【日記超短編】洗濯物の部屋

 その駅のホームを端まで歩いていくと私の家がある。家といっても一部屋しかない粗末な小屋のようなもので、どうしてこんな場所に建ててしまったのか覚えていないが、家を出るとすぐに電車に乗れるのが便利だし、電車を降りるとすぐに家に帰れるところが便利だ。
 だからとても気に入っているのだが、ひとつ困っているのは、鉄道の駅というのはどこもそうなのか、この駅だけの話なのか不明だが、雨がよく降るのだ。天気予報で快晴のマークが出ていて、じっさい空を見るとよく晴れている場合でも、まるで安心できない。ちょっと目を離すと雨がざあざあ降ってくる。おかげで洗濯物を窓の外に干すことができなかった。つねに部屋干しなので、ただでさえ狭い室内がいつも濡れた衣類やタオルで区切られ、湿気の多い迷路のようになっている。
 外からは雨、内からは洗濯物の水分で建物はいつもじめついて、黴も生えるし、傷みも進んでいるようだ。終電が去って駅の明かりが落とされ、周囲が静けさと暗闇に包まれるとき、私は心細い気分でよくこんな想像をする。いつかこの駅で大事故が起き、脱線した車輛がホームに乗り上げ、ささやかな我が家をなぎ倒していく光景だ。そんなことはとても起こりそうにないという憂鬱と、明日にも起こるのではという気懸りとで頭の芯が興奮し、朝まで寝つけないこともある。そんなときは始発列車が遠慮がちにたてる地響きと、車掌のどこか物寂しい安全確認の声を聞くと、なぜかほっとしてたちまち眠りに落ちるのだ。
 昼過ぎに目覚めても、部屋の洗濯物は生乾きのままだった。今日はひさしぶりに駅長が訪ねてきた。以前来た人と同じ人物かどうか、私は人の顔が覚えられない。駅長はいつも少しばかり世間話をして帰っていく。暇つぶしというわけではなく、私とこの家の様子を窺うためで、それも駅長としての業務のうちなのだろう。
 だが今日の駅長は今までと態度が違っていた。会社の方針が変わったのか。言葉の端々に棘があり、この狭苦しい家の玄関でそれらの棘に刺されると、私はなんともいえぬ居心地の悪さを味わう。立ち退きという言葉こそ出なかったものの、それも時間の問題かもしれない。
 だが私が求めているのは、金銭的な補償でもなければ抽象的な誠心のごときでもなかった。私はただ物理的にこのあばら家をなぎ倒してくれる力が欲しいのだ。鉄道会社はたしかにその力を持っている。誰よりも持っているだろう。私は駅長にそのことをわからせようと涙ぐましいまでに努めた。言葉に裏の意味を持たせ、暗示とほのめかし、それに目配せと最後には大げさに身振り手振りまでしてのけた。しかし私たちの〈話し合い〉は、おそらくまったくのすれ違いに終わっただろう。
 駅長が帰った後、ドアを閉めると背後から熱を持った湿気がざわめきのように襲う。部屋に張り巡らされた洗濯物の壁の中を歩けば、いつも一脚の椅子のあるところにたどり着く。この家同様、湿気に傷めつけられてぐらつく椅子は、私の唯一の安息の場所だ。ここからは窓が見えず、どういうわけか列車の音も聞こえない。いつか家ごと鋼鉄の波に押し流される瞬間には、ぜひここに座っていたいと願っている。生乾きのシャツやシーツがうまいこと体に貼りついて、酸鼻な光景に目隠しをしてくれるはずだ。

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