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植村隆「捏造」名誉毀損裁判札幌地方裁判所判決全文

主文

1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1 請求

1 被告乙1は,その運営するウェブサイト「乙1オフィシャルサイト」上に掲載している別紙名誉毀損部分一覧表記載の各記述を削除せよ。
2 被告乙2は,その発行する「雑誌(a)」に別紙謝罪記事目録記載1の謝罪広告を別紙掲載要領目録記載1の要領により1回掲載せよ。
3 被告乙3は,その発行する「週刊(b)」に別紙謝罪記事目録記載2の謝罪広告を別紙掲載要領目録記載2の要領により1回掲載せよ。
4 被告乙4は,その発行する「週刊(c)」に別紙謝罪記事目録記載3の謝罪広告を別紙掲載要領目録記載3の要領により1回掲載せよ。
5 被告乙1は,別紙謝罪記事目録記載4の謝罪広告を別紙掲載要領目録記載4の要領により第1項記載のウェブサイト上に掲載せよ。
6 被告乙1及び被告乙2は,原告に対し,連帯して550万円及びこれに対する平成27年2月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
7 被告乙1及び被告乙3は,原告に対し,連帯して550万円及びこれに対する被告乙1については平成27年2月25日から,被告乙3については同月26日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
8 被告乙1及び被告乙4は,原告に対し,連帯して550万円及びこれに対する被告乙1については平成27年2月25日から,被告乙4については同月26日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要

 被告乙1は,被告乙2が発行する雑誌「(a)」,被告乙3が発行する「週刊(b)」,被告乙4が発行する「週刊(c)に,原告が株式会社 a 新聞社の記者として「従軍慰安婦」に関する記事を執筆してa新聞に掲載した記事についての論文をそれぞれ掲載するとともに,自らが開設するウェブサイトに上記各論文を転載して掲載している。
 本件は,原告が,被告乙1の執筆に係る上記の各論文が原告の社会的評価を低下させ,原告の名誉感情や人格的利益を侵害するものであると主張して,①被告乙1に対し,民法723条の類推適用又は人格権による妨害排除請求権に基づいて,上記ウェブサイト上に転載された上記各論文の削除を,民法723 条に基づいて,同ウェブサイト上への謝罪広告の掲載を,②被告乙2,被告乙 3及び被告乙4に対し,民法723条に基づいて,上記各論文を掲載した各雑誌に謝罪広告の掲載を,③被告乙1と被告乙2に対し,不法行為(民法709 条,719条1項)による損害賠償請求権に基づいて,慰謝料及び弁護士費用の合計550万円並びにこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を,④被告乙1と被告乙3 に対し,不法行為(民法709条,719条1項)による損害賠償請求権に基づいて,慰謝料及び弁護士費用の合計550万円並びにこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまでの民法所定年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を,⑤被告乙1と被告乙4に対し,不法行為(民法709条,719条1 項)による損害賠償請求権に基づいて,慰謝料及び弁護士費用の合計550万円並びにこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまでの民法所定年5分 の割合による遅延損害金の連帯支払を,それぞれ求めた事案である。なお,訴状送達の日の翌日は,被告乙1及び被告乙2については平成27年2月25日, 被告乙3及び被告乙4については同月26日である。

1 前提事実(証拠原因を記載しない事実は当事者間に争いがない。)

(1) 当事者等

ア 原告は,昭和57年に株式会社a新聞社(以下「a新聞社」という。) に入社し,平成26年3月末に,a 新聞社を退社した。原告は,平成28年3月まで b 大学の非常勤講師として勤務していた。

イ 被告乙1は,c の代表理事を務めるともに,「乙1」の名でジャーナリストとして活動し,「乙1オフィシャルサイト」というウェブサイトを運営している。

ウ 被告乙2は,雑誌,単行本の発行及び販売等を業とする株式会社であり,月刊誌「雑誌(a)」を発行している。同誌は,全国の書店等で広く販売されている。

エ 被告乙3は,書籍及び雑誌の出版等を業とする株式会社であり,「週刊(b)」を発行している。同誌の平成26年7月から同年9月までの平均発行部数は,56万部余である。

オ 被告乙4は,日刊新聞,雑誌及び通信販売等を業とする株式会社であり,「週刊(c)」を発行している。同誌の平成26年7月から同年9月までの平 均発行部数は,13万部余である。

(2) 原告による別紙記事A及び同記事Bの執筆と掲載

ア 平成3年8月11日付けa新聞大阪本社版朝刊社会面には,トップ記事で,原告が執筆した「思い出すと今も涙 韓国の団体聞き取り」というタイトルの別紙記事A(甲4)(以下「本件記事A」という。)が掲載され, 同月12日には,同東京版朝刊で字数を削ったもの(甲5)が掲載された。

イ 平成3年12月25日付けa新聞大阪本社版朝刊には,原告が執筆した別紙記事B(甲6)(以下「本件記事B」という。)が掲載された。

(3) 被告乙1による各論文の執筆と掲載

ア 被告乙2は,「雑誌(a)」2014年4月号に,被告乙1が執筆した論文 (甲7)(以下「乙1論文ア」という。)を掲載した。

イ 被告乙3は,「週刊(b)」2014年4月17日号及び同年10月23日号に,それぞれ,被告乙1が執筆した論文(甲8,甲9)(以下,順に 「乙1論文イ」,「乙1論文ウ」という。)を掲載した。

ウ 被告乙4は,「週刊(c)」2014年9月13日号,同年10月18日号 及び同月25日号にそれぞれ被告乙1が執筆した論文(甲10から甲12 まで)(以下,順に「乙1論文エ」,「乙1論文オ」,「乙1論文カ」と いい,乙1論文ア,乙1論文イ及び乙1論文ウと併せて「本件各乙1論文」 という。)を掲載した。

エ 被告乙1は,被告乙1サイトに,乙1論文イ,乙1論文ウ,乙1論文エ, 乙1論文オ及び乙1論文カを転載して掲載している。

オ 本件各乙1論文には,別紙主張対照表1から6までの各記述欄に記載された記述が存在しており,別紙名誉毀損部分一覧表①及び②の記述は別紙主張対照表2の記述(1)及び(2)と,別紙名誉毀損部分一覧表③から⑥までの記述は別紙主張対照表3(1)から(4)までの記述と,別紙名誉毀損部分一覧表⑦の記述は別紙主張対照表4(1)及び(2)の記述と,別紙名誉毀損部分一覧表⑧の記述は別紙主張対照表5の記述と,別紙名誉毀損部分一覧表⑨の記述は別紙主張対照表6の記述と,それぞれ対応している。

2 争点及び争点に関する当事者の主張

(1) 別紙主張対照表1から6までの各記述欄に記載された記述は,原告の社会
的評価を低下させるか

(原告の主張)

 別紙主張対照表1から6までの各記述欄に記載された記述(以下「本件各記述部分」という。)は,別紙主張対照表1から6までの各「摘示事実又は意見論評」欄記載の事実が摘示され,又は論評されており,これらの記述は, 別紙主張対照表1から6までの各「社会的評価を低下させる理由」欄に記載のとおり,原告の社会的評価を低下させるものである。

(被告らの主張)

 別紙主張対照表1から6までの「原告の主張に対する反論」欄に記載のと
おりである。

(2) 摘示された事実又は論評若しくは意見の前提とされた事実が真実であり, また,真実であると信じたことについて相当な理由があるか

(被告らの主張)

 別紙主張対照表1から6までの各「真実性,真実相当性及び論評(意見表明)の域の逸脱の有無」欄に記載のとおりである

 (原告の主張)

 別紙主張対照表1の「被告乙1・乙2の主張に対する反論」欄,別紙主張対照表2及び同表3の各「被告乙1・乙3の主張に対する反論」欄,別紙主張対照表4,同表5及び同表6の各「被告乙1・乙4の主張に対する反論」 欄に記載のとおりである。

(3) 本件各記述部分が公共の利害に関する事実に関わり,専ら公益を図る目的でされたといえるか

(被告らの主張)

 本件記事Aは,平成26年8月に a 新聞も全くの虚偽のフィクション(作話)であることを認めた故吉田清治の「朝鮮人慰安婦強制連行」作話を裏付ける元慰安婦を初めて発見した記事として,日本政府への損害賠償請求訴訟 活動をしていた弁護士グループや a 新聞によって連日展開されていった「強制連行プロパガンダ」の形成に大きく寄与し,そのために,日本のみならず韓国でも慰安婦問題が大々的に報道されるようになり,さらには国連のクマラスワミ報告や米国議会決議にまで拡大して,日本の国益を著しく毀損する 結果となった。
 本件各乙1論文は,本件記事Aのもたらした上記のような結果にもかかわ らず,原告が依然として本件記事Aの内容が誤りであったことを認めないと いう事実を報じるものであって,公共の利害に関するものであり,被告乙1 は,そのような原告の姿勢に対して問題提起をするという公益を図る目的を もって,本件各乙1論文を執筆した。
 また,乙1論文カについては,その主目的は,日本国民である(d)新聞前ソ ウル支局長が韓国官憲によって起訴され,韓国からの出国を禁止された事件 に関し,歴史問題がその背景にあるとし指摘しつつ,日本のメディアの対応 を批判したものであり,その批判の対象としたNHKから取材を受けた際の 事情をごく簡単に紹介した際に,原告に関して触れたものであるから,この 見地からも公益目的が肯定される。

(原告の主張)

 被告乙1は,日本軍が慰安婦を連行し,組織的性暴力を行ったことがない
という自らの「信念」の正当性を根拠づけ,強調するために,敢えて原告及 び原告が執筆した本件記事A及び本件記事Bを攻撃の標的として「捏造記 事」,「虚偽の記事」と繰り返し,原告や a 新聞に対するバッシングを拡散 しているのであり,本件各乙1論文は,原告に対する根拠のない誹謗中傷そ のものというべきであり,公共性・公益目的性は認められない。

(4) 原告が本件各乙1論文によって受けた精神的苦痛に対する慰謝料額等,名 誉回復するための処分

(原告の主張)

ア 原告の社会的評価の低下及び社会生活上の不利益が生じたこと

(ア) 原告は,昭和57年に a 新聞社に入社し,仙台,千葉支局を経て大阪 本社社会部員,外報部員,テヘラン支局長,ソウル特派員,外報部デスク,北京特派員などを歴任し,北海道支社報道センター記者,函館支局長を務め,2002年度新聞協会賞,2008年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞をグループ受賞するなど,真摯に報道に取り組む有能な新聞記者であった。原告は,平成24年4月には b 大学の非常勤講 師に就任し,平成25年11月には公募で d 大学のメディア部門の専任教授に選ばれ,学生への充実した教育の提供を志し,平成26年3月末, 55歳で a 新聞社を早期退職した。ところが,原告は,記事を「捏造」したことがないにもかかわらず,本件各乙1論文により記事を「捏造」 したとのレッテルを貼られた。ジャーナリズムの世界において新聞記者が捏造報道をしたと表現されることは,意図的にその使命を放棄したと評価されるに等しいものであって,本件各乙1論文は,新聞記者であった原告にジャーナリストとして不適格であるとの烙印を押し,ジャーナリストとしての社会的評価を極限まで失墜させるものであったというほ かない。また,本件各乙1論文によって,原告の記事が「捏造」であるとのレッテルが貼られた結果,d 大学及び b 大学に対して不特定多数の者から本件各乙1論文を根拠とする原告への非難が殺到し,教授就任の撤回を求めるメール,FAX,電話などが相次ぎ,原告は,d 大学との契約を解約せざるを得なくなり,非常勤講師の地位にあった b 大学においても,原告の雇用を継続するか大学として苦渋の判断を迫られ,学内の安全を確保するための特別な警備態勢を執ることとなった。このため, 日本国内の大学は,原告を雇用することで,同様のバッシングを受け, 学生ないし受験生への危害が予告されるなどの脅迫を受けると予測されるため,原告を雇用する大学が現れることは期待し難い状況にある。
 このように,原告は,本件各乙1論文によって,新聞記者としての社 会的評価も大学教員としての社会的評価も否定され,職を一切失うに等しい状況に陥れられた。

(イ) d 大学及び b 大学に寄せられたメール,FAX,電話などの中には, 原告の身体を害する内容も含まれており,原告自身,日常生活において身の危険に晒された。また,原告の娘も,インターネットサイトに実名と顔写真を晒された上,誹謗中傷の書き込みを受けたほか,原告の娘が通う高校にも原告の娘の写真が入った中傷FAXが送られて来るなどの攻撃を受け,その身体に危害を加える内容の脅迫を受け,さらには,原告の息子の同級生も,原告の子どもに間違われ,バッシングを受ける状況となった。

イ 被告らの名誉毀損行為の悪質性

 被告乙1は,本件記事A及び本件記事Bと同時期に同様の記事を発行した a 新聞社以外の新聞社の記事には何ら言及せず,「従軍慰安婦」問題というセンシティブな人道上の国際問題に関する記事を原告が「捏造」した などという極めて違法かつ悪質な言説を用い,原告の記事のみをターゲットにして個人攻撃をした。また,インターネットの普及によって大衆側による情報発信が極めて容易な状況にあり,大手メディア等によって第一次的に発信された情報が,拡散を試みようとする者の媒介によるSNS(ソ ーシャルネットワーキングサービス)を介して爆発的に大衆間に広がる上, その特性である匿名性が加わることによって強い攻撃性を持つこと,反韓, 嫌韓感情あふれる情報に関しては特にそのような傾向が強いことは,著名なジャーナリストである被告乙1も十分に認識していたはずである。にもかかわらず,被告乙1がインターネット上を始めとする原告への個人攻撃が集中している最中に継続的に本件各乙1論文を発表し続けていたことを考えれば,被告乙1は,本件各乙1論文によって誘発される原告に対する 個人攻撃の発生を認識し,許容していたことは明らかであり,原告を社会的に抹殺する目的で本件各乙1論文を発表し続けてきたとうかがわれるから,極めて悪質性が強い。
 また,「捏造」という表現が,ジャーナリストにとって致命的な表現であることは前述のとおりであるのみならず,乙1論文ア及び乙1論文ウは, 本件記事A及び本件記事Bと全く無関係の被告の勤務先を暴露し,原告が事実を「捏造」した動機について,韓国人である義母の日本政府に対する訴訟を支援する目的であったとまで言い切っており,本件各乙1論文の記載内容は極めて不適切で悪質である。

