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レイシストをしばき隊などのカウンターとは根本的に異なっていた東村山市でのカウンター

東村山市で行われていたいわゆる「行動する保守」に対するカウンター

 朝木明代元東村山市議会議員の転落死について、矢野穂積東村山市議会議員(当時)、朝木直子東村山市議会議員が数多くの民事訴訟で敗訴することによって、二人とも「朝木明代元東村山市議会議員が創価学会によって殺された」と述べることができなくなってからしばらく経過した平成20年9月1日、朝木明代元東村山市議会議員の命日でもある日に、瀬戸弘幸維新政党・新風副代表(当時)が東村山駅前で朝木明代追悼街頭宣伝活動を行いました。参加したメンバーは、主権回復を目指す会代表(当時)の西村修平さん、政経調査会代表の槇泰智さん、在日特権を許さない市民の会会長(当時)の桜井誠こと高田誠さん、日本を護る市民の会代表の黒田大輔さんなどでした。当時の瀬戸弘幸さんの主張は、「警察の内部告発」によって朝木明代さんの謀殺が明らかになったというものでした。
 また、平成20年9月1日の街頭宣伝活動をきっかけとしていわゆる「行動する保守」の凋落が始まるのですが、瀬戸弘幸さんは西村修平さん、黒田大輔さん、槇泰智さんらの仲間がその街頭宣伝活動をきっかけとして数多くの民事訴訟の被告となって敗訴してしまうという事態に陥り、自らも弟子の有門大輔さんとともに民事訴訟の被告となって敗訴することになったにもかかわらず、政教分離を求める会を結成し、平成24年7月24日に東村山駅前及び東村山市役所庁舎前でその第一回街頭宣伝活動を行ったのです。この日の街頭宣伝活動には故・荒巻丈さんや創価学会の集団ストーカー被害者を名乗る者も参加していました。
 そして、これらの街頭宣伝活動においては、カウンター活動がなされていました。

千葉英司さんが一人で引き受けた平成20年9月1日のカウンター

 平成20年9月1日の街頭宣伝活動において、西村修平さんらが朝木明代さんによる万引きの被害者のブティックに行こうという声が上がり、ブティック前で暴徒化しました。この街頭宣伝活動に対するカウンターを一人で引き受けたのが千葉英司元東村山警察署副署長でした。
 東村山問題をウォッチしている者は少なくありませんでしたが、瀬戸弘幸さんが東村山駅前で街頭宣伝活動を企画していることを知っていた時点で街頭宣伝活動の参加者が暴徒化して万引被害に遭ったブティックに押しかけるという展開まで想像している者はいなかったと思います。そのような状況下で千葉英司さんはブティックの店主と調整して、暴徒化した街頭宣伝活動参加者が店頭に押しかけたら自分がすべての対応をすることとして店員を装いました。

 荒井禎雄さんがサルベージしたブティック前で暴徒化したいわゆる「行動する保守」の様子を残した動画を示しておきます。

多くの者が役割分担した平成24年7月24日のカウンター

 瀬戸弘幸さんが懲りずに政教分離を求める会第1回街頭宣伝活動として行った平成24年7月24日のカウンターでは、多くの者が役割を分担したカウンターとなりました。
 千葉英司さんをはじめ、作家の宇留嶋瑞郎さん、橋本玉泉さん、東村山問題とフットボールを主にブログで取り上げていたブロガー、東村山問題とボクシングと落語を主にブログで取り上げていたブロガーなどの参加者とともに、ある特殊な職種の地方公務員が休日を利用してさりげなく警備をしていたそうですし、インテリジェンスを職務とする者が街頭宣伝活動の参加者の動きを把握し、瀬戸弘幸さんが東村山市役所庁舎内に入ったときに土木管理課に向かったという情報は庁舎外のカウンター参加者に共有されていたと聞きます。このように単なるカウンター参加者だけでなく、専門性を持つ者がその技能を活用して役割を果たしたカウンター活動でした。

いわゆる「反差別カウンター」と東村山市でのカウンターの差異

 これらの東村山市でなされたいわゆる「行動する保守」に対して行われたカウンターに参加した者で、レイシストをしばき隊はおろか、C.R.A.C.などのグループに所属した者はいませんでしたし、個人としていわゆる「反差別カウンター」に参加した者もいませんでした。
 その理由を考えると、カウンター活動の性質の違いがあるのではないかと思います。東村山市でなされたカウンターでは、自らの名を売ろうとする者がいなかったのに対し、いわゆる「反差別カウンター」では朝日新聞のインタビューに答えて名を売ろうとした野間易通さんをはじめ、自らの名を売ろうとする者が少なくありませんでした。その後に言論イベントで出演料を稼ぎ、反差別グッズを販売して利益を得ようとするパターンが常態化していました。このような差異から、東村山市でカウンターに参加していた者からいわゆる「反差別カウンター」に参加する者がいないという結果に結びついたのだと思います。

