【日記超短編】舞茸

 小学四年生の夏休みにトンネルをくぐった。あれはどこのトンネルだったのだろう? 両親も弟もいなかった。わたし一人でとぼとぼと暗闇の中を歩いていた。トンネルを抜けると誰かが待っている、という確信があったと思う。たぶん約束していたのだろう。約束を破ったりしない、信頼できる大人が出口のところに立っていて、その姿も見えていた気がする。つまり大して長いトンネルではない、子供の足でも、途中でくじけたりする心配のない程度のトンネル。
 トンネルの壁には、ところどころ髪型のようなものが生えていた。髪の毛ではなく、髪型。つまりけっして髪の毛っぽくはないのだが、おしゃれな従兄のテルくんの髪型に似ているものが、等間隔ではないけれど、たぶん数メートルおきくらいに生えていた。
 今ならそれが舞茸だとわかる。そのときは、舞茸を知らなかったか、知っていても料理に入っている状態でしか見ていなかった。だから舞茸だと思わず、テルくんの髪型だな、テルくんの頭がちょうど彼の背丈くらいの高さに、壁から生えかけているみたい、と思いながら歩いた。さわったりはしない。ちょっと気味が悪かったのだと思う。もしそれが舞茸だとわかっていたとしても、トンネルの壁に舞茸が生えるなんてありえないから、やっぱり気味の悪い話だ。
 わたしはようやくトンネルの出口にたどり着く。そこで待ってくれていた大人が「ゆうみちゃん、一人でよく歩いて来れたねえ」と言ってわたしの頭を撫でた。わたしはトンネルの中を振り返った。そして一番手前に生えている「テルくんの髪型」を指さして、
「あれって何ですかね? トンネルじゅうずっと生えてたんですけど」
 と訊ねた。敬語だった。ということはつまり、そのとき目の前にいた大人は祖父母やおじおばではなかったのだ。かれらに対してわたしは敬語なんて使わなかったから。
 大人はわたしが指さしているものを見て、首をかしげたか、うなずいたか、とにかく何かちょっとした反応を示したけれど、返答はしてくれなかった。さあもう帰ろうね、日が暮れてしまうからね、などと言いながら近くに停めてある車までわたしの手を引いていき、それからたぶん車でわたしは家まで送ってもらったのだと思う。もしかしたら家ではなく、祖父母の家か、おじおばの誰かの家だったのかもしれない。わたしはよく一人でそうした親戚の家に泊まることがあった。親戚の家には自宅では会うことのないような変わった大人たちが出入りしていた。変わった大人にドライブに誘われたら、壁に舞茸の生えているような変わったトンネルに連れていかれ、そこを一人で通り抜けるように促される、ことだってあるかもしれない。
 でも考えたら、そういうのは一種の虐待なんじゃないか。だってその大人は、きっとトンネルの壁に舞茸が点々と生えていることを知っていたはずで、十歳の子供にそこを一人で通り抜けるよう仕向けたのだ。わたし自身、子供ながらにうすうす「これはちょっとやばいことをされているのでは?」という意識があったのかも。だからこのトンネルの話を夏休みの絵日記に書くときに、遠慮してブレーキがかかって、いろいろ細部の記述をぼかしてしまった結果、今こうして出来事の一部しか思い出せなくなっている。
 そんな経験をしたにもかかわらず、わたしが舞茸を嫌いにならなかったのは本当によかった。どちらかというと好物なのだ。そしておしゃれな従兄のテルくんは、三十歳のとき強盗殺人事件を起こして壁塗り込めの刑に処せられ、今もどこかの廃トンネルの壁に頭だけ出して埋まっているらしい。
 だからわたしの体験は、まるでテルくんの未来を予言していたみたいだなと思うのだ。

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