ウ 配布の方法と範囲,配布(販売)による利益

 本件各乙1論文が掲載された週刊誌ないし月刊誌は,いずれも全国の書店等で広く販売されており,多数の目に触れるものである。また,乙1論文イ,乙1論文ウ,乙1論文エ,乙1論文オ及び乙1論文カを転載して掲載している被告乙1サイトは,インターネットを通じて,時間場所を問わず,無料で利用することができるものであり,伝播性が高い。被告乙1の 「Twitter」や「Facebook」のいわゆるフォロアー数が平成29年1月1 0日時点においていずれも2万人を超えていることからすると,被告乙1サイトは,本件各乙1論文が発表された当時も相当な影響を持つサイトであったということができる。他方,被告乙1を除く被告らは,雑誌を販売 することによって相当額の売上を上げていると考えられる。原告の慰謝料額の算定に当たっては,上記のような事情が十分に考慮されるべきである。

エ 慰謝料額等

(ア) 慰謝料

 原告は,本件各乙1論文により「慰安婦記事を捏造した」とのいわれ なき中傷を流布され,これに触発・刺激された人々から多数の激しいバ ッシングと迫害を受け,職を失う恐れや生命の危険に晒されるだけでなく,家族も生命の危険に晒される事態となった。加えて,被告らによる 名誉毀損行為の目的,態様等を踏まえると,原告の受けた精神的苦痛を慰謝するためには,乙1論文アの掲載に関するものについて500万円, 乙1論文イ及び乙1論文ウの各掲載に関するものについて500万円, 乙1論文エから乙1論文カまでの各掲載に関するものについて500万 円を下るものではない。

(イ) 弁護士費用

 原告は,原告訴訟代理人らに委任して本件訴えを提起せざるを得なくなったが,被告らの不法行為と相当因果関係がある弁護士費用は,乙1論文アの掲載に関するものについて50万円,乙1論文イ及び乙1論文ウの各掲載に関するものについて50万円,乙1論文エから乙1論文カまでの各掲載に関するものについて50万円と考えるのが相当である。

オ 謝罪広告及び論文の削除

ア 本件各乙1論文により原告の名誉は著しく毀損され,金銭賠償のみによ って原告の名誉を回復することは不可能である。本件各乙1論文が掲載された月刊誌や週刊誌は全国の書店等で販売され,また,本件各乙1論文が転載されている被告乙1の開設したウェブサイトは伝播性が高く相当の影響力を持つものであることからすると,原告の名誉を回復するのに適当な処分としては,本件各乙1論文が掲載された各雑誌と同一名称の各雑誌及び被告乙1サイトに謝罪広告の掲載を命ずるのが相当である。
 また,被告乙1サイトに乙1論文イ,乙1論文ウ,乙1論文エ,乙1論文オ及び乙1論文カが転載して掲載されていることは,原告の名誉ないし人格権を継続的に侵害するものであり,かつ,その削除が容易であることに鑑みれば,被告乙1サイトから上記各論文を削除するのを命ずるのが相当である。

(被告らの主張)

ア 原告は,被告乙1の行為によって生じた原告の社会生活上の不利益として第三者による脅迫行為や抗議行動について縷々述べる。しかし,第三者による原告に対する脅迫行為等が本件各乙1論文の影響によるものであること自体が一切立証されていないし,そもそも第三者の行為は当該第三者の自由意思に基づく独自の行為であるから,被告乙1に帰責すべき筋合いのものではない。また,b 大学への抗議・非難メールは,平成26年7月に23通であったものが,同年8月には535通に急増し,以降高い水準を保っているが,同月5日及び同月6日に a 新聞に掲載された本件記事A及び本件記事Bの検証記事が自己弁護に終始したことに対し,他のメディア等から極めて強い批判がされたという事実を踏まえると,第三者の行為に影響を与えたのは,ほかならぬ a 新聞の行為であったと考えるのが合理的である。さらに,平成26年4月から平成28年3月までの間,b 大学に寄せられたメールは3000通以上であるが,その中で被告乙1に言及するものはわずか6件にすぎず,中には原告を支援する内容も含まれてい る。

イ 本件各乙1論文は,本件記事A及び本件記事Bに対して客観的事実を踏まえ,淡々と意見ないし論評を行うとともに,真摯に原告に対して対話を求めるものであって,第三者の行為を煽る類の言葉などは一切使用されていない。むしろ,被告乙1は,原告に対する脅迫行為等を含め,いかなる脅迫行為等も厳に戒めるように繰り返し呼びかけている。このような被告乙1の対応に照らせば,本件各乙1論文に影響を受けた第三者が悪意を持って原告や大学などへの脅迫行為に及ぶことは被告乙1の意思に真っ向から反するものであり,被告乙1において当該脅迫行為がされることを予見することは不可能である。

ウ その他,原告の主張する慰謝料額等,謝罪広告及び論文の削除に関する 主張はいずれも争う。

第3 当裁判所の判断

1 争点 (別紙主張対照表1から6までの各記述欄に記載された記述は,原告
の社会的評価を低下させるか)について

 ある記事の意味内容が他人の社会的評価を低下させるかどうかは,当該記事の一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈した意味内容に従って判断すべきである(最高裁昭和29年(オ)第634号同31年7月20日第二小法廷判決・民集10巻8号1059頁参照)。そして,問題となっている表現が事実を摘示するものであるか,意見ないし論評の表明であるかを区別するに当たっては,当該部分の前後の文脈や,記事の公表当時に一般の読者が有していた知識ないし経験等を考慮し,その部分が,修辞上の誇張ないし強調を行うか,比喩的表現方法を用いるか,又は第三者からの伝聞内容の紹介や推論の形式を採用するなどによりつつ,間接的ないしえん曲に証拠等をもってその存否 を決することが可能な他人に関する特定の事項を主張するものと理解されるならば,同部分は,事実を摘示するものと解するのが相当であり,また,上記のような間接的な言及は欠けている場合であっても,当該部分の前後の文脈等の 事情を総合的に考慮すると,当該部分の叙述の前提として証拠等をもってその 存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を黙示的に主張するものと理解されるならば,その部分も,事実を摘示するものと解するのが相当である (最高裁平成6年(オ)第978号同9年9月9日第三小法廷判決・民集51 巻8号3804頁参照)。
 以下,これを前提として,本件各乙1論文に関し,原告が問題とする別紙主 張対照表1から6までの各記述について検討する。

(1) 乙1論文アについて

ア 別紙主張対照表1記述(1),同(3)及び同(4)について

 別紙主張対照表1記述(1)は,「過去,現在,未来にわたって日本国と日本人の名誉を著しく傷つける彼らの宣伝はしかし,日本人による「従軍慰安婦」捏造記事がそもそもの出発点となっている。日本を怨み,憎んでい るかのような,日本人によるその捏造記事はどんなものだったのか。a は91年8月11日,大阪 a の社会面一面に「思い出すと今も涙,元朝鮮人従軍慰安婦を韓国の団体聞き取り」の見出しで報じた。原告氏の署名入り 記事である。」(甲7,40頁下段),「原告氏は,彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく,慰安婦とは何の関係もない「女子挺身隊」と結びつけて報じた。」(甲7,41頁中段),「原告氏は韓国語もできて,e さんがどういう経緯で身売りされたかを知っているはずですが,その最重要の事柄を書かなかった。」(甲7, 41頁中段)というものである。別紙主張対照表1記述(3)は,「氏の捏造記事を,a 新聞は訂正もせずに大々的に紙面化した。」というものであり, 同記述(4)は,「原告記者の捏造は,a 新聞の記事や社説によって事実として位置づけられ,広がっていった。」というものである。
 これらの記述を,証拠(甲7)から認められる同各記述の前後の記述も踏まえ,乙1論文アの一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈した意味内容に従って判断すると, 原告が,e 氏が継父によって人身売買され,慰安婦にさせられたという経緯を知りながらこれを報じず,慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊とを結びつけ, e 氏が「女子挺身隊」の名で日本軍によって戦場に強制連行され,日本軍 人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」であるとする事実と異なる本件記事Aを敢えて執筆したという事実を摘示する(以下,この事実を【裁判所認定摘示事実1】という。)とともに,本件記事Aが日本を怨み,日本を憎んでいるかのような記事であるとの意見ないし論評をするものと解するのが相当であり, 同記述(1)に続く同記述(3)及び同記述(4)において用いられている「捏造」については,上記摘示事実と同様の事実を摘示するものと解するのが相当である。そして,かかる事実の摘示及び意見 ないし論評の表明は,ジャーナリストである原告が,その職業倫理に反して,意図的に虚偽の事実を報道したとの印象を与えるものであるから,原告の社会的評価を低下させるものであるというべきである。
 この点,被告乙1及び被告乙2は,乙1論文アの「捏造」という表現は意見ないし論評の表明である旨の主張をする。しかし,「捏造」とは「な いことをあるかのように偽って作り上げること」であるというのが一般的 な理解であると解されるから,一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すると,乙1論文アの文中で用いられている「捏造」は,原告が事実と異なることを知りながら敢えて本件記事Aを執筆したとの事実を摘示するものと解するのが相当であり,乙1論文アの全体の記述を見ても,被告乙1が「捏造」の文言を一般的な用法と異なる評価的な要素を持たせて記載しているものと解することはできない。

イ 別紙主張対照表1記述(2)について

 別紙主張対照表1記述(2)は,「原告記者が,真実を隠して捏造記事を報じたのは,義母の訴訟を支援する目的だったと言われても弁明できないであろう。」というものである。
 別紙主張対照表1記述(2)について,その前に記載された同記述(1)やその語に掲載された同記述(3)及び同記述(4)に加え,同記述(2)の直前に「もう一点,留意すべきは,氏の妻は韓国人で,その母親が f の常任理事を当時,務めていた g 氏だったことです。この f は,日本政府を相手どって裁判を起こした原告たちの組織です。e さんもこの組織に加わって訴えを起こし たわけです。」との h の指摘が引用されている(甲7)ことを踏まえ,一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すると,同記述(2)は,①原告が,e 氏が継父によって人身売買され,慰安婦にさせられたという経緯を知りながらこれを報じず,慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊とを結びつけ,e 氏が「女子挺身隊」の名で日本軍によって戦場に強制連行され, 日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」であるとする 事実と異なる本件記事Aを敢えて執筆したという事実(【裁判所認定摘示事実1】),②原告の妻の母(以下「義母」という。)が,原告が本件記事Aを執筆した当時,後に e 氏も参加して日本政府に対する民事訴訟を起こした原告らの組織である「f」の常任理事を務めた人物であるという各事実を摘示するとともに,これらの事実を前提として,原告が本件記事Aを執筆した目的が義母の訴訟を支援する目的であったと言われても弁明することができないとして,本件記事Aを執筆した原告を批判する被告乙1 の意見ないし論評が記載されたものと解するのが相当である。そして,上記①の事実が原告の社会的評価を低下させるものであることは,前記(1)アのとおりであり,また,上記の意見ないし論評は,原告が,新聞という公器を利用して義母の利益を図るために事実と異なる本件記事Aを執筆したとの印象を与えるものであるから,原告の社会的評価を低下させるものであるというべきである。
 これに対して, 原告は,別紙主張対照表1記述(2)が,原告が本件記事Aを執筆した動機が義母の訴訟を支援する点にあったとの事実をも摘示するものであると主張するが,「義母の訴訟を支援する目的だったと言われても弁明できない」かどうかは,証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項であると解することはできない。また,乙1 論文アにおいて原告と義母との関係について言及された部分は,別紙主張対照表1記述(2)以外には,その直前の前記 h の指摘の引用部分にすぎない(甲7)から, 同記述(2)が,間接的ないしえん曲に,あるいは,黙示的に,原告が主張するような事実を主張するものと解するのは困難であるし,乙1論文アの一般読者が,乙1論文アの公表時,同記述(2)から原告の主張するような事実が主張されていると理解してしかるべき知識や経験等を有していたと認めるに足りる証拠もない。

ウ 別紙主張対照表1記述(5)について

 別紙主張対照表1記述(5)は,「改めて疑問に思う。こんな人物に,はたして学生を教える資格があるのか,と。一体,誰がこんな人物の授業を受けたいだろうか。教職というのはその人物の人格,識見,誠実さを以て全力で当たるべきものだ。原告氏は人に教えるより前に,まず自らの捏造について説明する責任があるだろう。」というものである。
 この記述について, 別紙主張対照表1記述(1)から同(4)までの各記述に加え,同(5)の直前に「さて,今年初めの『週刊(e) 』に,原告記者の思いがけ ない現状が報じられていた。氏は三月で a を早期退社し,四月から d 大学 に教授として務める予定だというのだ。d 大学に問い合わせると,大学側は氏がどの学部で何を教えるのかなどは公表していないが,四月から教授 として赴任する予定だと回答した。」との記述(甲7)があることを踏まえ,乙1論文アの一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すると,別紙主張対照表1記述(5)は,①原告が,e 氏が継父によって人身売買され, 慰安婦にさせられたという経緯を知りながらこれを報じず,慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊とを結びつけ,e 氏が「女子挺身隊」の名で日本軍によって戦場に強制連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた 「朝鮮人従軍慰安婦」であるとする事実と異なる本件記事Aを敢えて執筆 したという事実(【裁判所認定摘示事実1】)を摘示するとともに,①の事実に加え,②原告が平成26年4月から d 大学で教授として務める予定であるという事実及び③原告が上記1の事実について説明していないという事実を前提として,原告が,人格,識見,誠実さを以て全力で当たるべき教職の地位に立つ資格がないという,被告乙1の意見ないし論評が記載されたものと解するのが相当である。そして,上記①の事実が原告の社会的評価を低下させるものであることは前記(1)のとおりであり,また,上記の意見ないし論評は,原告が,職業倫理に反する行為を行いながらそれについて説明もしない,人格,識見,誠実さが求められる教員にふさわしくない人物であるとの印象を与え,原告の社会的な評価を低下させるものであるというべきである。

