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細菌戦は中国軍がやっていた

細菌戦というと日本では731部隊が有名となっているが、著しく歪曲された情報です。実際は中国、ソ連が主流であったことがわかります。

支那軍の細菌戦術

北平天壇の支那兵の我が軍による武装解除によって同所は既に我手に帰したが支那側は同兵営内において細菌研究所を設け居り多種多様の培養細菌を発見押収することを得た、これによって見ると支那側は細菌戦の準備をなしつつあったものでこれを未然に発見することができたのは不幸中の幸いであった

1937年(昭和12年)08月11日 朝日新聞

支那細菌戦術

1937年(昭和12年)08月29日 東京 朝刊 2ページ , 13段 , 記事

1937年8月29日 朝日新聞

将の細菌戦術に良民が犠牲

蒋介石は便衣隊をして前線に近い野菜畑や井戸等にコレラ菌を散布。
皇軍はそのことを知り防疫を講じたが、無知な支那人は注意も聞かず衛生思慮の全くない彼らに多数の死者が出た。

1938年8月13日 朝日新聞

コレラ菌ばら撒く 卑怯、苦しまぎれの敵

支那軍の国際法規を蹂躙する暴虐ぶりはこれまでしばしば報ずるところだが去月来猛威を振るった九江のコレラは悪戦苦闘の皇軍の防疫陣によって学術的に捜査の結果全く非人道極まる敵の細菌戦術なることが断ぜられ皇軍将校はいたく憤慨している、即ち敵の謀略と断ずる理由は
1.全部真性コレラ菌皇軍入城前の前日去月26日頃発生し非常に猛烈で蔓延の状況も自然流行の形式を取らず各所から発生していることは避難民の調査から判明している
1.原因は井戸水を飲んだことにあり避難民は家財を背負うて逃走中たえ切れず井戸水を生のまま飲み忽ち一帯に拡大した。
1.外国の〇〇地帯の井戸水を飲んだものは羅病していない
1.従来支那軍の逃走した後は破壊されているの常態だが九江の市街は掠奪こそ行われたが破壊されたものはなく敗走と同時に各井戸水にコレラ菌を散布したものと断定する以外この〇〇を極めた理由が見いだせない
しかし支那軍は北支戦線では毒物を投入し上海〇に山西方面では毒ガスを使用するなど戦時国際法を破るのは茶飯事で、特にソ連は世界細菌術の権威せこの方面との連絡は容易に推定される
九江のコレラの状況は去月26日皇軍入城の前日より1時に発生して、一帯に拡大数日を出でずして真性が500余名に達し即日7,80名の死亡者が出す始末これに対しる皇軍の苦闘は言語に絶するもので上陸捜査に一瞬の休養もなく
千田部隊長、櫻井参謀、河内軍医大尉ら血眼の奮闘、今瀬、西村、佐藤などの各防疫に任する部隊は一斉に出動、井戸水その他の雨水の使用を厳禁し避難民7千5百名に対しては予防注射並びに検便励行、昼夜の区別なく大童の活動を続けた。かくて有効適切な処置で15日頃にはしばらく終焉し同時に市街溝掃を行い地獄から九江の街を救いえた現在ではほとんど発生を見ない。

1938年(昭和13年)08月29日 朝日新聞

支那軍の捨鉢抗日 細菌戦術を暴く 伝研、宮川博士の視察談<写>


同仁会副会長帝大伝研所長官川米次博士は大陸の前線に皇軍を助けて
涙ぐましい活躍を続けている同仁会防疫班診療班の実情を視察この程帰朝近く陸海軍省、外務省に報告書を提出、更に10月末頃に学会に発表するはずであるが、これによって支那軍の細菌戦準術が学問的に暴露することになり更に博士らは冬季の敵細菌戦術に対しても早くも対策を練っている、博士は23日語る

