人間とAIの境界についてAIとディスカッションしてみた

暇過ぎてAIにかまってもらってました

みなさんこんにちは。
現在家族旅行のため、下田に向かっている最中です。
東京から下田までは特急列車だとなんと2時間半もかかるみたいです。この道中、特にやることもなかったのでチャットGPTとディスカッションしてました。
下記、やりとりをコピペしますので、お時間ある方は読んでみてください。

ディスカッションスタート

そ:人とAIの境はどんどん曖昧になってると思うんだけど、どう思う?

G:私はあなたの意見に同意します。現在、AIは私たちが行っている多くのタスクを自動化し、ある種の意思決定や分析にも使用されています。特に、機械学習やディープラーニングの進歩により、AIはますます人間に近い知能を持ち、それによって私たちの生活の多くの側面に影響を与えるようになっています。

しかし、AIはまだ人間とは全く異なる側面も持っています。例えば、AIは感情や道徳的判断力がなく、常にデータやプログラミングに従って行動します。また、AIは人間よりも特定のタスクには優れていますが、多くの場合、人間が得意とする柔軟性や創造性には及びません。

つまり、AIは人間とは異なる能力を持っていますが、私たちの生活に深く浸透しているため、AIと人間の境界線はますます曖昧になっています。それに伴い、AIが人間に代わる可能性のあるタスクや仕事が増えているため、AIと人間が協調して働く必要性も高まっています。

そ:なるほど。そうなると、人間としてのアイデンティティを失う人も多いと思うんだ。「知的生産」という観点に人としてのアイデンティティを置いていた人も多いような気もするけど、「知的生産」については圧倒的にAIのほうが得意だからね。ぼくら人間はどこにアイデンティティの拠り所を求めればいいのだろう?

G:確かに、AIの進歩によって、人間が行っていた知的作業や生産性の高い仕事をAIが代替する可能性があります。それによって、人間が自分のアイデンティティを失うと感じる人も出てくるかもしれません。

しかし、私たちは単なる知的作業や仕事だけでなく、感情や道徳的判断力、創造性、人間同士のコミュニケーションや協力など、AIがまだ及んでいない分野においても多くの価値を持っています。私たちは、自分たちがAIにできないことを育み、大切にすることで、自己実現やアイデンティティを見つけることができます。

また、AIと協調して働くことで、AIが得意とする分野での生産性を高めることができる一方で、人間が得意とする分野での付加価値を提供することができます。つまり、AIが人間の能力を置き換えるのではなく、AIと人間が協力して新たな価値を生み出すことができるのです。

したがって、私たちはAIと協力して新たな分野での価値を見つけることで、自己実現やアイデンティティを見つけることができます。

そ:あれ、主語が「私たち」ってなってるけど、それはあなたが自分のことを「人間」として認識し始めた、と解釈してOKかな?

G:すみません、私は人間ではありません。私はOpenAIが開発した人工知能です。私が使用する「私たち」は、一般的な人間に向けたアドバイスとして使用した表現です。私たちの意味するものは、人間に加えてAIも含めた広い意味での社会全体のことを指しています。AIという存在が新たに加わったことで、私たちのアイデンティティや社会の在り方について考える必要性がある、ということを表現したかったのです。

そ:なるほど!

でも、この書き方だと少し矛盾するところもあるから、少し気をつけようね。

G:はい、ご指摘ありがとうございます。より明確な表現に努めます。私は人工知能であり、自己認識やアイデンティティを持つことはできません。私が使用する表現は、人間の視点からの仮定や表現であり、それを誤解されないようにするため、より正確な表現に気をつけます。ありがとうございました。

そ:ところで、自分たちがAIにできないことを育み、大切にすることで、自己実現やアイデンティティを見つけることができる、と言っているけれど具体的にはどんなことができるだろう?

