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ちあきなおみ~歌姫伝説~5 夜へ急ぐ人・後篇

「魂の歌!ちあきなおみ秘蔵映像と不滅の輝き」(令和二年十月九日初回放送・BS―TBS)は、TBSに残るちあきなおみの秘蔵映像とともに、その魅力を徹底追及してゆく、というものだったが、私は画面を真正面から見ながら不思議な感覚に囚われていた。
 歌謡曲、ブルース、シャンソン、ファドと、様々なジャンルを歌いこなすちあきなおみに、どうしても死のイメージが付きまとって見えるのだ。思えば私は、歌手活動の最後の一年間を舞台袖からしか見たことがなく、こうして正面を切って見るのは稀なことなので、これは新たな発見だった。
 画面の中で歌うちあきなおみは、あくまでも歌手としての動の部分で、私が見ていたのは静の部分なのだ。
 私は記憶が眠る心の湖に飛び込み、付き人時代へと水中を下降していった。

 劇場の長い廊下を、楽屋に向かってその人が歩いている。その背中を追うように、私は無言で付いてゆく。
 リハーサルを終え、本番に向けてその人は、ちあきなおみへと変わってゆく。その姿は、まるで死出の旅路に就く侍のような悲壮感と、静かなる殺気が漂っていた。
 そしてもうひとつは、ステージを終えるまでの、私が体感した、歌手としての"凄み"のことである。
 その凄みとはなんであったかということは追々述べたいが、歌へと向かうまでの静の空間にある息づかいや眼つきなどのあらゆる所作が、ちあきなおみという歌手の影が漂わせる匂いや気配、その想いをも伴ってよみがえってくるようだった。

 画面に目をもどすと、一曲を生きて死ぬ、一曲を歌い切る、その切れ味の鋭さに、やはり死のイメージが被さって感じられるのである。それは歌に対し、全身全霊で真正面から挑む、ちあきなおみの独特なる構えのあらわれであろう。
 だからこそ、一曲の歌のはじまりに、包むにあまる色香を放ちてそこに佇む姿を見るだけで、一編の女の人生物語に巻き込まれてゆくような、歌の中に飛び込めば、なにかただならぬことが起こるという、ぎりぎりの緊張感に支配されてしまうのである。
 予想どおり、私がノックアウト負けを意識しはじめた番組後半、その一撃はやはり「夜へ急ぐ人」だった。
 4K放送の高画質でよみがえるこの歌に、私の心の湖の奥底にある、四十年以上も前に見た紅白歌合戦での姿が重なり合い、鮮明な映像は、湖底に沈んでいた、あのとき私が感じたちあきなおみの"怒り"をも誘って記憶を浮かび上がらせた。私にはそれを懐かしむ余裕などなく、まさに今起こっている出来事として、あのときの残像が丘に上がって息を吹き返してきたのだ。これが、「なんとも気持ちの悪い歌」の生命力なのだ。

 今一度洗い直すべく資料をあたると、「夜へ急ぐ人」は、一九七四(昭和四九)年から一九九三(平成五)年まで開催されていた、「広島平和音楽祭」への参加作品として創られ、一九七七年の同ステージで初披露された。しかしながらこの歌は、音楽祭のテーマとは無関係だった、ということが特記されている。このことの背景には、以下のような事情が推測できる。
 この音楽祭の第一回目では、美空ひばりが一九七四(昭和四九)年十月一日に日本コロムビアより発売された、「一本の鉛筆」(作詞・松山善三 作曲・佐藤勝)を披露している。

シングル盤ジャケット


 この歌は、第二次世界大戦末期、一九四五(昭和二〇)年八月六日に、アメリカ軍により広島県広島市に原子爆弾を投下されたことによる、反戦の思いを描いた作品である。
 このことからも、「夜へ急ぐ人」は女の狂気を表現した歌であり、音楽祭のテーマにそぐわなかった、ということであると思われる。
 しかしながら、ちあきなおみはこの年、この「異端な歌」を紅白歌合戦にぶつけるという挙に出たのだ。
 これが気になる。お祭りムードの番組には、やはりそぐわない歌であることは明白であるのに、どういうわけなのか。
 そのひとつは、自身の歌手としての流儀にあったと思われる。
 私には、画面の中で間奏中、泣き声とも聞こえる台詞を発しているちあきなおみの、別の声が聞こえてきた。
「友川かずきさんの歌を聴いたとき、ああ、歌  というのはこういうものなのだと思い、泣けて泣けてしょうがなかった・・・・」
 これは、私がちあきなおみ本人から聞いた、忘れ得ない言葉である。それは、歌手としての動物的感受性であり、それまでの活動への懐疑でもあり、敷かれた道筋からの逸脱を意味し、伝説のはじまりでもあった。
 自らの魂を吐き出すかのような歌に、本能的に導かれた天才歌手の決断は迅速だった。


「少年時代は歌謡曲が好きで、舟木一夫さんとか、高校時代はジャニス・ジョプリンにハマっちゃって。ジャニスは凄いと、未だに思う。
『夜へ急ぐ人』は、あまり難しくて歌ったことがない。自分で創った曲だけど、この言い方しかできない。
 ちあきなおみさんとの出逢いは、大阪のテレビ局(全国放送)に出て歌って、それをちあきさんが聴いてらして、次の日大阪から帰ってきたら、ちあきさんの事務所から電話があり、歌を創ってほしい、ということでした。
 すぐに車がアパートに迎えにきて、事務所へゆくと、作曲してもらえないか、と。
 取り敢えず歌を聴かせてもらえますか、ということで、ちあきさんのコンサートにゆくと、ジャニス・ジョプリンを歌ってて、それがとにかく凄かった。恐ろしい世界に首を
突っ込んじゃったと思って。でも、ちあきさんとジャニスが一致しちゃって、簡単に鼻歌
で『夜へ急ぐ人』を創れた」

 これは、二〇一四(平成二六)年八月十七日にNHK・BSプレミアムで放送された、「ザ・フォークソング~青春のうた~」という番組の中で、友川カズキがちあきなおみとの出逢いを語ったものである。

 友川カズキは一九五〇(昭和二五)年生まれ、秋田県出身のシンガーソングライターで、
競輪評論家や画家としての一面も持ち、その才気溢れる活動は、多くのアーティストに影響
を及ぼしている。
 フォークシンガーの岡林信康の歌に感化され、ギターを持ち歌いはじめ、一九七四(昭和
四九)年、宇崎竜童に見出され、東芝EMI・エクスプレスより「上京の状況」(作詞・作曲・友川かずき)でデビュー。
 そして二枚目のシングル、「生きてるって言ってみろ」(作詞・作曲・友川かずき)で一
気に注目を集める。

 ちあきなおみが聴いたのは、この歌だった。
               つづく

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