(2) 乙1論文イについて

 別紙主張対照表2の記述は,「意図的な虚偽報道」という見出しと,これに続く,「氏は,韓国の女子挺身隊と慰安婦を結びつけ,日本が強制連行したとの内容で報じたが,挺身隊は勤労奉仕の若い女性たちのことで慰安婦とは無関係だ。」,「原告氏は韓国語を操り,妻が韓国人だ。その母親は,慰安婦問題で日本政府を相手どって訴訟を起こした「f」の幹部である。」,「原告氏の「誤報」は単なる誤報ではなく,意図的な虚偽報道だと言われても仕方がないだろう。」という本文の部分である。
 この記述を,乙1論文イ(甲8)の上記各記述の前後の記述も踏まえ,乙1論文イの一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すると,当該記述のうち本文は,①原告が,慰安婦とは無関係の韓国の女子挺身隊と慰安婦とを結び付けて日本が韓国人女性を女子挺身隊として強制連行したという事実と異なる本件記事Aを執筆したとの事実(以下,この事実を【裁判所認定摘示事実2】という。),②原告が韓国語を操り,原告の妻が韓国人であるとの事実,③原告の妻の母親が慰安婦問題で日本政府を相手どって訴訟を起こした f の幹部であるとの事実を摘示した上で,これら①から③までの各事実を前提に,原告が意図的に事実と異なる本件記事Aを執筆したと言われても仕方がないとの意見ないし論評が記載されたものと解するのが相当であり,また,見出し部分は,かかる意見ないし論評の要約であると解するのが相当である。そして,上記①の事実は,ジャーナリストである原告が事実と異なる報道をしたとの印象を与え,原告の社会的評価を低下させるとともに,上記意見ないし論評は,原告が単に事実と異なる報道をしたというに止まらず, それが職業倫理に反した意図的なものであったとの印象を与えるものである から,やはり原告の社会的評価を低下させるものであるというべきである。
 原告は,別紙主張対照表2の記述に加え,被告乙1が著名なジャーナリス トであり,ホームページ上で,従前から,日本が従軍慰安婦を強制連行した事実はないなどと主張していることを踏まえ,乙1論文イの一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば,別紙主張対照表2の「摘示事実又は意見論評」欄に記載の事実が摘示されていると主張する。しかし,被告乙1が著名なジャーナリストであるとしても,乙1論文イの一般読者が,被告乙1がホームページで主張している内容を詳細に知っているとは限らない。また,「意図的な虚偽報道と言われても仕方がない」かどうかは,証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項であると解することはできず,乙1論文イ(甲8)における別紙主張対照表2の記述の前後の文脈を見ても,同記述が,間接的ないしえん曲に,あるいは,黙示的に, 原告が主張するような事実を主張するものと解するのは困難である。

(3) 乙1論文ウについて

 別紙主張対照表3の記述は,「原告氏は b 大の人格教育にどのように貢献すると考えるか,と。23年前,女子挺身隊と慰安婦を結びつける虚偽の記事を書いた原告氏は,10月14日の今日まで,自身の捏造記事について説明したという話は聞こえてこない。」(記述(1)),23年間,捏造報道の訂正も説明もせず頬被りを続ける元記者を教壇に立たせ学生に教えさせることが,一体,大学教育のあるべき姿なのか。」 (記述(2)),しかし,原告氏の捏造報道と学問の自由,表現の自由は異質の問題である。」(記述(3)), 「この女性,e 氏は,女子挺身隊の一員ではなく,貧しさゆえに親に売られた気の毒な女性である。にも拘わらず,原告氏は,e 氏が女子挺身隊として連行された女性たちの中の生き残りの一人だと書いた。一人の女性の人生話として書いたこの記事は,挺身隊と慰安婦は同じだったか否かという一般論次元の問題ではなく,明確な捏造記事である。」(記述(4))というものである。

ア 別紙主張対照表3記述(1)について

 同記述の前に「札幌市の b 大学と同大学非常勤講師,原告元 a 新聞記者」との記述がなされていることや,同記述(1)の後に,本件記事Aを特定してそ
の一部を引用した上,「自身の捏造記事」と記述があり,続けて同記述(4)で本件記事Aが捏造であると推断する論拠を踏まえて「明確な捏造記事」 との記述がされている(甲9)ことからすると, 乙1論文ウの一般読者 の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば, 同記述(1)は,①原告が, e 氏が実際は貧しさのために親に売られた気の毒な女性であるにもかかわらず,それを知りながら,e 氏が女子挺身隊として連行された慰安婦の生き残りの一人であるとして,女子挺身隊と慰安婦を結び付ける事実と異なる本件記事Aを敢えて執筆したという事実(以下,この事実を【裁判所認定摘示事実3】という。),②そのような事実があるにもかかわらず,原告が,本件記事Aの執筆後,被告乙1が乙1論文ウを執筆した平成26年10月14日までの間,そのことについて説明をしていないという事実, ③原告が b 大学の非常勤講師であるという事実を,それぞれ摘示するとともに,これらの事実を前提として,原告が b 大学の人格教育に貢献をする人物であるのか疑問であるとの被告乙1の意見ないし論評を記載したものであると解するのが相当である。
 そして,上記①及び②の事実の摘示は,ジャーナリストである原告が, その職業倫理に反して意図的に虚偽の事実を報道し,さらには,そのことに関し,何らの説明責任も果たしていない無責任な人物であるとの印象を与え,その社会的評価を低下させるものであり,また,意見ないし論評の表明部分についても,原告が大学教員としての適格性に欠けるとの印象を与え,その社会的評価を低下させるものであるというべきである。

イ 別紙主張対照表3記述(2)について

 上記アで挙げた記述を踏まえて,乙1論文ウの一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すると,同記述(2)は,上記(3)ア①から同③までの各事実に加え,④原告が本件記事Aを訂正もしていないとの事実を摘示するとともに,これらの事実を前提として,原告を教員として教壇に立たせ学生に教えさせることが大学教育のあるべき姿として疑問であるとの被告乙1の意見ないし論評を記載したものであると解するのが相当である。
 上記①②④の各事実の摘示は,ジャーナリストである原告が,その職業倫理に反して意図的に虚偽の事実を報道し,さらには,そのことに関し,説明責任を果たさず何らの訂正もしない無責任な人物であるとの印象を与え,その社会的評価を低下させるものであり,また,意見ないし論評の表明部分については,原告を大学教育のために教壇に立たせる資格のない人物であるとの印象を与えるものであって,その社会的評価を低下させるものであるというべきである。

ウ 別紙主張対照表3記述(3)について

 上記(3)アで挙げた記述や同記述(2)の記述を踏まえ,乙1論文ウの一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すると,同記述(3)は,上記(3) ア①の事実を摘示するとともに,上記(3)ア②,同③及び上記(3)イ④の事実を前提に,原告の姿勢と学問の自由や表現の自由は異質の問題であるとの被告乙1の意見ないし論評を記載したものであると解するのが相当である。
 そして,上記(3)ア①の摘示は,ジャーナリストである原告が,その職業倫理に反して意図的に虚偽の事実を報道し,そのことに関して訂正もしない無責任な人物であるとの印象を与えるものであって,その社会的評価を低下させるとともに,意見ないし論評部分は,学問の自由や表現の自由があるとしても原告が看過することのできない問題のある記事を執筆したとの印象を与え,原告の社会的評価を低下させるものであるというべきである。

エ 別紙主張対照表3記述(4)について

 同記述(1)を踏まえ,乙1論文ウの一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すると,同記述(4)は,上記(3)ア①の事実を摘示したものと解するのが相当である。
 上記事実の摘示は,ジャーナリストである原告が,その職業倫理に反して意図的に虚偽の事実を報道したというものであり,その社会的評価を低下させるものであるというべきである。
オ 原告は,別紙主張対照表3の記述に加え,被告乙1が著名なジャーナリストであり,ホームページ上で,従前から,日本が従軍慰安婦を強制連行した事実はないなどと主張していることを踏まえ,乙1論文ウの一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば,別紙主張対照表3の「摘示事実又は意見論評」欄に記載の事実が摘示されていると主張する。しかし,被告乙1が著名なジャーナリストであるとしても,乙1論文ウの一般 読者が,被告乙1がホームページで主張している内容を詳細に知っているとは限らず,乙1論文ウの一般読者の普通の注意と読み方を基準として上記各記述を解釈すると,上記各記述において上記で説示した内容を超えて, 原告の主張する事実が摘示されていると認めるのは困難である。
 他方,被告乙1及び被告乙3は,「捏造」が意見ないし論評の表明であ るとの趣旨の主張をする。しかし,一般的に「捏造」が「ないことをあるかのように偽って作り上げること」という意味と理解されるから,一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すると,乙1論文ウの文中で用いられている「捏造」は,原告が事実と異なることを知りながら敢えて本件記事Aを執筆したとの事実を摘示するものと解するのが相当であり,乙1論文ウの全体の記述を見ても,被告乙1が「捏造」の文言を一般的な用法と異なる評価的な要素を持たせて記載しているものと解することはできない。

(4) 乙1論文エについて

 別紙主張対照表4の記述は,「若い少女たちが強制連行されたという報告 の基になったのが「a 新聞」の原告記者(すでに退社)の捏造記事である。」(記述(1)),「原告氏は慰安婦とは無関係の女子挺身隊という勤労奉仕の少女たちと慰安婦を結び付けて報じた人物だ。」(記述(2))というものである。
 乙1論文エ(甲10)において,原告に関して言及された部分は,別紙主張対照表4記述(1)及び同記述(2)以外には存在していないと認められるから,これらの記述を踏まえて,乙1論文エの一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すると,別紙主張整理表4の記述は,原告が慰安婦と女子挺身隊という勤労奉仕の少女たちが無関係であることを知りながら,両者を結びつける事実と異なる記事を敢えて執筆したとの事実(以下,この事実を【裁判所認定摘示事実4】という。)を摘示するものと解するのが相当である。
 そして,この事実の摘示がジャーナリストである原告に対して向けられたものであることを考慮すると,その記事の詳細についての言及がなくとも,同事実の摘示は,ジャーナリストである原告がその職業倫理に反して意図的に虚偽の事実を報道したとの印象を与え,その社会的評価を低下させるもので あることを否定することはできないというべきである。
 これに対して,被告乙1及び被告乙4は,「捏造」が意見ないし論評の表明であるとの趣旨の主張をするが,一般的に「捏造」が「ないことをあるか のように偽って作り上げること」という意味と理解されるから,一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すると,乙1論文エの文中で用いられている「捏造」は,原告が事実と異なることを知りながら敢えて記事を執筆 したとの事実を摘示するものと解するのが相当であり,乙1論文エの全体の記述を見ても,被告乙1が「捏造」の文言を一般的な用法と異なる評価的な要素を持たせて記載しているものと解することはできない。