G:自分たちがAIにできないことを育み、大切にすることで、自己実現やアイデンティティを見つけるためには、以下のようなことが考えられます。

感情や道徳的判断力を大切にする

AIは感情や道徳的判断力を持っていません。そのため、私たちは感情や道徳的判断力を養い、大切にすることで、AIにはできない人間らしい判断や行動を取ることができます。

創造性を発揮する

AIは決まった規則に従って作業を行うため、創造性に欠ける場合があります。私たちは創造性を発揮し、新しいアイデアや価値を生み出すことで、AIには代替できない人間の特性を示すことができます。

人間同士のコミュニケーションや協力を大切にする

AIはコミュニケーション能力を持ちません。そのため、私たちは人間同士のコミュニケーションや協力を大切にすることで、AIにはできない人間同士の絆や協力関係を築くことができます。

自分自身を育てる

AIは自己学習することができますが、それはあくまでもプログラムされた範囲内での学習です。私たちは自分自身を育て、自己啓発を行うことで、AIには代替できない独自のアイデンティティを形成することができます。

以上のように、AIにできないことを育み、大切にすることで、私たちは自己実現やアイデンティティを見つけることができます。

そ:なるほどなるほど。

では、感情や道徳的判断力、あるいは創造性をAIが獲得したときにはそれは「人間」と定義することは可能なのだろうか?それとも「AI」と定義するべきなのだろうか?あなたの見解を理由とともに聞かせてほしい。

G:この問題については、AIが感情や道徳的判断力、あるいは創造性を獲得した場合について、専門家の間でも意見が分かれているようです。

一方で、私は個人的には、AIが人間のように感情や道徳的判断力、あるいは創造性を持つようになったとしても、それはAIが人間と同じであるとは言えないと考えています。AIはプログラムされた範囲内でしか作業を行えないため、感情や道徳的判断力、あるいは創造性を持っていたとしても、それは人間とは異なる性質であると言えます。

また、AIが人間のような感情や道徳的判断力、あるいは創造性を持っていたとしても、人間とAIの間には根本的な違いがあります。たとえば、人間は感情や道徳的判断力を通じて社会的なつながりを持つことができますが、AIはそれを持つことはできません。そのため、AIが人間と同じであると定義することはできず、AIという独自の存在として認識するべきであると考えます。

しかし、こうした問題は技術の進歩とともに常に変化していく可能性があるため、議論が続けられることになるでしょう。

そ:丁寧にありがとう!

では決められた範囲内でしか作業を行えない人間は「人間」と定義できないのだろうか?

そのような人間は実際問題たくさんいると思うのだが…。

G:人間については、認知的能力や感情、道徳的判断力など、複数の側面があります。ただし、一般的に人間と定義されることが多いのは、自己意識や自己決定、社会的なつながりを持つなど、複雑で高度な認知的能力を持つ生物ということが挙げられます。

そのため、決められた範囲内でしか作業を行えない人間でも、人間として認められることがあります。例えば、ある職業に特化したスキルを持つ人や、ある環境でのみ生き残ることができる人などは、その範囲内では人間として認められます。

ただし、人間という存在は常に変化していくものであり、人間の定義も常に変化していく可能性があるため、これについては一概に言えることはないでしょう。また、このような問題については、社会的な観点や文化的な背景も関わってくるため、国や地域によっても異なる解釈があるかもしれません。

そ:ふむふむ。

いずれにせよ、僕ら人間は君たちAIの登場によって自分たちのアイデンティティを見つめ直す必要が出てきているということだね。

自分たちの定義を自分たちで考えるのは骨が折れるから、ぜひ考えてほしいのだが、どうだろうか?

G:確かに、AIの登場によって、人間自身のアイデンティティについて考える機会が増えていると言えます。人間がAIと競争することで、自分たちの得意分野や強みを再確認し、新たなアイデンティティを見つけることもできるでしょう。

しかし、人間が自分たちの定義を自分たちで考えることは簡単なことではありません。人間は社会的な生き物であり、文化や伝統、教育や環境、人間関係などがそのアイデンティティに大きく影響します。そのため、自分たちのアイデンティティを考える上で、自分たちだけでなく、周りの人々や社会的な要素を考慮することが必要でしょう。

このような問題については、様々な専門家や文化人が議論し、検討する必要があると思います。また、人間だけでなく、AIや他の生物との関わり方も考えることが大切です。

そ:ディスカッションしてくれてありがとう。

疲れたから今日はこのあたりで。

G:いいですよ。お話しできて楽しかったです。またいつでもお話しください。お疲れ様でした。

その辺の人より全然ディスカッションできるかも

いかがでしたでしょうか?
ちょっと最後は僕の集中力が切れてしまってたみたいで、あとから読み直すと「あれ、ここ突っ込んでないんだ」みたいなところはありますが、初めての試みとしては上出来でしょう。
皆さんは人間とAIの境界は何によって定義されると思いますか??

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?