【日記超短編】東京湾

 何年も前に家を飛び出していった猫が突然帰ってくる。どこへ行っていたの? と訊くと「東京湾」と答える。猫がしゃべった、という驚きよりも「どうして東京湾に」という疑問のほうが勝ってしまう。だって東京湾は猫がいなくなるより前に埋め立てが完了して、もう存在しないはずだから。でも猫はやはり東京湾にいたのだと言い張っている。うちのベランダからも昔は東京湾が見え、洗濯物が潮臭くなったものだと母は言う。だけど海はどんどん後ずさりしていって我が家の視界から消え、かわりにビルと道路が敷き詰められていく。それはあらゆる側の陸地から同時に起きたことで、蜘蛛の巣の穴を蜘蛛が修復するみたいに東京湾が消える。その最後の仕上げをテレビのニュース番組で見た覚えがある。あれはわたしが八歳くらいのとき、四方をビルに囲まれた隙間の土地にお皿みたいな水たまりがあって、スーツにヘルメット姿のおじさんがスコップで土をかぶせると、周囲から拍手が沸き起こる。あれが東京湾埋め立て完了の瞬間だったのだと思う。そう話すと猫は、猫のくせに「馬鹿だな」という顔をする。「騙されちゃってるよ、この子」という顔だ。おじさんたちは「我々は抜かりなく全部埋め立てましたよ」、というふりをするための儀式をしただけで、その後も水たまりサイズの東京湾は埋立地のそこここに無数に残っているし、中には池くらいあるのもあって、実際近所の人たちはみんな池だと思い込んでいる。でも淡水じゃなく海水で、海の生物が住んでいるから海なのだ、ということを片言で猫に説明されると、なるほどこの猫が自作のボートを東京湾の埋め残しに浮かべ、そこからひょいひょいと前脚で海の幸を引っかける釣りをしていた数年間も思い浮かぶというもの。だけどみんな過去の話になってしまったから、というのが猫の言い分だ。小さな無数の東京湾は、もう一度ひとつに合わさってビルと道路を海底に沈めるかわりに、無数のそれぞれ別の海になって他の海の存在を忘れてしまう。かつて東京湾だったことばかりか、海というのはこの世に自分だけ、だと思うから、名前がないことに甘んじて、その時々の雲の配置をたまたま映して顔にしてる。満足しきってる。むごいものだよ、まあ現実的な話としては、海に暮らすとやたらと喉が渇いてね、わざわざ真水をさがしに遠くまで出歩くのも億劫になってしまった、猫の寿命は短いからね、そろそろ自分も楽させてもらわないと。と、どこまで本当に猫がしゃべったことなのか。わたしは急に畳に広がる日なたの中で、きゅーっと細くなっていく瞳孔を見つめていると、すっかりわからなくなってしまう。

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