(5) 乙1論文オについて

 別紙主張対照表5の記述は,「ならば捏造と考えるのが当然である。原告氏が捏造でないと言うのなら,証拠となるテープを出せばよい。そうでもしない限り,捏造と言われても仕方がない。」というものである。
 証拠(甲11)によれば,別紙主張対照表5の記述の前には,次のとおりの記述があることが認められる。すなわち,「原告氏の責任も極めて大きい。前述の七日の紙面で氏は,「記事を捏造した事実は断じてない。」とし,今後,手記を発表するそうだ。それにしても,a の記事取り消しから二カ月余り,この間,氏は一体何をしていたのか。氏が一九九一年八月一一日の紙面に書いた記事は「思い出すと今も涙」という見出しだった。「女子挺身隊の名で戦場に連行され」「日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」と書かれている。記事の中で女性は匿名にされているが,同じ女性が三日後の八月一四日にソウルで内外記者団を前に会見した。彼女は e という実名を名乗り,家が貧しかったため実の母親にキーセンに売られたと語っている。どこにも女子挺身隊など出てこない。原告氏の記事のわずか三日後に内外に明らかにされた「母親に売られた」という事実を,なぜ,原告氏はその後,ずっと書かなかったのか。なぜ,女子挺身隊として日本軍に連行されたという重大な虚偽を,ずっと,訂正しなかったのか。a は当時,挺身隊と慰安婦は混同されていたと釈明したが,年配の人なら,およそ全員が両者は別物と知っていたはずだ。原告氏は e 氏の言葉を裏取りもせずに報じたのか。その場合,記者として謝罪すべきだ。一方,e 氏はその後もいろいろな機会に発言した。その中で,私の知る限り,一度も,自分は挺身隊だったとは語っていない。従って,なぜ原告氏が挺身隊の名の下で彼女が連行されたと書いたのかと,疑問を抱くのは当然である。彼女は原告氏にだけ挺身隊だったと言ったのか。しかし,他の多くの場面で彼女は一度も挺身隊だと言っていないことから考えて,この可能性は非常に低いと思わざるを得ない。」
 別紙主張対照表5の記述を,その前に存在した上記の記述を踏まえ,乙1論文オの一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すると,別紙主張対照表5の記述は,①原告が執筆した本件記事Aには e 氏が女子挺身隊として日本軍に連行されたという事実と異なる記載があること,②e 氏が平成3年8月14日にソウル市内で開いた記者会見の際,家が貧しかったため実の母親にキーセンに売られたとの話をし,女子挺身隊との話が出てこなかったが,原告は,e 氏が母親に売られたとの話をその後も書いていないこと,③原告が事実と異なる本件記事Aを訂正していないこと,④被告乙1の知る限り e 氏が自身を挺身隊だったと語っていないこと,⑤原告が本件記事Aを執筆するに当たって e 氏のインタビューを録音したテープを提出していないとの事実を前提として,原告が,e 氏が女子挺身隊として日本軍に連行されたという事実がないのにこれを知りながら,e 氏が日本軍に連行されて慰安婦とされたという事実と異なる記事を敢えて執筆したと言われても仕方がないとの被告乙1の意見ないし論評が表明されているものと理解するのが相当である。そして,かかる意見ないし論評は,ジャーナリストである原告が単に事実と異なる報道をしたというに止まらず,職業倫理に反した意図的なものであったとの印象を与えるものであり,原告の社会的評価を低下させるものである。
 これに対して,原告は,被告乙1が著名なジャーナリストであり,ホームページ上で,従前から,日本が従軍慰安婦を強制連行した事実はないなどと主張していることを踏まえ,乙1論文オの一般読者の普通の注意と読み方を 基準として解釈すれば,別紙主張対照表5の「摘示事実又は意見論評」欄に 記載のとおりの事実が摘示されていると主張する。しかし,乙1論文オが掲載された週刊(c)の5週前の号に掲載された乙1論文エ(甲10)と異なり,「捏造だと言われても仕方がない。」との表現を用いており,「仕方がない」 かどうかは,証拠をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項であると直ちに言い難いことに加え,別紙主張対照表5の記述の前後の文脈(甲11)を見ても,同記述が,間接的ないしえん曲に,あるいは, 黙示的に,原告が主張するような事実を主張するものと確定的に理解することは困難である。加えて,被告乙1が著名なジャーナリストであるとしても,乙1論文オの一般読者が,被告乙1がホームページで主張している内容を詳細に知っているとは限らず,乙1論文エと乙1論文オの論調が異なることからしても,乙1論文オの一般読者の普通の注意と読み方を基準として上記各 記述を解釈すると,上記各記述において上記で説示した内容を超えて,原告の主張する事実が摘示されていると認めるのは困難である。

(6) 乙1論文カについて

別紙主張対照表6の記述は,「慰安婦と女子挺身隊を一体のものとして捏造記事を物した原告・a 新聞元記者」というものである。
 別紙主張対照表6の記述を,その直後に「私の主張は先週の小欄で書いた通りだ。」との乙1論文カが掲載された週刊(c)の前号に掲載された乙1論文オの存在が明示されている(甲12)ことを踏まえ,乙1論文カの一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すると,別紙主張対照表6の記述における「捏造記事」との文言は,乙1論文オにおいて言及されている本件記事Aに関する意見論評部分を要約したものと解するのが相当である。そして,上記意見論評が,ジャーナリストである原告が単に事実と異なる報道をしたというに止まらず,職業倫理に反した意図的なものであったとの印象を与えるものであり,原告の社会的評価を低下させるものであることは前記 のとおりである。

2 争点 (摘示された事実又は論評若しくは意見の前提とされた事実が真実で あり,また,真実であると信じたことについて相当な理由があるか)について

(1) 前記前提事実に加え,後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

ア 原告が本件記事Aを執筆するに至るまでの経緯

(ア) 原告は,昭和57年4月,a 新聞社に入社し,昭和62年夏から1年間,同社に籍を置きつつ,韓国の大学の語学学校で1年間,韓国語の勉強をし,その後,平成元年11月から大阪社会部で勤務をするようになった(甲93【1頁~3頁】)。

(イ) 原告は,平成2年夏,2週間,慰安婦問題の取材のため韓国を訪れ,従前から慰安婦問題を取り上げていた i からも協力を得て取材を進めたが,元慰安婦に対する取材を行うことはできなかった。なお,i は,同年11月に j を立ち上げた。(甲93【4頁】)
 原告は,この取材活動を通じて,f の常任理事を務めていた g(義母)の娘と知り合い,平成3年2月,同人と婚姻した(甲93【4頁,8頁】)。

(ウ) 原告は,平成3年夏頃,ソウル支局長から,i ら j が元慰安婦の聞き取り調査をしているとの情報を得て,同年8月10日,j の事務所で,e 氏の発言が録音されたテープを聞くとともに,i からも聞き取りを実施した。原告は,ソウル支局での2年間の取材結果に加えて,同日に取材したメモや録音を元に本件記事Aを執筆した。(甲93【5頁】,原告本人【7頁~11頁】,弁論の全趣旨)

(エ) 平成3年8月11日付け a 新聞大阪本社版朝刊社会面には,トップ記事で,原告が執筆した「思い出すと今も涙 韓国の団体聞き取り」というタイトルの本件記事Aが掲載され,同月12日には,同東京版朝刊で字数を削ったものが掲載された(前記前提事実(2) )。

イ (f)新聞記者によるe氏への取材及び記事の執筆

 平成3年7月当時,(f)新聞ソウル支局駐在記者であった k は,(f)新聞社本社から,ソウルから太平洋戦争開戦50年の連載記事の第1回分の記事を出せるかと問合せを受け,自ら従軍慰安婦問題を提案して取材を開始した。k は,同年8月13日夕刻ないし同月14日午前,取材先であった jの i から,元慰安婦の女性がインタビューに応じるとの連絡を受け,同日,e 氏に対するインタビューを実施し,これを基に以下の記事を執筆し,(f)新聞紙上に掲載された。(甲94【2頁~5頁】)

(ア) 平成3年8月15日付け(f)新聞朝刊社会面トップ記事(甲24)

 「戦前,女子挺(てい)身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌(りょう)辱されたソウルに住む韓国人女性が十四日, j(本部・ソウル市A区,i・共同代表)に名乗り出,(f)新聞の単独インタビューに応じた。(中略)この女性は「女子挺身隊問題に日本が国として責任を取ろうとしないので恥ずかしさを忍んで...」とし,日本政府相手に損害賠償訴訟も辞さない決意を明らかにした。」(中略)「この女性はソウル市B区C,e さん(六七)=中国吉林省生まれ=。e さんの説明によると,十六歳だった一九四〇年,中国中部のDというところにあった日本軍部隊の慰安所に他の韓国人女性三人と一緒に強制的に収容された。「養父と,もう一人の養女と三人が部隊に呼ばれ,土下座して許しを請う父だけが追い返され,何がなんだか分からないまま慰安婦の生活が始まった。」(e さん)」。
 なお,この記事には,「従軍慰安婦」の用語解説として,「旧日本軍直轄の管理売春制度によって戦場に連れて行かれ,兵士を相手に強制売春させられた女性。日中戦争下の一九三八年ごろから大規模に始まり,その主な対象は植民地下の朝鮮の未婚女性だった。初めは日本人業者が警察官らと村を回りだまして連れ去るケースが多かった。四三年からは 「女子挺身隊」の名で動員され,一般勤労のほか,多くが慰安婦とされた。戦後,戦場に置き去りにされた。」との囲み記事が付されているが,同囲み記事部分は,k ではなく,(f)新聞本社の関係者が執筆したもので ある(証人 k【30頁,31頁】)。

(イ) 平成3年8月18日付け(f)新聞朝刊1面連載記事(甲62)

 「先月下旬,李朝の宮殿「徳寿宮」の裏手にある l(ソウル市A区)に,中年女性に伴われた小柄なハルモニ(おばあさん)が前触れもなく訪れた。応対した韓国人女子挺身隊(従軍慰安婦)問題担当の事務局員 m さんは,広島での被爆体験を持つこの中年女性とは顔見知りだった。しかし,初対面のハルモニが「私は女子挺身隊だった」と切り出した言葉に思わず息をのんだ。e さん,平壌出身の母親を持ち,一九二四年,満州(中国東北地方)吉林省で生まれた。太平洋戦争開戦の前年四〇年,中国北部のDというところで妓生(キーセン=日本の芸者に当たる)にな る修行をしていた当時一六歳の e さんは,日本軍部隊に義父とともに突然呼び出され,慰安所で厳しい監視下に置かれた。」

ウ e氏の共同記者会見

 e 氏は,平成3年8月14日,ソウル市内で記者会見を行った。その記者会見の内容を報じた韓国の新聞社の記事及び韓国のテレビ局による報道には,以下のような内容が含まれていた。(甲59(枝番を含む。以下,同じ。)から甲61まで,甲102,甲105,乙イ2,乙イ27)

(ア) 1991年8月15日付け(g)日報(甲59)

 「「挺身隊慰安婦として苦痛を受けた私が,こうやってちゃんと生きているのに,日本は従軍慰安婦を連行した事実がないと言い,韓国政府は知らないなどとは話になりません。」解放から46年ぶりに国内在住者としては初めて,日本の統治下で日本軍の従軍慰安婦という恥ずかしめを受けた証人が歴史の表に現れた。」(中略)「e さんが従軍慰安婦として連れて行かれたのは,満16歳になった1940年春。早くに父をなくし母も再婚したため,13歳で平壌の某家に養女として入った。e さんが平壌キーセンの検番[技芸を教え,キーセンを養成する組合]を終えた年に,養父は e さんをもう一人の養女(当時17歳)と共に,日中戦争が熾烈を極めていた中国中部地方に連れて行った。養女を利用して日本軍相手の「営業」をしようとした養父は,日本軍の銃剣に一銭も受け取れず,彼女たちを日本軍に引き渡した。e さんらは部隊内の慰安所に強制的に収容された。」(中略)「e さんは「挺身隊自体を認めない日本を相手に告訴したい心境」だとして,「韓国政府が一日も早く挺身隊問題を明らかにして,日本政府の公式の謝罪と賠償を受けるべきだ」 と力を込めて語った。」

(イ) 1991年8月15日付け(h)新聞(甲60)

 「14日,女性団体連合事務所で j(代表 i)が設けた記者会見に現れた彼女は,「やられたことだけでも身震いがするのに,日本人が挺身隊という事実自体がなかったと言い逃れすることにあきれ証言することになった。」と明らかにした。1924年,中国の吉林省で n,o 氏の 一人娘として生まれた彼女は,早くに父親を亡くし,母も再婚すると, 養父の手で育てられた。14歳の時から,平壌妓生検番に通った。17 歳になった年に養父とともに満州に行った e ハルモニは,日本軍にとら えられ,従軍慰安婦として生活するようになった。」

(ウ) 1991年8月16日付け(i)日報(甲61)

 「日本政府が存在の事実を否定している従軍慰安婦「挺身隊」の韓国内 の証人が初めて現れた。「16歳の幼い年で中国の奥地に連れて行かれ,日本軍慰安婦として苦痛を受けた私がこうやってちゃんと生きているのに,そのような事実はなかったなどとは話になりません」。50年以上も胸の奥にしまっておいた恨みを,歴史の名で証言すると名乗り出た eさん(66・女・ソウルB区C1)は14日,j 事務所で自らが体験した「朝鮮女子挺身隊」の実情を告発した。「1940年春,日中戦争が熾烈を極めていた中国中部地方のDという場所に,わけも分からず売られて行きました。中国人が戦争の最中に捨てて行った民家を慰安所に仕立ててあったのです。」

(エ) 1991年8月15日付け(j)新聞(甲105,乙イ2,乙イ27。訳文は甲105の2によった。)

 「17歳,花のような年齢で,5カ月あまりの間,日本軍人たちの従軍慰安婦を経験した e(67・ソウルB区C1・写真)おばあさんが14日午後,韓国女性団体連合会事務室で惨状を暴露する記者会見を持った。」(中略)「「今も『日章旗』を見るだけで嫌な気持ちになり,胸がどきどきします。テレビや新聞で,最近も日本が従軍慰安婦を連行した事実はないと言う話を聞くと,悲嘆に暮れます。日本を相手に裁判でもしたい心情です。」」(中略)「1924年満州吉林省で生まれた e さんは父親が生後100日で亡くなってしまい,生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあるキーセンの検番に売られていった。3年間の検番生活を終えた e さんが初めての就職だと思って,検番の義父に連れられていった所が,華北のEの日本軍300名余りがいる小部隊の前だった。私を連れて行った義父も当時,日本軍人にカネももらえず武力で私をそのまま奪われたようでした。その後,5カ月間の生活はほとんど毎日,4~5名の日本軍人を相手にすることが全部でした。」(中略)「j は「e さんの証言をはじめとして生存者,遺族などの証言 を通じて歴史の裏側に埋もれていた挺身隊の実相が明らかにされなければならない」と強調した。」

(オ) 1991年8月14日における(k)テレビによる報道(甲102)

 「日帝(日本帝国主義)の野蛮な蛮行である挺身隊,その挺身隊出身の恨(ハン)多き女性が今日,46年ぶりに国内では初めて当時の状況を証言しました。満16歳で日中戦争の最前線である激戦地に連行され,日本軍慰安婦とならざるを得なかった e ハルモニを p 記者が会いました。」
「記者:こうしてご自身の話を吐露する決心をした動機は何ですか?」
「e:特に動機はありません。ずっと胸の中にしまってきたのですが,あまりに悔しくて。誰に訴えようか。」
「記者:最初に日本の軍人に連れて行かれた時の状況を少しお話くださ い。」
「e:軍人たちが行こうと言えば行かない訳にはいきません。行こうと言えば行くしかない。ついて行くしか。何も分からないし,軍人が行こうというのだから従わなければならないと思い,そのままついて行きました。」

