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ちあきなおみ~歌姫伝説~    

はじめに


 今年、ちあきなおみが歌手活動を停止してから、三十年という年月が経過する。それは、最愛の伴侶であり、マネージャー、プロデューサーでもあった郷鍈治が逝去してからの時間の経過でもある。
 一九九一(平成三)年、私は郷鍈治の手によって、ちあきなおみの現場マネージャー兼付き人として社会に生を受けた。その翌年、郷鍈治は他界し、その後七年間、私はちあきなおみの下ですごした。
 二〇二〇(令和二)年、この期間における体験を綴った手記「ちあきなおみ 沈黙の理由」(新潮社)を出版してから、私は新聞、雑誌など数多くの取材を受けることとなった。
 しかし、"ちあきなおみ最後のマネージャー"と冠された私にとって、歌手、そして人間ちあきなおみを語ることは、些か背徳感を伴う役務だった。それは、私がちあきなおみと接した時間は、歌手としての時間よりもプライベートの時間のほうがはるかに長く、歌手としてのちあきなおみに関することは断片的に知っている程度であり、ほぼ無知である、ということに起因している。
 私がちあきなおみの個人事務所であるセガワ事務所に入社した頃、社長である郷鍈治は周りのスタッフに、「古賀に余計なことは一切言うな」と言っていたと聞いたことがある。それは、過去に起こったことや歌手としての変遷の歴史ではなく、ただ、今のちあきなおみを見つめればそれでいいのだという、若かった私に対する郷鍈治の思いやりに他ならない。
 だが、この「余計なこと」を知らずして、歌手・ちあきなおみを語ることなどできないということを、いくつもの取材をとおして痛感させられた。
 今回noteを書くにあたり、私はまるで自分自身のルーツを探るように「余計なこと」の中に分け入り、歌手・ちあきなおみを辿り直してみた。そこには、決して平坦な途ではなかった、ちあきなおみと郷鍈治の道程があった。
 復帰待望論が渦巻く中、ちあきなおみがふと私に漏らした、「私が郷鍈治とやってきたことは間違いではなかった」という言葉が、今も私の耳に強く去来する。

 郷さん、私は今、あなたの思いやりに背いて「余計なこと」を知り、これからも"ちあきなおみ最後のマネージャー"としての役務を、大きな喜びとして遂行してゆきます。
 読者諸賢には、この、ちあきなおみと郷鍈治が、愛のために、そして歌のために、ともに戦ったことこそが、"歌姫伝説"なのだと感じていただけれは幸せである。

(週に1~2本のペースで書いていきたいと考えております)




 


 

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