【日記超短編】雑草

 こんにちは、と雑草の中から声がした。あんまり人と話したくない気分だったので無視する。誰かに撃たれて雑草の中に倒れ込んだとき、なんとなくそんな気はしていたのだ。つまり、これくらい深く草が荒々しく繁っているようなところでは、人に話しかけたくてうずうずしている先客がいたっておかしくはない。退屈なとき、誰かと話したくなる人とそうじゃない人がいて、わたしは後者のタイプ。まわりの景色と自分の頭の中を見回して、考え事のきっかけをさがしだす。たった今目に入ったものと、古い記憶の片隅がうまく結びついたら、そこからどんどんあみだくじを引くみたいに世界が思いがけない方向にひらけていく。それがいいのに、べつに気が合うわけでもない他人と上っ面だけ和気あいあいと会話したって、気分は暗くなるだけだ。
 そう思ったのに、雑草の中からの声はしつこかった。わたしが聞こえないふりをしていると、会話はあきらめたのか、それとも初めからそのつもりだったのか、その声は一方的に話しはじめた。こんなに深い草の中にずっといるとね、ここに来るまで自分がどんな人生を送ってきたのか、それどころかここがどんな場所で、どこをどう歩いてここにたどり着いたのかさえ、思い出せなくなってしまうの。はじめのうちは思い出せたはずなのに、思い出すだけじゃつまらないから、それ以外のいろんな可能性を想像したり、でっちあげたりしていると、どれがほんとうの道筋だったのかわからなくなってしまうわけ。ここには、犬の散歩で来たような気もするし、キノコ狩りに行く途中だった気もするし、うっかり殺してしまった友達の家のペットを、埋めて来た帰り道のような気もする。そのペットだって、熱帯魚やマルチーズ、三毛猫、黒うさぎ、いろんな可能性がクイズの選択肢みたいにずらっと並んで、どれを選んでもすらすらと自分の思い出みたいに話せるようになっちゃった。ずっと一人で、話してたんですよ。だから今たぶんすぐそばにあなたがいるでしょう? これはとても新鮮な経験で、なんだかふりだしにもどったみたいで、ちょっと興奮してるんです。せっかくだからわたしの話ではなく、あなたの話をしましょうか? つまりこういう趣向です。わたしがこのからっぽの心を目一杯使って、あなたの身の上を思い出して話してあげましょう。ここは、あなたの国の小さな町の外れの、まわりに家のない草原がずっと続いている、ひそかな土地。けれどあなたは、あなたの生まれた国を裏切って、まるでそっとナイフでこしらえた傷のようにその国の血を、隣り合う国へと送り込んでいたんです。草原はいつもの取引場所で、あなたは油断していたかもしれない。もっと頻繁に場所を変えるべきだったのです。あなたは待ち伏せされていた。最初の銃声を、あなたは立ったまま聞いたはずです。目の前で倒れ込むその人が、緑の海を分けて沈んでいくのを、信じられない気持ちで見下ろしていました。もう一つの銃声を聞いたと確信したときには、あなたも草の中にいました。ほんの数秒にも満たないような、そのわずかの差が、草深い世界の中では数百年にも値するということを、あなたはまだ知らずにいるでしょう。あなたはまだ忘れ始めたばかりだから、受けとめられるものが少な過ぎる。すっかり忘れきってしまうとき、あなたは知ることになるのです。草と土のこもった匂いの中で、歴史はいくつもの初めと終わりを同時に見通せるということを。虫たちの永遠のざわめきの内側で、わたしたちは無限に枝分かれしていく迷路に何度も現れる、敷石のひとかけらであったということを。

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