エ e氏による日本政府への提訴と原告による本件記事Bの執筆

(ア) f の会員35名は,東京地方裁判所に対し,平成3年12月6日,日本国を被告とする「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」の訴え(以下「平成3年訴訟」という。)を提起した。平成3年訴訟の原告らの中には,同年11月に f に入会した e 氏も含まれていた。(甲93【7頁~8頁】,乙イ43,乙ロ174【21頁,22頁】)
 平成3年訴訟に係る訴状中,e 氏について言及した部分(乙イ43【50頁以下】)には,次のような記載がある。「原告 e(以下「e」という。)は,一九二三年中国東北地方の吉林省で生まれたが,同人誕生後,父がまもなく死亡したため,母と共に親戚のいる平壌へ戻り,普通学校にも四年生まで通った。母は家政婦などをしていたが,家が貧乏なため,e も普通学校を辞め,子守や手伝いなどをしていた。q という人の養女となり,一四歳からキーセン学校に三年間通ったが,一九三九 年,一七歳(数え)の春,「そこへ行けば金儲けができる」と説得され,e の同僚で一歳年上の女性(r といった)と共に養父に連れられて中国へ渡った。トラックに乗って平壌駅に行き,そこから軍人しか乗っていない軍用列車に三日閥(ママ)乗せられた。何度も乗り換えたが,安東と北京を通ったこと,到着したところが,「北支」「カッカ県」「D」であるとしかわからなかった。「D」へは夜着いた。小さな部落だった。養父とはそこで別れた。e らは中国人の家に将校に案内され,部屋に入れられ鍵を掛けられた。そのとき初めて「しまった」と思った。」

(イ) 原告は,平成3年訴訟の提訴に先立つ平成3年11月25日,平成3年訴訟の原告弁護団による e 氏に対する聞き取りに同行し,平成3年訴訟の提訴後である同年12月25日付け a 新聞大阪本社版に本件記事Bを執筆した。本件記事B(甲6)には,次のとおりの記載がある。「『そこへ行けば金もうけができる』。こんな話を,地区の仕事をしている人に言われました。仕事の中身はいいませんでした。近くの友人と二人,誘いに乗りました。十七歳(数え)の春(一九三九年)でした。」,「平壌駅から軍人たちと一緒の列車に乗せられ,三日間。北京を経て,小さな集落に連れて行かれました。怖かったけれど,我慢しました。真っ暗い夜でした。私と,友人は将校のような人に,中国人が使っていた空き家の暗い部屋に閉じ込められたのです。鍵をかけられてしまいました。しまったと思いました。」
 なお,原告は,本件記事Bの作成時点では,e 氏が,「平壌にあったキーセンを養成する芸能学校に入り,将来は芸人になって生きていこうと決心したのでした」と発言したことを聞いていたが,「キーセン学校」 に通ったことと慰安婦にさせられたことは関係がないと考えて,本件記事Bには書かなかった。なお,1970年,80年代の日本人男性が韓 国に行く「キーセン観光」は,「キーセン」に名を借りた売春行為のことをいうものであった。
 (以上,甲93【7頁,8頁】,乙イ1【11頁】,原告本人【14 頁】)

オ e氏に関するa新聞及び(f)新聞以外の新聞社の報道状況

 平成3年8月14日の e 氏の共同記者会見の後,a 新聞及び(f)新聞以外
の新聞において,e 氏に関し,以下のような記事が掲載された。

(ア) 平成3年9月28日付け(l)新聞(甲64)

「八月下旬,うだるような暑さのソウルで,関係者の橋渡しで e さん(六七)に会った。」(中略)「父を早くに亡くした e さんは,中国の商人に引き取られ,旧日本軍に売り渡された。旧満州(現中国東北部) の慰安所に連行された時はまだ十七歳。どこに連行されたかもわからない。「日本兵に軍用トラックに乗せられ,これから自分はどうなるか,恐ろしくてたまらなかった。田舎道をひたすら走り,中国人の民家に着いた。それから悪夢が始まった」」

(イ) 平成3年12月7日付け(d)新聞(甲65)

「太平洋戦争中,旧日本軍の従軍慰安婦として精神的,肉体的苦痛を強いられたとして国に対して補償を求める訴えを東京地裁に提訴した e さん(六七)が六日,大阪市F区のGで記者会見し「日本の若い人たちに過去の侵略の歴史を知ってもらいたい。日本政府は従軍慰安婦の存在を認め,謝罪してほしい」と強く訴えた。e さんは十七歳の時,日本軍に強制的に連行され,中国の前線で,軍人の相手をする慰安婦として働かされた。」

(ウ) 平成3年12月13日付け(l)新聞(甲66)

「太平洋戦争中,旧日本軍に強制的に駆り出された軍人,軍属,慰安婦だった韓国人と遺族らが日本政府に謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴した。十四歳以上の女性が挺身(ていしん)隊などの名で朝鮮半島から連行され,従軍慰安婦に。その数は二十万人ともいい,終戦後,戦場に置き去りにされた。e さんは十五歳の春,日本軍兵士にら致された。「挺身隊,勤労奉仕の名目すらなかった。『このやろう。朝鮮人』と殴って引っ張っていくだけだった。」」

(エ) 平成5年8月31日付け(d)新聞(甲67)

「今月十三日夜。韓国・ソウル市内Hに国際電話をかけた。相手は朝鮮人の元従軍慰安婦 e さん(六九)。二年前,旧軍人らの同胞と総額七億円の補償を日本政府に求め,東京地裁に提訴した原告のひとりだ。」 (中略)「太平洋戦争が始まった一九四一年ごろ,e さんは日本軍の目を逃れるため,養父と義姉の三人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。十七歳の時だ。食堂で食事をしようとした三人に,長い刀を背負った日本人将校が近づいた。「お前たちは朝鮮人か。スパイだろう」そう言って,まず養父を連行。e さんらを無理やり軍用トラックに押し込んで一晩中,車を走らせた。」

カ e氏に関する週刊誌報道(乙イ31) 

 ジャーナリストである s は,平成4年1月5日に発行された「週刊(m)」 2月号に「もうひとつの太平洋戦争 朝鮮人慰安婦が告発する私たちの 肉体を弄んだ日本軍の猟色と破廉恥」と題する記事(以下「s 論文」とい う。)を執筆した。同記事の中では,e 氏の証言として,以下のような記述がされている。 「私は,満州吉林で生まれました。父は独立運動家を助ける愛国者でしたが,私が生まれて百日後に死んだそうです。生活が苦しいために母は二歳 になった私を連れて,生まれ故郷の平壌に帰り,親戚を頼ったのです。でも,母子二人の生活は相変わらず貧乏のどん底で,私は小学校四年までしかいっていません。母は家政婦,私は近所の子守をしながら細々と暮らしていたのですが,十四歳のとき,母が再婚したのです。私は新しい父を好きになれず,次第に母にも反発し始め,何度か家出もしました。その後平壌にあった妓生専門学校の経営者に四十円で売られ,養女として踊り,楽器などを徹底的に仕込まれたのです。ところが,十七歳のとき,養父は 「稼ぎにいくぞ」と,私と同僚の「r」を連れて汽車に乗ったのです。着いたところは満州のどこかの駅でした。サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて,やがて将校と養父との間で喧嘩が始まり「おかしいな」と思っていると養父は将校たちに刀で脅され,土下座させられたあと,どこかに連れ去られてしまったのです。私と r は,北京に連れて行かれ,そこからは軍用トラックで,着いたところが「北支のカッカ県Dだったと記憶しています。」

キ 女子挺身隊と慰安婦を巡る著作及び報道の内容

(ア) 日本政府による国家総動員法に基づく国民の勤労動員のうち,女性の
勤労動員制度は,昭和16年11月の国民勤労報告協力令,昭和18年の次官会議決定(女子勤労動員ノ促進ニ関スル件)などによって始められ,上記決定においては,女子を動員すべき職種として,航空関係工場,政府作業庁,公務員の男子徴用や男子就業の制限・禁止により女子の補充を要するものを定め,新たに「女子勤労挺身隊(仮称)」を自主的に組織する制度を採用することが定められた。その後,昭和19年の女子挺身勤労令により,法的強制力のある女子挺身隊制度が設けられたが, 同令において「女子挺身隊」とは「勤労常時要員としての女子(学徒勤 労令の適用を受くべきものを除く)の隊組織」と定義され(同令1条),女性が女子挺身隊として行う勤労協力は,国等が指定する者の行う命令によって定められる総動員業務についてこれを行わせると規定されてい る(同令2条)。このように,女子挺身隊とは,これらの勤労動員制度に基づき,国家総動員法5条が規定する「総動員業務」(総動員物資の生産,修理,配給,輸出,輸入又は保管に関する業務等をいう。同法2条,3条参照)について工場などで労働に従事する女性のことを指すものである。(乙イ9から乙イ12まで)
 これに対し,慰安婦ないし従軍慰安婦とは,太平洋戦争終結前の公娼制度の下で戦地において売春に従事していた女性などの呼称のひとつであり,女子挺身隊とは異なるものである(乙イ18【145頁】,乙イ 20【281頁】,乙イ38【141頁】,乙ロ174【24頁以下, 358頁以下,366頁以下】)。

(イ) もっとも,韓国国内においては,挺身隊と慰安婦とを混同して理解さ れており,日本国内において刊行された書籍においても,日本軍が朝鮮 人女性を女子挺身隊として徴用したとする内容の著作が存在した。
 このうち,吉田清治(以下「吉田」という。)の「朝鮮人慰安婦と日本人」(同年3月1日初版,乙イ7)及び「私の戦争犯罪」(昭和58 年7月31日初版,乙イ8)と題する著作は,いずれも吉田自身が,陸軍部隊の要請に基づく動員命令書により朝鮮人女性を女子挺身隊として徴用し,慰安婦とすることに関与したと告白する内容であり,特に後者は,徴用に当たり暴力的手段を用いたことに言及するものであった。吉田の著作を除く他の人物による著作では,女子挺身隊と慰安婦との関係に関する記述は,いずれも伝聞に基づく形でされたものであった。(甲 57,甲58,乙イ7,乙イ8,弁論の全趣旨)

(ウ) 日本国内における報道でも,「韓国では「挺身隊」は「従軍慰安婦」 と同じと考えられているため,一連のマスコミ報道で韓国民の多くは 「戦時中の日本は韓国から小学校まで従軍慰安婦として引っ張っていった」と受け止めている」(平成4年1月16日付け(d)新聞。乙イ13),「韓国のマスコミには,挺身隊イコール従軍慰安婦としてとらえているものが目立ち,韓国民の多くは「日本は小学生までを慰安婦にしていた」 と受け止めている。」(同日付け a 新聞。乙イ14)として,両者を別のものとして報じる例もあったものの,昭和50年代から挺身隊と慰安婦とを混同する報道も多く見られた。
 また,日本国内の報道の中には,「日中戦争から太平洋戦争にかけて「女子挺身隊」の名で連行され日本兵相手に売春を強いられたという朝鮮人従軍慰安婦問題の真相を解明し,日本政府の責任を問うために結成された韓国の j」(平成3年8月24日付け(n)新聞。甲63),「昭和一七年以降「女子挺身隊」の名のもとに,日韓併合で無理やり日本人扱いをされていた朝鮮半島の娘たちが,多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた。」(昭和62年8月14日付け(n)新聞。甲20,甲70),「i 元教授によると,朝鮮人従軍慰安婦は一九三七年から終戦まで朝鮮各地から集められ,その数は十万とも二十万人ともいわれる。当初は十七歳から二十歳までの女性だったが,戦争が激しくなると,十四歳から三十歳以上,中には子持ちの女性も「女子挺身隊」の名目で強制的に戦地に送られ,日本兵の相手を強要された。」(平成3年6月4日付け(l)新聞。甲21,甲71),「また「女子挺身隊」などの名目で徴発された朝鮮人女性たちは自由を奪われ,各地の慰安所で兵士たちの相手をさ せられた。」(同年7月12日付け(l)新聞。甲22,甲72),「第二次大戦中に「女性挺身隊」として強制連行され,日本軍兵士相手に売春を強いられたとして,韓国人女性三人を含めた韓国人被害者三十五人が今月六日,日本政府を相手取り,一人当たり二千万円,総額7億円の補償請求訴訟を東京地裁に起こす。」(同年12月3日付け(n)新聞。甲73)のように,韓国人女性が挺身隊として強制連行されて慰安婦とさせられたとの趣旨の表現をするものもあった。 (以上について,甲19から甲25まで,甲56,甲63,甲69から 甲76まで,甲95,甲103,乙イ13,乙イ14,乙イ44から乙 イ51まで)

(エ) a 新聞も,昭和57年頃から平成3年頃までの間,朝鮮人女性が女子挺身隊の名目で慰安婦として強制連行されたとの趣旨の記事を掲載していた。このうち,昭和57年9月2日の記事は,吉田を朝鮮人の強制連行の指揮に当たった動員部長であると紹介した上,朝鮮人女性を狩り出し,女子挺身隊の名で戦場に送り出したとする吉田の供述を初めて掲載したものであり,昭和58年12月24日,平成3年5月22日,同年10月10日にそれぞれ掲載された記事にも,国家総動員体制のもとで軍需工場や炭鉱などで働く労働力確保のための報国会の動員部長として多数の朝鮮人女性を強制連行したとの吉田の供述(以下,朝鮮人女性を女子挺身隊の名で強制連行したとの趣旨の吉田の供述をまとめて,単に 「吉田の供述」という。)が掲載されている。(乙イ1【5頁以下】,乙イ44から乙イ46まで,乙イ50)