東村山問題では「冷笑系」であった野間易通さんら

 いわゆる「反差別カウンター」は、在日特権を許さない市民の会などの街頭宣伝活動を批判するものの、カウンターに参加しない者を「冷笑系」と呼んで批判していました。しかしながら、東村山問題においては、後にいわゆる「反差別カウンター」に参加した者は、彼らの基準でいえば「冷笑系」でした。その典型ともいえるラークさんのツイートを紹介しておきます。ラークさんは東村山市でいわゆる「行動する保守」のカウンターの現場に参加したことはありませんし、荒井禎雄さんのようにリスクを引き受けて草の根市民クラブに対して厳しい批判をしたこともありません。いわゆる「反差別カウンター」の論理で言えば一丁目一番地の「冷笑系」なわけですが、ずいぶんとご自分を買いかぶっていらっしゃいます。

おはらんと清さんの会話を見て感じたこと。文句だけ一流で結果を出せない人間と批判は浴びるものの結果を出した人間の差がハッキリと見受けられる。 ちなみに清さんは桜井のメガネを取って1000ポイントゲットした強者である。桜井の本名を世に知らしめたのも彼の功績。

@lark_ms7

一方おはらんは東村山問題で何一つ結果を出せなかった。批判していた議員がトップ当選し、支援していた議員が落選と最悪の結果を出し芋を引いた情けない奴との印象。 これについては俺も同じ方向を向いていたので情けない奴との批判は仕方がないと思っている。

@lark_ms7

俺は、この情けない結果を出してしまった反省の元、今の行動に繋げた。 やっぱり、叩かれても貶されても結果を出さないとダメだろ。一生芋を引いた情けない奴と思われるのはうんざりだ。これは俺の勝手な思いだが。

@lark_ms7

 清義明さんが新宿駅前で待ち伏せて街頭宣伝活動前の在日特権を許さない市民の会会長であった桜井誠こと高田誠さんの眼鏡を奪ったことをラークさんは評価していますが、そもそも眼鏡は医療器具であって、それを奪うということはその者の視力を奪うということでもあって人間として最低の行為であることの自覚に欠けているようです。これは車いすの者の車いすや松葉づえを使っている者の松葉づえを奪うことがどれだけ厳しい批判に晒されるかを考えればわかることです。
 また、芋を引きたくないとして男組のヲチャ部に加わったラークさんが次に脚光を浴びるのは、北新地大学院生リンチ事件に関連して流出した男組のLINEで、被害者の大学院生から被害届の提出や告訴がなされることを防ごうと高橋直輝こと添田充啓さんらと協議している完全に芋を引いたラークさんのコメントでした。
 なお、清義明さんがスタジアムでの態度が気に入らない人物の眼鏡を何度も破壊したということを自慢げにツイートしていることも付け加えておきます。

天皇杯の国立の列整理といえば、朝っぱらから独自ルールを主張する、当時の旗振り隊のしなりを攻撃してメガネを破壊した思い出が思い返されるよなあ。あれもかれこれ7〜8年前か。その後何度か繰り返された、しなりのメガネ破壊のデビューだったわな。何もかも皆懐かしい。

@masterlow

 だいぶん脱線しましたが、野間易通さんのこのツイートは歴史の捏造にほかなりません。

 実は瀬戸弘幸や桜井誠、西村修平といった人々が左翼以外の人々に最初に「発見」されたのは、2007年の東村山市議会での職業差別事件が発端でした(http://korea-lunch.seesaa.net/article/46491710.html… )。これは風俗雑誌出身の市議を創価学会陰謀論者である「リベラル」な市議が攻撃し、それに後の行動保守が乗っかったもの。

@cractyo

つまり、街頭ヘイト活動への最初のカウンターアクションは「セックスワーカー差別反対」だったのです。詳しくはこちらに→「東村山市民新聞」の迷宮 https://w.atwiki.jp/kusanonemaze/

@cractyo

 いわゆる「行動する保守」が乗っかったのは、朝木明代さんの転落死を創価学会の謀殺であるとした部分であって、セックスワーカー差別反対ではありません。元々思想的に合わない創価学会や公明党を批判するネタを探していたいわゆる「行動する保守」が、朝木明代さんの転落死が利用できそうだと考えていっちょ噛みしたというのが事実であって、元々は朝木明代さんの転落死を創価学会による殺害であるとして万引被害者のブティックや通行人の少年を被告として民事訴訟を提起した矢野穂積さんをはじめとする東村山市議会会派草の根市民クラブに対して、長年批判してたたかってきた千葉英司さんや作家の宇留嶋瑞郎さんのような方がいらっしゃって、草の根市民クラブが薄井政美東村山市議会議員の前職が風俗記者であったことで辞職を求める活動を繰り広げた時点で、3羽の雀さん、松沢呉一さん、荒井禎雄さんらが東村山問題に関心を持つようになったのであって、左翼が元々東村山問題に大きな関心を持っていて薄井政美さんの騒動で左翼以外の者が関心を持つようになったというのは歴史の捏造にほかなりません。むしろ、多くの左翼は薄井政美さんの騒動から東村山問題に関心を持つようになったというのが正確な東村山問題の歴史です。