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The road to 御花畑

こんにちは。

先ほど、noterさんのビリギャルの話から、塾の先生の坪田さんってどんな人だろう?と思って検索し、何冊か出されている本に行き当たり、その中で、『「人に迷惑をかけるな」と言ってはいけない
というタイトルから思い出した話があるので、それを書きます。

…出だしが、長かったな。こんなの、私の脳内ではしょっちゅうだ💦

あ、つまり、その本は読んでません。(つまり書評ではありません。)


私の中で、人に迷惑をかけるな、というフレーズは何だか違和感があり、自分の息子には言わないようにしています。

とは言いつつ、自分が子どもだった頃を振り返ると、しょっちゅう母親に言われていた記憶があります。
そういえば、父からそんな事を言われたことはなかったなぁ。

思い出した話はそのことではなくて、去年の紅葉の時期に、近くの庭園に息子と遊びに行ったときのことです。
その庭園は、入場料を払って入るような整備されたところで、大概のお客さんは中年とか、おじいちゃん、おばあちゃんとか。
綺麗に手入れをされた日本庭園や池、そこを訪れる野鳥などを愛でるような場所です。なぜかうちの9歳の息子はそこが好きなんです。

その日は土曜日で、珍しく小学生がいくつかのグループで来ていました。
恐らく、休日に行われている学童の遠足的なイベントのように思います。

5名ほどのグループの子が、園内マップを片手に、
「あっちじゃない?」「いや、こっちだよ、きっと」
とやりとりをしていました。
どこから見ても、迷っているんだな~と思ったので、
「大丈夫?」と声をかけました。

一人の子が、私に反応しようとした時、もう一人の子が、
「だめよ、人に迷惑かけるなって、言われているじゃん。」
と、私に反応しようとした子を制止しました。

迷惑???

迷惑だなんて、思わないけど…と頭にぽかりと浮かんだ言葉を、そのまま口に出しました。
でも、その子たちは持っていた地図にもう一度目を落としながら、歩いて行ってしまいました。

迷惑…って一体何のことでしょう?
きちっと定義されないまま、大人は子どもにとりあえず言いますよね。
その結果、子どもは困っている時に、リクエストを出せなくなっています。道に迷って、助けを求めるのは、全くもって迷惑をかける行為ではありません。

自分で考えて、主体的に行動することは良いことです。
でも、困った時に、ひとりで問題をかかえて解決しようとすることは、どうなんでしょう?
以前の私なら、この点は引っかかってこなかったのかもしれません。
いいじゃん、その取り組み姿勢!結構、結構!
…なんて捉え方だったかもしれません。

でも、息子がADDで書字障害があると分かったことで、専門の塾に通い、そこで「困りごとがあったら、自分でヘルプを出せるようになる」を彼の目標にした時期がありました。
発達障害だと、何かしら社会や生活の中で困ることがあるだろう、という前提に立っています。
でも本当は、発達障害でなくても、社会で困る事っていっぱいあります。
そこで初めて、「困りごとを自分で解決する」のがいかにも素晴らしい姿と思い込んでいた自分に気付きました。

つまり、困った時に、人に頼っていいんだ…ってことです。

それが出来なくて、困っている大人、たくさん知ってます。
それが出来なくて、本当に本当に困った事態になってしまった人も知っています。
西加奈子さんの「夜が明ける」に出てくる主人公もそうでした。

以前、誰かにインドのことわざでこんなのがあると聞いたことがあります。

「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげて」

うん、こっちの方が、しっくりくるよな。


そうそう、庭園で出会った小学生グループですが、結局、しばらくして戻ってきたんです。
「御花畑に行きたいんですけど、場所わかりますか?」って。

そりゃあ、おばちゃん、ちょっと頼られたことで嬉しくなって、教えましたよ~♬

ね、誰かに頼ったら、その誰かの貢献感が刺激され、嬉しくなって、まさに頼った方と頼られた方でWin-Winな関係が作れてる。
そんな世界のほうが、いいと思うけどな。

(これが共同体感覚かぁ…)


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