ク 吉田の供述に対する疑問点の指摘,本件記事Aへの批判とa新聞の対応

 t 大学教授であった u は,平成4年3月末,吉田が「私の戦争犯罪」において朝鮮人女性を強制連行したと記述する済州島において実地調査を行うなどして,雑誌,新聞などを通じて,吉田の供述内容の信用性に対する疑問点を指摘するようになった。以後,吉田の供述に疑問を呈する報道や記事も増加するようになった。(乙イ1【5頁】,乙イ18, 乙イ23,乙ロ174【235頁以下】)

(イ) h は,「 (o)」1992年4月号に掲載された「慰安婦問題とは何だったのか」と題する記事の中で,本件記事A及び本件記事Bについて以下のような記述をした(乙イ17,乙イ36)。
「原告記者は韓国への留学経験もあり,韓国語に堪能な記者である。昨年六月にはその留学体験を記した本も出版している。そんな原告記者の書く e さんの体験は,悲惨の一言につきる。「地区の仕事をしている人 に騙されて,わずか十七歳で従軍慰安婦にされた―従軍慰安婦制度の残 酷性を告発するのに,これ以上の体験はないと言えるだろう。ところがである。こうした原告記者の記事は実は重大な事実誤認を犯しているの だ。しかもそれはどう考えても間違えようのない類の誤認である。e さんが会見をした翌日,韓国各紙はこれを大きく扱った。すでにその記事 の中で e さんの経歴について,韓国紙は「生活が苦しくなった母親によって十四歳のとき平壌にあるキーセンの検番に売られていった。三年間の検番生活を終えた e さんが初めての就職だと思って,検番の義父に連れられていった所が,北中国の日本軍三百人余りがいる部隊の前だった」 (『(j)新聞』九一年八月一五日)とはっきり書いているのである。もちろん,たとえキーセンとして売られていったとしても,e さんが日本軍の慰安婦として苦汁を舐めたことに変わりはない。しかし,女子挺身隊という名目で明らかに日本当局の強制力によって連行された場合と,eさんのケースのような人身売買による強制売春の場合では,日本軍ないし政府の関与の度合いが相当に違うことも確かだ。それはとりもなおさ ず,記事を読む人々に従軍慰安婦というものを印象づけるインパクトの違いとなる。まして「挺身隊」イコール「慰安婦」という俗説が通用している韓国のことを考えれば,e さんが挺身隊という名目で,日本の国家権力によって強制的に連れていかれたかどうかは,事実関係の上で最も重要なポイントの一つだろう。会見の四日も前に e さんの存在をスク ープした原告記者が,そうした事実を果たしてほんとうに知らなかったのだろうか。まして,提訴後の弁護士同行取材の折にも,韓国語に堪能な原告記者はそうした韓国内の報道を知らずにいたのだろうか。それだけではない,v 弁護士たちが一二月六日に東京地裁に提出した訴状にもe さんは「十四歳からキーセン学校に三年間通ったが,一九三九年,十七歳(数え)の春,『そこへ行けば金儲けができる。』と説得され, (中略)養父に連れられて中国へ渡った」ことが,しっかり記されているのである。これでは,原告記者はある意図を持って,事実の一部を隠 ぺいしようとしたと疑われても仕方がないと私は思う。まして最も熱心にこの問題に関するキャンペーンをはった a 新聞の記者が,こうした誤りを犯すことは世論への影響から見ても許されない。」(乙イ17【1 60頁~162頁】。同旨のものとして,乙イ36【44頁~47頁】)(中略)「さらに,筆者の取材によれば,この原告記者は,今回の個人補償請求裁判の原告側組織である「f」のリーダー的存在,g常任理事の義理の息子なのだ。原告記者は g 常任理事の娘の夫なのである。つまり,彼自身は今回訴えた韓国人犠牲者の遺族の一員とも言えるわけで, そうであればなおのこと,報道姿勢には細心の注意を払わなくてはならないと筆者は思う。」(乙イ17【164頁】。同旨のものとして乙イ 36【48頁,49頁】)
 以後,h は,雑誌などを通じて本件記事A及び本件記事Bに対する批判を続け,平成10年頃からは「捏造」との表現を用いるようになった (甲98【128頁~135頁】)。

(ウ) a 新聞は,平成9年3月31日付け朝刊の特集記事において慰安婦問題を取り上げ,その中で,「吉田清治氏は八三年に,『軍の命令により朝鮮・済州島で慰安婦狩りを行い,女性二百五人を無理やり連行した』とする本を出版していた。慰安婦訴訟をきっかけに再び注目を集め,a新聞などいくつかのメディアに登場したが,まもなく,この証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも,氏の著述を裏付ける証言は出ておらず,真偽は確認できない。吉田氏は『自分の体験をそのまま書いた』と話すが,『反論するつもりはない』として,関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる」との記事を掲載した(乙イ1【2頁,1 9頁】)。
 a 新聞は,後述する平成26年8月の検証記事掲載までの間,吉田の供述に関する過去の a 新聞の報道や本件記事Aについて,上記以上の説明をしたり,これを訂正し,取り消したりすることはなかった(乙イ1 【2頁,19頁】,弁論の全趣旨)。

(エ) a 新聞は,平成26年8月5日付けで a 新聞の過去の慰安婦報道に関する検証記事(以下「本件検証記事」という。)を掲載した。本件検証記事には,吉田の供述について裏付けが得られず,虚偽であると判断したとして,吉田の供述を掲載した記事を取り消す旨の記載がされているほか,a 新聞が慰安婦問題に関する記事を掲載する際,「女子挺身隊」 の名で戦場に動員されたとの表現を用いたことについて,「当時は,慰安婦問題に関する研究が進んでおらず,記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同が見られたことから,誤用しました。」との説明が記載されている。
 本件検証記事は,「元 a 新聞記者の原告氏は,元慰安婦の証言を韓国メディアよりも早く報じました。これに対し,元慰安婦の裁判を支援する韓国人の義母との関係を利用して記事を作り,都合の悪い事実を意図的に隠したのではないかとの指摘があります。」として,本件記事Aを取り上げた。本件検証記事のうち本件記事Aに関する部分では,e 氏の供述の録音テープへの取材は当時のソウル支局長からの連絡がきっかけであり,義母の訴訟を有利にする意図があったわけではないとの原告の説明が掲載されている。また,同部分では,「8月11日の記事で「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』などと記したことをめぐり,キーセンとして人身売買されたことを意図的に記事では触れず,挺身隊として国家によって強制連行されたかのように書いた―との批判がある。」とした上で,「慰安婦と挺身隊の混同については,前項でも触れたように,韓国でも当時慰安婦と挺身隊の混同がみられ,原告氏も誤用した」との説明が記載されているほか,本件記事Aでは e 氏がキーセン学校について 語るのを聞いたことがなく,本件記事Bでキーセンのくだりに触れなかったことについては,キーセンだからといって慰安婦にされて仕方がないというわけではないと考えたとの原告の説明が記載されている。
(以上について,甲26,甲98【220頁】,乙イ1【34頁以下】)

(オ) a 新聞社は,a 新聞社第三者委員会(以下,単に「第三者委員会」という。)に対し,平成26年10月9日,a 新聞が行ってきた慰安婦報道に関して調査及び提言を行うことを委嘱した(乙イ1【1頁】)。第三者委員会は,a 新聞社に対し,同年12月22日,報告書(以下 「本件検証報告書」という。乙1)を提出した。本件検証報告書におい ては,本件記事A及び本件記事Bに関し,以下のような記述がされている。(乙1【16頁~18頁】)
「1991年8月11日付記事(略)については,担当記者の原告がその取材経緯に関して個人的な縁戚関係を利用して特権的に情報にアクセスしたなどの疑義も指摘されるところであるが,そのような事実は認められない。取材経緯に関して,原告は,当時のソウル支局長から紹介を受けて j のテープにアクセスしたと言う。そのソウル支局長も接触のあった j の i 氏からの情報提供を受け,自身は当時ソウル支局が南北関係の取材で多忙であったことから,前年にも慰安婦探しで韓国を取材していた大阪社会部の原告からちょうど連絡があったため取材させるのが適当と考え情報を提供したと言う。これらの供述は,ソウル支局と大阪社会部(特に韓国留学経験者)とが連絡を取ることが常態であったことや原告の韓国における取材経歴等を考えるとなんら不自然ではない。また,原告が元慰安婦の実名を明かされないまま記事を書いた直後に,(f)新聞に単独インタビューに基づく実名記事が掲載されたことをみても,原告が前記記事を書くについて特に有利な立場にあったとは考えられない。 しかし,原告は,記事で取り上げる女性は「だまされた」事例であることをテープ聴取により明確に認識していたにもかかわらず,同記事の前文に,「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち,一人がソウル市内に生存していることがわかり」と記載したことは,事実は本人が女子挺身隊の名で連行されたのでないのに,「女子挺身隊」と「連行」とい う言葉の持つ一般的なイメージから,強制的に連行されたという印象を与えるもので,安易かつ不用意な記載であり,読者の誤解を招くものと言わざるを得ない。この点,当該記事の本文には,「十七歳の時,だまされて慰安婦にされた」との記載があり,原告も,あくまでもだまされた事案との認識であり,単に戦場に連れて行かれたという意味で「連行」 という言葉を用いたに過ぎず,強制連行されたと伝えるつもりはなかった旨説明している。しかし,前文は一読して記事の全体像を読者に強く印象づけるものであること,「だまされた」と記載してあるとはいえ, 「女子挺身隊」の名で「連行」という強い表現を用いているため強制的な事案であるとのイメージを与えることからすると,安易かつ不用意な記載である。そもそも「だまされた」ことと「連行」とは,社会通念あるいは日常の用語法からすれば両立しない。なお,当該女性(e 氏)の 経歴(キーセン学校出身であること)に関しては,1991年8月15日付(j)新聞等は,e 氏がいわゆるキーセン学校の出身であり,養父に中国まで連れて行かれたことについて報道していた。また,1991年12月25日付記事(略)が掲載されたのは,既に元慰安婦らによる日本政府を相手取った訴訟が提起されていた時期であり,その訴状には本人がキーセン学校に通っていたことが記載されていたことから,原告も上 記記事作成時点までにこれを了知していた。キーセン学校に通っていたからといって,e 氏が自ら進んで慰安婦になったとか,だまされて慰安婦にされても仕方がなかったとはいえないが,この記事が慰安婦となった経緯に触れていながら,キーセン学校のことを書かなかったことにより,事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある。原告による「キーセン」イコール慰安婦ではないとする主張は首肯できるが,それなら ば,判明した事実とともに,キーセン学校がいかなるものであるか,そ こに行く女性の人生がどのようなものであるかを描き,読者の判断に委 ねるべきであった。」

(カ) a 新聞は,平成26年12月23日,本件記事Aが,前文において「日中戦争や第二次大戦の際,『女子挺身隊』の名で戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち,1人がソウル市内に生存していることがわかり」との部分について,「この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません。」として,上記前文中「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」の部分を誤りとし て,おわびして訂正する旨の記事を掲載した(甲98【221頁】)。

ケ 被告乙1による本件各乙1論文を執筆するに至る経緯等

(ア) 被告乙1は,昭和55年から平成8年3月までテレビ番組のニュースキャスターを務めたが,その頃から,a 新聞が報じる慰安婦問題に関心を抱いて,南北朝鮮情勢問題等を研究していた w 及び同人が設立した xに参加した h との間で意見交換をしたり,同研究所が発行する雑誌を定期購読していた(乙イ39,乙イ41)。

(イ) 被告乙1は,ニュースキャスターとして,原告の署名入りの記事である平成3年8月11日付けの本件記事A,f の会員が提訴した平成3年 訴訟等の報道に接していたところ,平成4年1月5日に発行された s 論文において,e 氏が慰安婦になった経緯について「女子挺身隊の名で連行されて」慰安婦となったと述べていないことを知った。また,被告乙1は,平成4年,x が発行する雑誌(乙イ32から乙イ34まで,乙イ37)及び(o)に掲載された慰安婦問題に関する h の論文(乙イ35,乙イ36),u が済州島で実施した調査結果の報告及び u の論文(乙イ1 8,乙イ38)を読んだほか,u に会って同人の研究内容等を取材し,日本軍による慰安婦の強制連行があったとする吉田の供述及び本件記事Aに疑問を深め,平成9年頃,平成4年1月当時宮沢内閣の官房長官であった加藤紘一,慰安婦問題に関するいわゆる「河野談話」を発した河野洋平,官房副長官であった石原信雄,外務省関係者,韓国の元駐日大使らに取材をし,これまでの取材や h らとの意見交換を踏まえた結果を平成9年4月号の(o)に掲載した。(乙イ15,乙イ18,乙イ32から乙イ39まで,被告乙1本人【2頁~4頁,27頁】)

(ウ) 被告乙1は,安倍政権が慰安婦問題に関する「河野談話」を見直すのではないかとの情勢を受けて,a 新聞等が報じる慰安婦の報道を見直すべきであると考え,平成24年4月以降,本件各乙1論文を執筆した。その際,被告乙1は,原告及び a 新聞に対して取材を申し込むことをしなかった。被告乙1は,本件各乙1論文を執筆するに当たり,これまでの取材や s 論文,h 及び u の各論文等から得た情報や知見のほか,平成3年8月14日,e 氏が共同記者会見で述べた内容を報じた(j)新聞の翻訳(甲105,乙イ2,乙イ27)を読んでいた。なお,被告乙1は,f の会員が提訴した平成3年訴訟の訴状については,平成8年又は平成9年頃に読んだことはあるが,本件各乙1論文で執筆した内容と齟齬があることを認めている。(前記前提事実 ,甲105,乙イ2,乙イ27,乙イ39,被告乙1本人【2頁,7頁,8頁,11頁~14頁,20頁~22頁,34頁】)

