【小説】さびしい音楽、その他五篇


キャンディーバーOPEN
 そろそろぼくたちのキャンディーバーが開店する時刻だ。そう、それはまさにぼくたちだけのキャンディーバー。他の誰にも選ばせない、キャンディーの花園はラジオの中にある。始まった。オープニングナンバーは水色の綿毛入りキャンディーを舐めながら誰にも似ていない蝋人形シスターズの唄う「変わった腋の剃り方をするのね? あなた」。


および丸の接近
 昔家の前におよび丸が止まっていたことがある。および丸というのは誰かに呼ばれていることを察知するとやってくる船のようなものだ。なぜ「ようなもの」かというと、川や海だけでなく、時にはその巨体で町なかや山の上に現れることもあるからだ。その日はたぶん国道から市道を通って我が家の前に来たのだろう。いったい誰が呼んだのかと思うと、私は胸がどきどきした。その胸に手を当てて、自分の心の中にたずねたものだ。けれどおよび丸を呼ぶ気持ちが自分にかけらもなかったとは云えず、またその逆も云えない。私は苦しくて思わず心臓を握りつぶしそうになる。
 そのとき家の前のおよび丸が野太い汽笛をひとつ鳴らした。巨大な船のようなものは、ゆっくりと動き出し窓の外を通り過ぎていく。デッキに立つ乗客のようなものが手を振っている。思わず振り返した手を止め、私は自分の手のひらを見た。これはおよび丸ではなく、および丸のようなものではないのか。そう思ったとき正解のブザーのように汽笛が、いや汽笛のようなものが、私のようなものの耳に届いたのだった。


さびしい音楽(ショッピングのために)
 墓地の中にあるショッピング・モールは荒廃していた。そこをたらたらと歩いている中学生のカップルがいた。男は四つん這いで、女は逆立ちだった。墓地のショッピング・モールには彼らくらいしかいない。さびしい音楽が流れていた。ここで流れる音楽の演奏者はみんな死んでいる。それくらいしか彼らにしてやれることはなかった。昼間なのに星が出ていた。両手が重くてだらりと下げたまま歩いていると、ゾンビみたいだね、とカップルの話題にされる。そうです、わたしはゾンビ、ある意味においては。


ある世論調査
〈鰐天皇に賛成六十八パーセント〉という新聞の見出しに目を止めた。それから私は声に出して云ってみた。
「鰐天皇に賛成六十八パーセント」
 世の中の人々の六十八パーセントが、鰐が天皇になることに賛成している。これは驚くべきことだ。いつのまにかそんな社会になったのだろう? そんな時代に、と云うべきか。ともかくこの件について世論が十分に反映されるなら、次の天皇になるのは鰐なのかもしれない。もちろんお決まりの慎重論が立ちふさがり、次の次の機会まで判断は持ち越されるかもしれないが。
 鰐。緑色の口の大きな、平べったい危険な生き物。私も鰐天皇に大賛成だ。


娼婦について
 ニュー富士山のふもとに「ニュー富士」っていう名前のラブホテルがある。そこの七〇九号室に娼婦のQ・Tが住んでいる。
 心中事件があって以来客室に使われなくなってたその部屋を、Q・Tが格安の家賃で借りたのだ。死亡したのは鳶の男の子同士のカップルで、本当はニュー樹海で死のうとしたんだけど再開発の工事中だったので(今では複合型タワーマンションが建っている)、あきらめて近場のホテルに入って心中したというわけ。以来その七〇九号室に、死んだ男の子たちの母親ほどの年齢の女性が泊まると、すごい形相の幽霊たちに囲まれるようになった。若い男というのは理由もなく母を憎むものだからしかたない。Q・Tはさいわい幽霊を一度も見ていないが、いずれ半年ごとの契約更新をあきらめて部屋を出る日が来るのだろう。その日は彼女の引退の日よりも早く来るかもしれない。
 西へ向かう高速道路の車窓から見える、忘れられたようなラブホテルの名前に「ニュー」と付いていたら、そこはQ・Tがあの呪われた部屋から引っ越した先の、終の棲家なのかもしれない。


ラジオはもうじき無音になる
 さて、私たちの登場するラジオドラマが始まった。その頃(一九八〇年代)は私たちがみんなラジオに登場する時代だった。今ではもうそこに私たちはいない。はるかな現在、ラジオの響きは終わりのない美しい音楽のようなものに変わってしまった。その頃は、私たちがドラマになって生き生きと誰かの悪口を云い、前触れもなく後ろから殴り殺され、川が流れ、牛が草を食み、チューニングの針がぴん! と朝陽をはじいた。
 その晩も私はアナウンサーの声で朗読された。もちろん私のかわいい妹も、いたずらな従弟も、その草ぼうぼうの広場に座り込んでいる者はみな朗読された。私は私を読み上げるベテランアナウンサーの声で、妹たちにむかって「世界から金持ちと嘘つきが一掃される日のお話」を熱心に、呪文のように唱え続けたのだった。


(初出:ネットプリント「ウマとヒマワリ3」2018年4月)

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