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恐れのない世界

日々の選択はほとんど無意識化で行われる。

なぜ選んだのか。
どういう意識で選んだのか。

その「意識」に目を向けてみるってことを
ここ数年ずーーーっとやり続けている。


無意識で選んだことの「背景」にあるものは何か。隠れているものは何か。


「恐れ」というものをわたし自身も持っていて
何を恐れているかは人によって違う。


自分自身が堕落することであったり
出来損ないの欠陥品であることだったり

価値がないことだったり
愛されないことだったり

役立たずで無能なことだったり
居場所がなくなることだったり

奪われることだったり
コントロールされることであったり。

人にはいろんな「恐れ」がある。


日々の選択を
その恐れを回避するために
無意識で選んでいたり、する。


「こんな発言したら
職場に居場所がなくなるかもしれない。」
と思うから言えない、とか

「こんなわたしを知られたら
愛されないかもしれない。」
と思って、素のわたしではいられない、とかね。


どんな種類の恐れをもっているかで
選択も変わってくるし

恐れと向き合って
「本当に怖いかどうかみつめてみる」
ということだってできる。


その結果、
なーんだ。大丈夫じゃん。
と安心できたりもする。


わたしはね、
わたし自身コントロールされるのがすごく嫌いだから、だからこそ、人のことをコントロールしてしまうことが嫌だった。


思い通りにしたい自分と
そんなことをさせたくない自分。


誰かの意思を捻じ曲げてまで、押し通したいなんてことはないのだけれど。


いろんな恐れから「言えない」を選択している人からしたら、どうやったってわたしの言葉は強くなるから。


親になって、
子どもに対してそうなってしまうんじゃないかとすごく怖かった。


今はもう怖くなることもないけれどね。


そんな恐れがあるんだな、と認識できたことが
わたしの中ではすごく大きかったんだ。


自分の恐れを認識して
それが無意識での選択に影響しているかどうかも確認してみる。


いらないものなら、やめてみる。
違う選択をしてみる。


そして、大丈夫だった、を重ねる。


その繰り返しってすごく大事なの。


でないとね、
無意識の恐れの確認を何度もやっちゃうからさ。


「ほら、やっぱりわたしってダメなんじゃん」
「やっぱりそうなんじゃん」

ってね。


心の調子悪くなるとそんな感じになりがちだからさ。


自分の心と向き合うって
何か乗り越えるとか
そういうのも悪くないけれど

大丈夫だよ、を重ねてあげること
世界は優しいよ、を身体に染み込ませてあげること

そういうことの積み重ねなんじゃないかなって思ってる。

わたしがみんなに伝えたいこともいつも同じ。


世界は優しくて美しいから
同じ世界を見ていっしょに感じていたい。


ただそれだけなんだよな。




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