コ 原告による反論

 原告は,本件記事A及び本件記事Bを巡る批判に対する反論等を記載した手記を「(o)」に寄せ,同手記は平成26年12月上旬頃に公刊された「(o)」平成27年1月号に掲載された。原告は,当該手記を皮切りに,本件記事A及び本件記事Bに対する批判に対し,積極的に反論をするようになった。(甲27,甲28,甲41,甲42,甲98,甲99,弁論の全趣旨) 

(2) 事実を摘示しての名誉毀損にあっては,その行為が公共の利害に関する事実に係り,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあった場合に,摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには,上記行為には違法性がなく,仮に上記証明がないときにも,行為者において上記事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があれば,その故意又は過失は否定される(最高裁昭和37年(オ)第815号同41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118頁,最高裁昭和56年(オ)第25号同58年10月20日第一小法廷判決・裁判集民事140号177頁参照)。また,ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては,その行為が公共の利害に関する事実に係り,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあった場合に,上記意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り,上記行為は違法性を欠くものというべきであり,仮に上記証明がないときにも,行為者において上記事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があれば,その故意又は過失は否定される(最高裁昭和60年(オ)第1274号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2252頁,最高裁平成6年(オ)第978号同9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。
 以上を前提として,本件各乙1論文が摘示する各事実や意見ないし論評の前提としている各事実についての真実性の証明について検討する。

(3) 乙1論文アについて

ア 【裁判所認定摘示事実1】について

 【裁判所認定摘示事実1】は,原告が,①e 氏が継父によって人身売買 され慰安婦にさせられたという経緯を知りながらこれを報じず,②慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊とを結びつけ,e 氏が「女子挺身隊」の名で日本軍によって戦場に強制連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」であるとする,③事実と異なる本件記事Aを敢 えて執筆したという各事実を摘示するものである。

(ア) 原告が,e 氏が継父によって人身売買され慰安婦にさせられたという経緯を知りながら,これを報じなかったとする点について

 本件記事Aは,原告が,j の事務所で e 氏の発言が録音されたテープ及び j の i からの聞き取り等の取材結果をもとにして作成された記事である(前記認定事実(1)ア(イ) ,(ウ) )が,e氏がjの事務所で当時語ったとされる上記録音テープや原告の取材内容が全て廃棄されている(原告本人【7頁~8頁】)ことから,e 氏が j の事務所で慰安婦になった経緯についてどのように語っていたかについては,本件全証拠を検討してみても明らかではない。また,e 氏が共同記者会見に応じた際に述べたことを報じた韓国の報道のなかには,養父又は義父が関与し,営利を目的として e 氏を慰安婦にしたことを示唆するものがある(前記認定事実(1)ウ(ア)から(エ)まで。なお, (i)日報は,e 氏が「中国中部地方のDという場所に,わけも分からず売られて行きました。」と人身売買により慰安婦にさせられたことを報じる部分もある。)が,慰安婦となった経緯に関する e 氏の発言は,本件記事Aが報道された数日後の平成3年8月14日に(f)新聞ソウル支局駐在記者であった k の単独インタビューに応じた際に報じられた内容(前記認定事実(1)イ(ア) ),同日の共同記者会見に応じた際に報じられた内容(前記認定事実(1)イ(イ) ,ウ),f の会員が提訴した平成3年訴訟における訴状で主張していた内容(前記認定事実(1)エ(ア)),共同記者会見後に日本の報道機関によるインタビューや記者会見に応じた際に報じられた内容(前記認定事実(1)オ),ジャーナリストで ある s の取材に応じた際に述べた内容を記載した s 論文(前記認定事実(1)カ)との間で必ずしも一致しておらず(なお,平成6年6月6日,e氏が平成3年訴訟の本人尋問で慰安婦となった経緯に関して供述した内容は,平成3年訴訟の訴状で記載されたものとも異なる(甲101)。),「継父によって人身売買され慰安婦にさせられた」という事実が真実であると認めることは困難である。
 もっとも,本件記事Aには「女性の話によると,中国東北部で生まれ,十七歳の時,だまされて慰安婦にされた」との部分があることからすると,e 氏は,原告が聞いたとされる j で聞き取りにおける録音で「だまされて慰安婦にさせられた」と語っていたものと推認される(原告本人も,それまでの一連の取材の中で,e 氏がだまされて慰安婦になったと聞いたと供述している(原告本人【62頁】)。)ことに加え,本件記事Aが報じられた数日後に行われた e 氏の共同記者会見の内容を報じたものであり,被告乙1もその翻訳文を読んでいた(j)新聞には「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあったキーセンの検番に売られていった。3年間の検番生活を終えた e さんが初めての就職だと思って,検番の義父に連れられていった所が(中略)日本軍300名余りがいる小部隊の前だった。私を連れて行った義父も当時,日本軍人にカネももらえず武力で私をそのまま奪われたようでした。」と報じる部分があること(前記認定事実(1)ウ(エ)),乙1も目を通していた平成3年訴訟の訴状には「『そこへ行けば金儲けができる』と説得され(中略)養父に連れられて中国へ渡った。」との部分があること(前記認定事実(1)エ(ア) ),被告乙1が読んでいたs論文には,e氏の取材の結果として,「十七歳のとき,養父は「稼ぎに行くぞ」と,私の同僚の「r」を連れて汽車に乗ったのです。」との部分があること(前記認定事実(1)カ)からすると,被告乙1が,e 氏をだまして慰安婦にしたのは検番の継父, すなわち血のつながりのない男親であり,検番の継父は e 氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとしていたことをもって人身売買であると信じたものと認められる。これらの資料は,e 氏の共同記者会見の内容を報じたもの,平成3年訴訟を提起するに当たり訴訟代理人弁護士が e 氏から聴き取った内容をまとめたもの,e 氏と面談した結果を論文にしたものであるところ,e 氏が,慰安婦であったとして名乗り出た直後に自身の体験を率直に述べたと考えられる上記(j)新聞以外の共同記者会見の内容を報じる報道にも,養父又は義父が関与し,営利目的で e 氏を慰安婦にしたことを示唆するものがあることからすると,上記(j)新聞,平成3年訴訟の訴状及び s 論文は一定の信用性を措くことができる資料であるということができる。そうとすれば,被告乙1が,これらの資料に基づいて上記のとおり信じたことについて相当の理由があるというべきである。なお,乙1論文アの「継父によって人身売買された」との部分の直前には平成3年訴訟の訴状が援用されているところ, 同訴状には,「十四歳のとき,継父によって四十円で売られた」,「十七歳のとき,再び継父によって(略)慰安婦にさせられた」というような記載はない(前記認定事実(1)エ(ア))。しかし,被告乙1が,乙1論文アを記載するに当たっては,同訴状だけではなく,(j)新聞や s 論文もその資料としていた(前記認定事実(1)ケ(ウ))のであるから,平成3年訴訟の訴状の援用に正確性に欠ける点があるとしても,真実であると信じたことについて相当性を欠くとはいえない。
 また,e 氏が,原告が聞いたとされる j の聞き取りにおける録音テープで「だまされて慰安婦になった」と語っていたことが推認されることは前記のとおりであることに加え,前記で指摘した本件記事Aの数日後に e 氏が共同記者会見で述べた内容を報じる(j)新聞の報道内容,平成3年訴訟の訴状の記載からすると,これらの新聞や訴状の記載を目にしていた被告乙1が,e 氏が j の聞き取りにおける録音で「検番の継父」にだまされて慰安婦にさせられたと語っており,原告がその録音を聞いてe 氏が慰安婦にさせられた経緯を知りながら,本件記事Aにおいては e氏をだました主体や「継父」によって慰安婦にさせられるまでの経緯を記載せず,この事実を報じなかったと信じたことについて相当の理由が あるというべきである。
 なお,上記(j)新聞の記事,上記訴状及び s 論文には,「義父」,「養父」との用語が用いられており,これに対して,被告乙1は,e 氏をだまして慰安婦にしたのが「継父」であると記述しているが,「継父」であろうと,「養父」であろうと,「義父」であろうと,いずれにせよ,要するに,血のつながりのない男親という意味において一致しているか ら,そのような用語に関する相違点は,上記認定を左右するものではない。

(イ) 原告が,慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊とを結びつけ,e 氏が「女子挺身隊」の名で日本軍によって戦場に強制連行されたと報じたとする点について

 本件記事Aのリード部分には,「日中戦争や第二次大戦の際,「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち,一人がソウル市内で生存していることがわかり(以下略)」との記載がある(甲4)。
 前記のとおり,本件記事Aは,原告が,j の事務所で e 氏の発言が録音されたテープ及び j の i からの聞き取り等の取材結果をもとにして作成された記事であるところ,原告本人は,e 氏が j の聞き取りにおいて女子挺身隊の名で戦場に連行されたと発言していたことについては記憶にない(原告本人【36頁】),本件記事Aのリード部分にある「女子挺(てい)身隊の名で」という言葉は「韓国で女子挺身隊というふうに呼ばれているところの慰安婦として使いました。法令に基づいて連れて行かれた人ではないということは認識がありました」(原告本人【68頁】)と供述していることからすると,e 氏が,j の聞き取りにおいて,「女子挺身隊」の名で戦場に連行されたと述べていなかったと認められる。被告乙1は,e 氏が j の聞き取りで語ったとされる録音テープを聞いておらず(弁論の全趣旨),また,j の関係者や原告に対して取材をした上で乙1論文アを執筆したものではない(前記認定事実ケ(ウ),弁論の全趣旨)。しかし,被告乙1本人は,本件記事Aが報じられた数日後に行われた e 氏の共同記者会見の内容を報じた(j)新聞,平成3年訴訟の訴状及び s 論文の調査等により,e 氏が j の聞き取りで「女子挺身隊」の名で戦場に連行されたとは述べていなかったと考えた旨陳述しており(乙イ39),上記の資料に一定の信用性を肯定することができることは前記のとおりであるから,被告乙1が,e 氏が j の聞き取りで「女子挺身隊」の名で戦場に連行されたと語っていなかったと信じたとしても,相当の理由があるというべきである。
 また,本件記事Aは a 新聞が平成3年8月11日付けで報じた記事である(前記前提事実 ア)ところ,a 新聞は,昭和57年9月2日,吉田を強制連行の指揮に当たった動員部長と紹介して朝鮮人女性を狩り出し,女子挺身隊の名で戦場に送り出したとする吉田の供述を初めて紹介し,それ以降も国家総動員体制のもとで軍需工場や炭鉱などで働く労働力確保のための報国会の動員部長として多数の朝鮮人女性を強制連行したとの吉田の供述を繰り返し掲載していたし(前記認定事実(1)キ(エ) ),本件記事Aが報じられる前の a 新聞以外の報道機関も,「女子挺身隊の名のもとに(中略)朝鮮半島の娘たちが,多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた」,「朝鮮人従軍慰安婦は(中略)「女子挺身隊」の名目で強制的に戦地に送られ」,「「女子挺身隊」などの名目で徴発された朝鮮人女性たちは(中略)慰安所で兵士たちの相手をさせられた」な どと報じていた(前記認定事実(1)キ(ウ))のであり,被告乙1もこれらの報道に接していた(前記認定事実(1)ケ(ア))のであるから,被告乙1が,本件記事Aの「女子挺身隊の名で連行された」との部分について,韓国で慰安婦の意味として使われている「挺身隊」又は「女子挺身隊」とい う意味ではなく,e 氏が第二次世界大戦下における女子挺身勤労令で規定された「女子挺身隊」として戦場に強制的に動員されたと読んだとしても,そのことは,一般読者の普通の注意と読み方を基準としてした解釈としても不自然なものではない。
 しかるところ,女子挺身勤労令で規定するところの「女子挺身隊」と太平洋戦争終結前の公娼制度の下で戦時下において売春に従事していた慰安婦ないし従軍慰安婦は異なるものである(前記認定事実(1)キ(ア))か ら,被告乙1が,原告が本件記事Aにおいて慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊を結びつけ,「女子挺身隊」の名で e 氏が日本軍によって戦場に強制連行されたものと報じたと信じたことについては相当の理由があるというべきである。
 この点,原告は,本件記事Aのリード部分にある「女子挺身隊の名で戦場に連行され」との部分について,当時の新聞,書籍では慰安婦のことを「挺身隊」,「女子挺身隊」という用語を用いていたのであるから,意図的に無関係の制度を結びつけて報道したものではないと主張する。確かに,本件記事Aが執筆された当時,日本国内における報道でも,慰安婦を意味するものとして「女子挺身隊」又は「挺身隊」という用語を用いているものがあった(前記認定事実(1)キ(ウ))ことが認められる。しかし,原告本人は,本件記事Aのリードにある「「女子挺身隊」の名で」との部分については,韓国で慰安婦のことをいう「女子挺身隊」の意味で用いたと説明している(原告本人【9頁~10頁】)のであるから, 日本国内の報道で慰安婦を意味するものとして「挺身隊」又は「女子挺身隊」という用語が用いられていたかはここでは問題とはならない。そして,本件記事Aが日本国内の読者に向けた報道であることに加え,本件記事Aが掲載された a 新聞は,昭和57年以降,吉田を強制連行の指揮に当たった動員部長と紹介して朝鮮人女性を狩り出し,女子挺身隊の名で戦場に送り出したとの吉田の供述を繰り返し掲載していたし,他の報道機関も朝鮮人女性を女子挺身隊として強制的に徴用していたと報じていたのであるから,本件記事Aの読者が,「女子挺身隊」として強制的に徴用された慰安婦が具体的に名乗り出たと読むことは,一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈したとしても不自然ではなく,被告乙1が,上記の読み方を前提として,原告が本件記事Aで制度として無関係の「女子挺身隊」と慰安婦を結びつけて報じたと信じたことについては相当の理由があるというべきである。なお,これに関連して,原告は,本件記事Aの「連行され」との部分は「だまされて連れて行かれた」との意味であり強制的に連行されたと意味するものではないと主張するが,「戦場に連行され」を一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば,「意思に反して連れて行かれた」ことを意味するものであって,これに加えて「『だまされて』連れて行かれた」との意味を読み取ることはできず,この点を含めて,この説示に反する原告の上記主張は採用することができない。 

