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エピローグ〜乳がん(かも)備忘録⑦

5/24(火)、病理検査の結果を聞いてきた。夫もついてきてくれた。
タイトルから分かるように、この備忘録を私は終わらせている。つまり、結果は良性だった。

夫が、とても喜んでいたので本当に申し訳なかったが、私の中ではもう手術をする前の組織検査の結果が逆転の「良性」だったので、そこでもう終わっていた。

実は、3月の半ば頃から母親が腹痛を訴えてクリニックから総合病院に紹介されて診察・検査の嵐で、ことごとく私の検査とシンクロしていた。日にちがまるかぶりで付添に行けず、結果もハッキリしないのに私の病状も言えず、ストレスが3倍にも4倍にも膨れ上がっていた。
私には夫がいるのでどうとでもなる、しかし母には私しかいないのについていてやれないもどかしさ。加えて申し訳なさが毎日ドロドロと渦巻いて積み上がっていく。私の検査が「良性」だったことで、母の腸の腫瘍が「悪性」と交換条件になっているのではないかと思いこんでしまっていた。
自分の言動が、自分の身体を粗末に扱う様な言い回しになり、心配してくれている人達の気持ちを台無しにさせていた。

母親の結果が6/2に分かり、全身PET検査も問題無く、腫瘍も癌とはまた別なものと捉えて良いでしょう、進行性のものでは無いので手術を遅らせる、もしくはしないで様子を見ても良いと言う奇跡的な結果を主治医の先生が電話に出てくれて説明してくれた。
これに安堵して初めて、私の今回の乳がんの結果が結びついて、気持ち的にやっと終わることができたのだが、元々決まっていた手術の日は私が付添に行けないので、1ヶ月半ほど延期になった事が母には気に入らず、こちらの心配が台無しにされた事で、夫の心配を台無しにした自分を改め省みる事となった。

病気に対する心構え、情報の検索、医師への対応、全ては一人でできなかったではないか。甘えていたのだ。
結果は良性だが、私の性根が「悪性」だと言うことがよく分かった。
今回の事はこの先の夫婦関係を揺るがすかもしれなかった出来事となった。自分一人で生きているのではない事を肝に銘じて、日々健康に努めて精進しなくてはならない。奇跡的に「がんサバイバー」を免れたかもしれないが、今現在闘っている人達がたくさんいるんだと言うことも、よく肝に銘じて健康な身体でいられるように毎日を生きようと思う。

拙い文章をここまで読んで頂き、ありがとうございました。



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