【日記超短編】土砂降り

 森の中のマンションに住人が誰もいない。それなりに古びた建物なのに今まで住まれていたという気配もなく、犬の散歩で前を通りかかるたび気になって眺めてしまう。犬も横で興味津々で眺めている。わたしに似て好奇心旺盛な犬なのだ。マンションの四階以上の窓には太陽の光が差し込んでいる。だから時々不動産屋の従業員が同行して、内見に来ている客の姿が見えることがある。もちろん、誰も借り手になったりはしない。こんな森の奥でマンションに住みたいという人間はめったにいない。森に住みたい人間は一軒家を求めるはずだ。
 今日はなぜかわたしより犬のほうが熱心にマンションを眺めている。リードを引いても石のように動かない。ここはまだ散歩コースの序の口で、夕飯の時間までに帰宅してシャワーも浴びたいから、そろそろ先を急ぎたいというのに。叱りつけているとぽつぽつと肩や腕に水滴が当たり、続けて頭上の木の枝が激しく鳴りはじめる。夕立だ。あわてて枝葉が密になっている場所に移動しようとするが、やはり犬は言うことを聞かない。わたしと犬はずぶ濡れになっていく。あきらめて大きなため息をつくわたしをちらっと振り返り、犬はおもむろに話しかけてくる。
「今日のような土砂降りの日に、森の中のマンションのベランダに佇み、小刻みに震える木々を上から眺めるのはどんなに素晴らしい経験だろう? 誰もがそんな奇妙に美しい想像力に身を晒す勇気の持ち主なら、この建物はとうに満室となり、空き部屋を待つ人々が不動産屋の店先に行列をなす光景が出現していたはずだ。現状がそうではないということが、人々の心に巣食う二十一世紀初頭的な貧しさの証明となっている。つまり都市をパノプティコン化する視点の権利を、タワーマンションへの入居によって手に入れることにはご執心だが、その実眺められるのは他人の家の屋根ばかりであり、自らが防犯カメラと万全のセキュリティシステムによる監視の内側に逆に閉じ込められていることには、ひどく無頓着である。そのような視線の相互的な経済効果と呼ぶべきものと無縁な、森を見下ろすという無償の行為に現代人が関心を示さないのは当然のこととはいえ、痛ましくはあるだろう。ここは旧時代的な視線の贅沢さが生き延びる可能性が、可能性のまま朽ちていく場所なのかもしれない。とはいえ、低層階に住んだ場合日当たりが悪く洗濯物が乾かないうえに、森に棲む大量の虫が窓から飛び込んでくるのでとてもお勧めできないが……」

 わたしは犬が喋ったという事実に唖然とするあまり、その話の内容を聞き取ることにまで頭が回らない。きっとひたすら下品で無教養丸出しな、様々な方面への配慮を欠いたジョークなどを連発しているのだろう。そう思いながら、鋭い歯の覗く大きな口の動きを見つめている。

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