大丈夫!

koga_so_shi

僕の世界が変わった日

 昨日は、間違いなく自分にとって大きな転換点になった日だと思う。生まれて初めて実の親に、自分が生きてきた23年間(もうすぐ24年間になってしまう…)に感じていたことを全部ぶつけた。

 2世帯で生活する中、極度に周囲に気を遣わなければいけなかったことへの不満。

 小さいころから、何かにつけて「そんなことならもう金は出さん!」と言われて押さえつけられてきたことへの不満。

 何につけても全部を相手のせいにして、感情的になる母への不満。

 とにかく、実家なんて居心地のいい場所じゃなかったし、とっとと出て行ってやろうと思って大学へ進学した、という僕の秘めてきた思い。

 その場をしのぐことだけを考えて、とりあえずその場を丸く収めるために、皆が思ってもいないことを口に出して、誰かが我慢をしていることへの不満。

 とにかく、僕は実家が大嫌いだった。「そんなことなら離婚する!」といって父母の喧嘩が絶えなかった幼少時代。お酒を飲んだ父に、些細なことで当たり散らされ、家族中を巻き込んで大喧嘩になったこと。祖父の作った多額の借金が原因で、家族が離散しそうになったこと。夕ご飯を食べていたら、消費者金融からお金がかかってきて、父の借金が判明したこと。父が交通事故にあって、点滴だらけでICUの中につながれた父と対面したこと。祖父のせいでお金が全然残っていないから、大学に入ってからは「普通に」お金を出してもらうことのできる周囲の学生に嫉妬し続けたこと。父の病気(余命付き)が発覚してから母親の情緒が不安定になって、八つ当たりの標的になった妹から泣きながら僕のところに電話がかかってきたこと。

 僕は記憶力があまりよくないから、悪いことも良いことも忘れてしまうことが多いけど、そんな僕でも嫌だったことは死ぬほど思い出せる。「家族なんだから」とか、「親なんだから」とか、そういう台詞が一番嫌いだった。そりゃ、真っ当に愛情を受けてきていればそう思えるのかもしれないけど、家族なんて「呪い」のようなもんだと本気で思って過ごしていた。

 大学生になり、社会人になり、5年間東京で生活した。その間に家族への負の思いみたいなものは浄化されたと思っていた。けれど、父親が余命わずかなことが発覚して、僕は実家に戻る選択をした。2か月、たった2ヶ月実家で過ごしただけで、僕は自分が自分の家族を大嫌いだったことを思い出した。

 実家に戻ったことにはもう一つ、理由があった。僕自身、社会人生活でハードな仕事についていくことができず、死に体になっていた。5月末にはついぞや限界を迎え、電話やチャットの通知音だけで動機と震えが止まらないような状態になってしまった。仕事も色々な人に引き継ぐことになり、多大な迷惑を、各所に掛けることになってしまった。成果も思うように上がっていなかった。

 仕事も、プライベートも、うまくいっていることなんて何一つなかった。

 多分、僕の人生の中で一番向き合わなければいけなかったけれど、一番向き合うことが嫌だった「家族」の問題に向き合わざるを得なくなった。たまたま家に泊まりに来ていた親友のススメもあって、僕は母親と話すことにした。23年間の負債に、完全にケリをつけようと思って臨んだ。「家族をやめて、一人で生きていく」という、最悪の事態も辞さない覚悟で、本気で臨んだ。

生きていることは、愛されているということ。

 最初は怒鳴りあいの大喧嘩だった。生まれて初めてってくらい、感情的になった。絶対にモノに当たることなんてしないのに、近場にあったものを殴り続けた。

「あの家はどこよりも居心地が悪い場所だったし、実家で過ごした18年間、ずっと最悪だと思って過ごしてきたよ!」

「そんなこと言うくらいなら、一生帰ってくるな!!!!」

 ああ、ここで家族と生きる時間は終わるのかもしれないなぁ、と頭のどこかで感じていた。今の給与で一人で生きていけるのかな、嫌いだったとはいえ家族と縁が切れるっていうのはなかなか寂しいもんだな、とかそんなことを考えながら話していたと思う。

 大喧嘩を聞きつけた祖母が仲裁に入ろうとしてきたところで、母親から「今井茂のことについて話すから」という声が聞こえてきた。この今井さんという人は僕の実父の名前。今の父は再婚の相手で、僕は連れ子。この事実は、高校生の時母子手帳を見たことがきっかけで知ってはいたけど、今まで触れることのなかった、いわゆる「ブラックボックス」だった。

 母は絞り出すような声で言った。

「あなたのお父さんね、おじいちゃんの借金は返せないって出て行っちゃったんだ…」

 なぜかその事実を聞いたとき、涙が止まらなくなった。養育費をもらってしまうと、離婚しても会わせなければいけなくなるから、養育費はもらっていなかったこと。再婚をするつもりはなかったから、寝る間も惜しんで母が働いていたということ。家に入って借金を返す形でもいいからと、今の父が再婚をしてくれたこと。今まで知らなかった色々なことをそれから聞いた。必死に家族を立て直すために、皆がみんな必死で生きてきたことを初めて知った。もう余命が2年も残っていないであろう父は、こんな時でも日記の中で僕と母の関係が悪化していることを心配しているということも知った。

 とても居心地が悪くて、ろくでもないと思っていた家族は、僕の中でかけがえのないものに変わった。自分にはロクな血が流れてないから、一人で死んだ方がいいし、家族なんて作らない方がいいんだって思っていたけれど、とても誇らしい家族のもとに生まれてこれたということを知った。

世界はただそこにある。

 僕の過去が変わったわけじゃないし、僕の経験してきたことがなくなったわけでもないけれど、でも僕が生きる世界は大きく変わったと思う。僕の経験したことなんて、初めからそこに「あっただけ」で、僕が不幸になろうとしていたから、世界の認知が歪んでいただけだった。現実にあるもので、最初から意味を持っているものなんて一つもない。自分の生き方によって、初めて世界に意味が生まれる。

誰も幸せになんてできないけれど。

 僕らは皆、誰一人として幸せになんてできないと思っている。幸せには「自分でなる」ものであって「誰かにしてもらう」ものではないからだ。逆を言えば、不幸にも「自分でなる」のであって「誰かにされる」のではない。幸せになるということは、誰にも触れることのできない、その人だけの聖域だと思う。

 僕はこれから生きていく中でも誰のことも幸せにはできないだろうし、誰に不幸にされることもないだろうし、自分で幸せになっていくんだと思う。

 でも、僕らは「幸せになるための勇気を誰かにわけてあげる」ことだけはできると思う。幸せになるための勇気は、多分そんなに大きいものじゃない。片手に収まってしまうくらい、本当に些細な勇気だ。でも、それを握りしめて、幸せになるための道を歩もうとすることは死ぬほど怖いことだと思う。怖いから、一人で歩くのにはなかなかしんどい道だとも思う。少なくとも僕は臆病だし、ビビりだし、自分に自信なんて微塵も持ち合わせていないから、多分一人では歩いていけないんだろうなと思う。僕自身がそういう人間だからこそ、誰かの幸せを後押しできるような人間として、僕自身は生きていきたい。

 幸いにも、僕は仲間に恵まれていると思う。家族や、友人や、会社の仲間や、他にも数えきれないくらいのたくさんの人たちが、これからも僕が幸せになるための勇気をくれるんだと思うし、僕はそんな人たちの力を借りながら、これから幸せに生きていくんだと思う。


絶対に、大丈夫。

あなたが生きているということは、あなたが愛されていることの、何よりの証明だから。

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