1938年9月24日 朝日新聞

敵の細菌戦暴露 我軍、遂に確証を握る

7月26日我が軍の九江入場以来軍内に若干のコレラ患者発生し殊に城内支那避難民中に多数の患者を出したるも我が軍の絶大なる努力と卓越せる防疫陣とによりて大いなる流行を見ることなく約2旬にして終息するに至れり九江に発生せるコレラの原因に関してはその発生状況より推し当初より敵の謀略なる疑いありしを以て極力調査し左記諸般の理由にょり敵の細菌学的謀略と確定せり
1.捕虜、避難民等につき調査するに我が運九江入場前は九江にはコレラ発生を認めず

2.初患者発生は避難民側7月26~7日我が軍は1両日遅れて27,8日にしてその罹患原因は何れも避難途中または入城当時炎暑による渇きに堪えず城内の井戸水の生飲みに起因す

3.発生状況、爆発性にして1時に諸方面に発生し難民収容5ケ所中、市外より避難者を収容せる3ケ所に同時に発生し初患者を電感性の経過をとりて死亡し発生状況は自然流行と趣を異にす

4.市内に散在せる外国権益内の井戸水を使用せる部隊にはコレラ患者を出さず

5.退却に際し市街を灰〇に帰する支那軍の最近用ふる常套手段なるに拘らず九江は殆ど兵火の跡を認めず故意に我が軍の使用に託したる観あり

又市内建物には見易き箇所に「井」の標識を付してあり細菌学的工作と因果あらざるやを思わしむ、我が軍はその後も敵の細菌学的謀略の物的証拠をあぐるべく努力中なりしに9月13日に至り左のごとくに有力なる証拠を発見したり
即ち9月13日九江東門付近大中路の傍らの井戸を急造錨を以て井戸内物件の引揚を開始たるに水筒1,石油〇その他金属等24個を引揚たり、以上の内日本軍にて最近使用せられたりと認められるもの約3分の一その他3分の2は敵軍または付近住民の所持品なりし事、一見明瞭なり、その内敵軍の使用せる2個の容器中に泥土と混在しありたる硝子片3個を発見せりこのうち2個の硝子片は『アンプール』なることを確証にして他の一個も亦『アンプール』の破片と認められる該『アンプール』は無色透明の硝子にして約10㏄を収入しえべきものに且つ該『アンプール』は日本製『アンプール』と全然異なるものにして敵軍使用のものなり井戸の中に偶然『アンプール』の存在する理由はなく敵九江退却時に当たり謀略的工作に使用せるものと断定し得べく、且つ該井戸水よりコレラ患者発生したる事実により本物件はコレラ細菌収納用
用『アンプール』と判断せられる

右の事実により九江のコレラ発生は支那軍の細菌工作なることを疑う余地はなくその非道的暴虐は結果において多数の自国民に損害を与えるに至るものものなり。

1938年(昭和13年)10月05日 朝日新聞


洪水だけではなくコレラもばらまいていた中国国民党

蒋介石の猛毒攻撃

1939年6月発行 『歴史写真』 蒋介石の猛毒攻撃


1939年(昭和14年)07月12日
東京 朝刊 2ページ , 10段 , 記事

ソ連細菌戦術 菌入爆弾投下

不法なるソ連軍は今度は不法千万にもてをぁえ看過し得ざる細菌戦術を探るに至った。即ち去る8日ホルステン河の上流満領内ノ水源地にソ連機数十機が現れ十数個の爆弾を落下したので不思議に思い我が軍で調査中のところ10日午後2頃再び敵9機が我が水源地に爆弾を投下したので調査したところ、付近に飛散の爆弾破片の中からコレラ、赤痢等の悪疫菌が多量に発見され、又敵爆弾の破片に負傷した我が勇士の傷口も悪性の菌が発見されるに至り日満軍を極度に憤激せしめている。

1939年7月12日 朝日新聞


1939年(昭和14年)09月16日
東京 朝刊 2ページ , 11段 , 記事

毒ガス細菌戦、独禁止に同意

非人道主義だったのはソ連や中国。

1939年9月16日 朝日新聞

1941年(昭和16年)05月13日 東京 夕刊 3ページ , 1段 , 記事

3000頭の馬が斃死 調べてみたら某国の細菌戦術 恐るべきスパイの実例


1941年5月13日 朝日新聞

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