高校/日本史・世界史の南京事件とは?わかりやすく解説の間違い

ひとつずつ検証していきましょう。
まず初めの外務省のページの件ですが、和田政宗議員が国会で質問しておりますが、「外務省ホームページの南京事件に根拠なし」と外務大臣が回答しています。[南京での日本軍侵攻時に]どこにも市民殺害の記述はありませんでした。外務大臣答弁は閣議決定とおなじ重みがあります。

1937年7月7日に盧溝橋事件が中国共産党の工作によって起きました。
1937年7月29日に北京郊外の通州で200人以上の日本人民間が歴史に残る残虐な方法で虐殺される事件が起きました。
フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ記者が報じた通州事件

https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=uc1.b4518375&view=1up&seq=7&skin=7

1937年8月 9日 日本との和平交渉中に、蔣介石の国民党が日本軍の大山大尉を虐殺し、日中軍と蔣介石の軍隊間の交渉が崩壊しました。
1937年8月13日 中国が一方的に上海で戦闘を開始。1932年の 第一次上海事変 で取り決めた、 上海停戦協定 に違反してドイツの将校による訓練を受けた中国国民党軍が一方的に上海で戦闘を開始した。
大事な情報を伝えないのはなぜでしょう。

ナチスの軍事顧問アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼン
ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実 

1937年8月14日松井石根大将を上海派遣軍司令官に任命し、8月17日に不拡大方針を改めています。
日本軍の南京進軍は1937年12月13日ですが、東京日日新聞の12月9日 南京は火の海と報道されています。日本兵が入場する前に中国国民党軍敗残兵の略奪で大混乱であった南京。

1937年12月9日 東京日日新聞(現在の毎日新聞)

日本軍の空襲、砲撃の与えた損害は殆ど軍事施設に限られており、これを全部合わせてもなお支那軍の手によってなされた破壊の10分の一にも足らぬだろうとNYT特派員が朝日新聞記者に語ったという記事。

日本軍は南京城外で中国国民党軍の降伏を待っていました。

1937年(昭和12年)12月10日 朝日新聞

中山門外に整然と整列し、今まさに南京に入場せんとする富士井部隊。

支那事変画報 1937.12.13撮影 朝日新聞社

中国の降伏拒否の回答は毒ガス攻撃だった。


中国国民党軍の南京防衛司令官であった唐生智は1937年12月12日夜に挹江門から逃げ出し、中国兵の逃げ口となる挹江門に督戦隊を置いて逃げてくる中国国民党兵を銃殺させたので挹江門は中国兵の死体で山となった。

日本軍は南京占領の翌日12/14から良民証の発行作業を行い、
12/24までにほとんどの部隊が南京から出て、
残ったのは4000人の警備兵でした。

日本軍は良民証の発行によって、南京で必要となる食料の確保を行っていました。

教育機関がきちんとした情報を伝えないで、妄想イメージを一人歩きさせてはいけないと思います。


12/23に南京自治委員会が設立され、
翌年から南京自治員会による自治が始まりました。
現地の新聞は、日本軍の到着で治安が回復されたと報道しています。


動画の講師が教えていることがいかに嘘かこれらの資料を見れば理解できます。
上海事変の時に中国人難民30万を救ったカトリックのジャキノ神父は1938年10月に次のように語っています。中国国民党が南京から移動した漢口で
「正義の日本軍の庇護を千秋の思いで待っていました」
「日本軍が来ればもう大丈夫です」
「日本軍の軍規風紀の立派なことには漢口市民は皆感謝を捧げています」
と話されています。国民党政府は漢口からさらに重慶に移動していきます。

日本軍が南京に侵攻した2ヵ月後に、
日本の医療チームが南京市民に天然痘とコレラの無料接種を始めました。
9ヵ月後には36万数千人の南京市民が日本の医療チームから予防接種を受けたのです。

南京虐殺は東京裁判で連合国が30万人の虐殺があったと誣告し、アメリカの宣教師たちを含めた証人が証人台に立ちました。嘘を言っても罰則はありませんでした。弁護人が南京には民間人が20万人しかいませんと言ったら、では20万人だと言って何人もの証人を証言台に立たせました。

朝日新聞1937.12.25付の「南京は微笑む」の記事の写真をカラー化

証言台に立ったアメリカの長老派のジョン・マギー牧師は2日間、日本軍の悪いうわさ話を言い、最後に弁護人から実際にあなたが見た事件はと問われ、1件しか見ていないと言ったので笑われた。
自身で目撃したのは「日本兵が、民間人に化けた中国兵の掃討作戦をしているとき、不審な中国人をみて身元を尋ねると急に逃げ出したので、撃った」という一件だけだった。彼は非合法の殺人を一件も目撃していなかった。
しかも彼の日記には木に隠れていて実は1件も見ていなかったと書かれていた。
東京裁判の判決で虐殺人数は論議されず、判決にも記されることはありませんでした。ただ多くの証人からの誣告があり、松井大将は冤罪で死刑になりました。日本人は南京虐殺はアメリカの戦争犯罪を塗隠するために作られた捏造話であることを心に深く刻まないといけないと思います。


こちらの本は日本の国会議員によって作成され、全世界の国会議員に送られた本です。教師ならこの本の紹介をするべきと思います。

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