【日記超短編】故障中

 知らない町のホテルに泊まる。言葉は通じるのに、ホテルの看板も館内の案内板もみんな知らない文字だ。××××が故障している部屋しか用意できませんが、それでも構いませんか。フロントの男はそう言って、何度聞き返しても××××が何と言っているのかわからない。わからない言葉ということは、さして重要ではないものだろう。わたしはうなずき、渡された鍵の部屋に向かう。
 思いのほかきれいで広い部屋だ。荷物を下ろした私はほっとして、何が故障しているのだろうと室内を見渡す。窓辺に膝ぐらいの高さの四角い箱。その上に貼り紙があって、読めない文字だ。たぶん故障中と書いてあるのだろう。だが箱にはスイッチらしきものがなく、そもそもどう使うのかわからない。
 箱の写真を撮って友達に送る。これってなんだかわかる?
 するとすぐ返事があって、寝ている人間に忍び寄って箱の内部に取り込んで、切り刻んで破片をかき混ぜ、そこからもう一度同じ人間を作り直し、箱から吐き出して、目が覚めたときには何もかも元通りになっている箱だよ、と書いてある。
 そんなことして何の意味があるの?
 よく知らないけど、なんかすっきりしたり、リフレッシュするんじゃないかな。どのみち明日の朝になればわかるよ。
 でも故障してるらしいんだよね。
 じゃあ貴重な体験はできないってわけか。
 翌朝、わたしはなんだか体の調子がおかしい。どこがどうというわけではないが、動きが少しだけぎくしゃくして、言葉が出てくるのがコンマ何秒間だけ遅れたり、コーヒーが妙に熱すぎたり、水道の水を氷のように感じたりする。心の奥で無音の風が吹き荒れているような、そんな感覚。窓辺の箱を見ると、貼り紙に少し染みがついているのに気づく。昨日はなかったはずだし、血の色のように見える。
 なんだか不安になってきて、部屋のテレビをつけてみる。ところが電源が入らない。ゆうべはリモコンに手を触れていない。故障していたのはテレビだったのか。
 わたしはフロントに行って窓辺の箱のことを訊ねる。貼り紙がありましたが、あれはなんて書いてあるのですか。
 眠りは我から我への平らかな架け橋、夜毎越えるのは死の川。
 フロントの男はそう言い、両手を胸の前に合わせる。

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