自信過剰な人々
神原元弁護士の場合
レイシストやセクシストと対話することが無駄であると主張する方はかなりいらっしゃいます。自由法曹団に所属する神原元弁護士も同様です。
その神原元弁護士は拉致問題などで対立関係にある日本と北朝鮮については対話を求めるべきだと主張しています。
山口祐二郎さんの場合
「在特会壊滅への道」が週刊金曜日ルポ大賞を受賞し、男組若頭を名乗っていた作家の山口祐二郎も同様の主張をしていらっしゃいます。
その山口祐二郎さんもまた、北朝鮮との対話のチャンネルになることができるという自信を抱き、北朝鮮との対話を主張していらっしゃいます。
神原元弁護士と山口祐二郎さんは対話を推進することができるのか
私は彼らが本当に対話することができるのかと大いに疑問を抱いています。なぜならば、レイシストやセクシストとの対話すらできないにもかかわらず、北朝鮮と対話することができると信じている彼ら根拠なき自信がまったく信用できないからです。
対話というものは根底にある価値観が同じであることほど容易で、それが異なっていればいるほど困難となります。家族との対話と他人との対話、会社の同僚との対話と取引先の会社員との対話、いずれの対話が容易であるかを考えればわかります。これは、日本人同士の対話と日本人と外国人との対話でも同様でしょう。会話する言語も同じ、ほとんど同じような教育を受けてきて、主に日本人のコミュニティの中で生活してきた者同士との対話と、言語、教育、育ったコミュニティが異なる者との対話では後者がより困難であることは明らかだといえます。
ここで大きな疑問が生まれます。神原元弁護士や山口祐二郎さんは、日本人同士の対話すら放棄するほど他者とのコミュニケーションに自信がないにもかかわらず、なぜ北朝鮮との対話には自信満々なのでしょうか。それなりの年齢を重ねているにもかかわらず自分自身をちゃんと見ることができていないのではないかという私の見方が誤りであることを祈ります。