなら食品系の新メニューとしてトリスティア各地の飲食店に売り込もうかなって」
「ああ、なるほど。この先の商品化を睨んだ試飲もかねているのですね」

 ネネは、ナノカお手製のアイスコーヒーを、くんと香りを一嗅ぎ。

「この控えめな香りと露をまとった涼しげなグラスの佇まい……うっとりします。まるで帝都の高級喫茶店のような」

 それに対し、ナノカは少しばつが悪そうに頬をかいた。

「実は、豆は高級っていうほど良いものじゃないんだよ」
「ふむ……」

 少量、ひと口だけ含んでワインのテイスティングのようにして舌の上に転がす。

「そうですね、この香り……香料を後付けしてますわね」
「さすがネネちゃん、めざとい」
「豆の質はあえて?」
「うん、香料を使って雰囲気だけでもって……ネネちゃんみたいな舌の肥えた人にとっては邪道かもだけども」
「いえ、ごく一般的な店のメニューとして出すことを考えれば現実的な選択かと。ただ、それだとどうしても味が濁りますわ。……個人的には、あともう少しだけこだわって欲しいかと」
「ふむ……なるほど、ね」

 やや辛口評価ではあるが、ナノカ自身も納得のゆくところらしく、ふむふむとその後もネネの言葉に頷いている。
 が、ネネにしてみれば、
 ――ナノカさんの作るものは最高です、至高です、夢のような味ですわ!
 と反射的に口から出かかる言葉を何度も飲み込んだ末の苦渋のコメントだった。
 ナノカが目的とするトリスティアの街興し。それに関連しての商品化を見据えていると聞かされた以上は、こちらも真剣に向き合うべきだとネネは思っている。

(情に流されるまま、いい加減なことをすれば、いずれナノカさんが恥をかくかもしれない……)

 もしそうなれば、

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