(ウ) 原告が事実と異なる本件記事Aを敢えて執筆したとする点について

 被告乙1が,①e 氏が継父によって人身売買され慰安婦にさせられたという経緯を原告が知りながら,e 氏をだました主体や慰安婦にさせられた経緯を本件記事Aに記載せずにこれを報じなかったこと,②原告が,慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊とを結びつけ,e 氏が「女子挺身隊」の名で日本軍によって戦場に強制連行されたと報じたとそれぞれ信じたことについて相当の理由があることは前記で説示したとおりである。 そして,原告の妻が f の常任理事を当時務めていた者の娘であり,本件記事Aが報じられた数か月後に e 氏を含む f の会員が平成3年訴訟を提起したことを踏まえ,被告乙1が,本件記事Aの公正さに疑問を持ち,e 氏が「女子挺身隊」の名で連行されたのではなく検番の継父にだまされて慰安婦になったのに,原告が女子挺身勤労令で規定するところの「女子挺身隊」を結びつけて日本軍があたかも e 氏を戦場に強制的に連行したとの事実と異なる本件記事Aを執筆したと信じたとしても,相当な理由があるというべきである。

イ 別紙主張対照表1記述について

 同記述が,①【裁判所認定摘示事実1】を摘示するとともに,②本件記事Aが日本を怨み,日本を憎んでいるかのような記事であるとの意見ないし論評をしていることは前記で説示したとおりであるところ,①の【裁判所認定摘示事実1】について被告乙1が真実であると信じたことについて相当の理由があることは前記(3)アのとおりである。また,2の意見ないし論評が原告の人身攻撃に及ぶなどその域を逸脱しているものとまでは認め られない。

ウ 別紙主張対照表1記述(2)について

 同記述が,①【裁判所認定摘示事実1】,②原告の義母が,原告が本件
記事Aを執筆した当時,f の常任理事を務めた人物であるとの事実を摘示するとともに,これらの事実を前提として,原告が本件記事Aを執筆した目的が義母の訴訟を支援する目的であったと言われても仕方がないとして,本件記事Aを執筆した原告を批判する被告乙1の意見ないし論評が記載されたものであることは前記で説示したとおりである。しかるところ,①の【裁判所認定摘示事実1】について被告乙1が真実であると信じたことについて相当の理由があることは前記(3)アのとおりであり,2の事実が真実であることは前記認定事実(1)アのとおりである。そして,①及び②の各事実を前提とすれば,本件記事Aを執筆した目的が義母の訴訟を支援する目的であったと言われても仕方がないという論評ないし意見が原告の人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評の域を逸脱しているとまで認めることはできない。

エ 別紙主張対照表1記述(3)及び(4)について

 同記述 及び が【裁判所認定摘示事実1】の事実を摘示するものであることは前記で説示したところ,この事実について被告乙1が真実であると信じたことについて相当の理由があることは前記 アで説示したとおりである。

オ 別紙主張対照表1記述(5)について

 同記述 が,①【裁判所認定摘示事実1】を摘示するとともに,①の事実,②原告が平成26年4月から d 大学で教授として務める予定であるという事実及び③原告が前記1の事実について説明していないという事実を前提として,原告が,人格,識見,誠実さを以て全力で当たるべき教職の地位に立つ資格がないという,被告乙1の意見ないし論評が記載されたものであることは前記で説示したとおりである。しかるところ,被告乙1が ①の事実が真実であると信じたことについて相当な理由があることは前記(3)アで説示したとおりであり,②の事実は当事者間に争いがなく,また,原告が本件記事Aを捏造していない旨の反論をしていること(前記認定事実(1)コ)に鑑みれば,原告が【裁判所認定摘示事実1】に関して説明していないとの事実については,真実であると認められる。これらの事実を前提とすれば,被告乙1が,原告について大学の教職の地位に立つ資格がないと批判したとしても,それが意見ないし論評の域を逸脱しているとはいえない。

(4) 乙1論文イについて

ア 【裁判所認定摘示事実2】について

 【裁判所認定摘示事実2】は,原告が,慰安婦とは無関係の韓国の女子挺身隊と慰安婦とを結びつけて日本が韓国人女性を女子挺身隊として強制連行をしたという事実と異なる本件記事Aを執筆したとの事実を摘示する ものである。
 しかるところ,e 氏が,j の聞き取りにおいて,「女子挺身隊」の名で戦場に連行されたと述べていなかったことは前記 ア で認定したとおりである。にもかかわらず,原告は,本件記事Aのリード部分において,e氏が「女子挺身隊の名」で戦場に連行されたと報じたものであり,被告乙1が,本件記事Aの「女子挺身隊の名で連行された」との部分について,韓国で慰安婦の意味として使われている「挺身隊」又は「女子挺身隊」という意味ではなく,e 氏が第二次世界大戦下における女子挺身勤労令で規定された「女子挺身隊」として戦場に動員されたと読んだ上で,原告が慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦とを結びつけて日本が韓国人女性(e 氏)を女子挺身隊として強制的に連行したとの事実と異なる本件記事Aを執筆したと信じたことについて相当の理由があることは,前記(3)ア(イ)で説示したとおりである。

イ 別紙主張対照表2の記述は,①【裁判所認定摘示事実2】,②原告が韓国語を操り,原告の妻が韓国人であるとの事実,③原告の妻の母親が慰安婦問題で日本政府を相手取って訴訟を起こしたfの幹部であるとの事実を摘示した上で,これらの事実を前提として,原告が意図的に事実と異なる本件記事Aを執筆したと言われても仕方がないとの意見ないし論評が記載されたものであることは前記で説示したとおりである。
 ①の事実について被告乙1が真実である信じたことに相当の理由があることは前記のとおりである。また,②の事実は前記前提事実ア(ア),(イ),③の事実は前記認定事実ア(イ),エのとおりであり真実であると認められる。そして,これらの事実を前提として,原告が意図的に事実と異なる本件記事Aを執筆したと言われても仕方がないとの意見ないし論評は,原告に対する人身攻撃に及ぶなどの意見ないし論評の域を出るものではないというべきである。

(5) 乙1論文ウについて

ア 【裁判所認定摘示事実3】について

 【裁判所認定摘示事実3】は,原告が,①e 氏が実際は貧しさのために親に売られた気の毒な女性であるにもかかわらず,それを知りながら,②e 氏が女子挺身隊として連行された慰安婦の生き残りの一人であるとして,女子挺身隊と慰安婦を結びつける,③事実と異なる本件記事Aを敢えて執 筆したとの事実を摘示するものである。
 上記①のうち「e 氏が実際は貧しさのために親に売られた気の毒な女性」 とする部分で言及されているところの「親」とは実親か養親を指すのか必ずしも明らかではないが,実親に売られたとのことを指すのであれば,本件記事Aが報じられた数日後に行われた e 氏の共同記者会見の内容を報じたものであり,被告乙1もその翻訳文を読んでいた(j)新聞には,「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあったキーセンの検番に売られていった。」 と報じる部分があること(前記認定事実(1)ウ(エ))から, 被告乙1が,e 氏が実親に売られた女性であり,原告が j で聞いたとされる e 氏の録音テープにも e 氏が自らの出自を語っていたことから原告もこのことを知っていたと信じたことには相当性があるというべきである。また,e 氏が養親に売られたことを指すのであれば,前記(3)ア(ア)で説示したとおりであり,被告乙1が,検番の継父は e 氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとしていたことをもって人身売買であると信じたこと,e 氏が j の聞き取りにおける録音で「検番の継父」にだまされて慰安婦にさせられたと語っており,原告がその録音を聞いて e 氏が慰安婦にさせられた経緯を知りながら,本件記事Aにおいては e 氏をだました主体や「継父」によって慰安婦にさせられるまでの経緯を記載せず,この事実を報じなかったと信じたことについて相当の理由がある。
 上記②については,原告が慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦とを結びつけて e 氏を女子挺身隊として連行したとの事実と異なる本件記事Aを執筆したと信じたことについて相当の理由があることは前記 ア で説示したとおりである。
 上記③については,被告乙1が,e 氏が実親又は継父によって人身売買され慰安婦にさせられたという経緯を原告が知りながら,だました主体や「継父」によって慰安婦にさせられた経緯を本件記事Aに記載せずにこれを報じなかったと信じたことについては相当の理由があることは前記のとおりであり,また,原告が慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊とを結びつけ,e 氏が「女子挺身隊」の名で日本軍によって戦場に強制連行されたと報じたとそれぞれ信じたことについて相当の理由があることは前記で説示したとおりである。そして,原告の妻が f の常任理事を当時務めていた者の娘であり,本件記事Aが報じられた数か月後に e 氏を含む f の会員が平成3年訴訟を提起したことを踏まえ,被告乙1が,本件記事Aの公正さに疑問を持ち,e 氏が「女子挺身隊」の名で連行されたのではなく実親又は「継父」に売られて慰安婦になったのに,原告が女子挺身勤労令で規定するところの「女子挺身隊」を結びつけて日本軍があたかも e 氏を戦場に強制的に連行したとの事実と異なる本件記事Aを執筆したと信じたとしても,相当な理由があるというべきである。
 なお,乙1論文ウが執筆され掲載されたのは,a 新聞が本件検証記事を掲載した後である平成26年10月14日である(甲9)ところ,本件検証記事においては,本件記事Aで「女子挺身隊」の名で戦場に連行されたとの表現が用いられていることに関して,「韓国でも当時慰安婦と挺身隊 の混同がみられ,原告氏も誤用した」との説明がされている(前記認定事実ク )。しかし,本件検証記事においては,原告が,e 氏が慰安婦となった経緯に関する一連の取材活動を通じて,どのような情報を得ていたのか,その情報と本件記事Aの内容が乖離しており,また,誤読の可能性が あったのかなど踏み込んだ説明がされていないことからすれば,本件検証記事が報じられたからといって,上記認定を左右するものではない。

イ 別紙主張対照表3記述(1)について

 同記述が,①【裁判所認定摘示事実3】,②そのような事実があるにもかかわらず,原告が,本件記事Aの執筆後,被告乙1が乙1論文ウを執筆した平成26年10月14日までの間,そのことについて説明をしていない事実,③原告が b 大学の非常勤講師であるという事実を摘示し,これらの事実を前提として,原告が b 大学の人格教育に貢献するような人物であるのか疑問であるとの被告乙1の意見ないし論評を記載したものであることは前記で説示したとおりである。
 しかるところ,被告乙1が①の事実について真実であると信じたことについて相当の理由があることは前記(5)アで説示したとおりであり,また, 原告が本件記事Aを捏造していない旨の反論をしていること(前記認定事実(コ))に鑑みれば,原告が【裁判所認定摘示事実3】に関して説明していないとの事実(②)については,真実であると認められ,③の事実は当事者間に争いがない。これらの事実を前提とすれば,被告乙1が,原告について大学の人格教育にどのような貢献をする人物であるのか疑問であるとの意見ないし論評をしたとしても,それが人格攻撃に及ぶなどの意見ないし論評の域を逸脱しているとはいえない。

ウ 別紙主張対照表3記述 について

 同記述が,別紙主張対照表3記述 の摘示事実1から3までの各事実に加えて,④原告が本件記事Aを訂正もしていないとの事実を摘示した上で, これらを前提として,原告を教員として教壇に立たせ学生に教えさせることが大学教育のあるべき姿として疑問であるとの被告乙1の意見ないし論 評を記載したものであることは前記で説示したとおりである。
 しかるところ,①から③までの各事実が真実又は真実であると信じたことについて相当の理由があることは前記(5)アのとおりであり,④の事実は, 弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。これらの事実を前提とすれば,被告乙1が,原告について教員として教壇に立たせ学生に教えさせることが大学教育のあるべき姿として疑問であるとの意見ないし論評をしたとしても,それが人格攻撃に及ぶなどの意見ないし論評の域を逸脱して いるとはいえない。

エ 別紙主張対照表3記述(3)について

 同記述が,①【裁判所認定摘示事実3】を摘示するとともに,②そのような事実があるにもかかわらず,原告が,本件記事Aの執筆後,被告乙1が乙1論文ウを執筆した平成26年10月14日までの間,そのことにつ いて説明をしていない事実,③原告が b 大学の非常勤講師であるという事実,④原告が本件記事Aを訂正もしていないと事実を前提に,原告の姿勢と学問の自由や表現の自由は異質の問題であるとの被告乙1の意見ないし論評を記載したものであることは前記で説示したとおりである。
 しかるところ,①から④までの各事実が真実又は被告乙1が真実である と信じたことに相当の理由があることは前記(5)アからウまでで説示したとおりであり,これらの事実を前提として,被告乙1が,原告の姿勢と学問の自由や表現の自由は異質の問題であるとの意見ないし論評をしたとしても,それが人格攻撃に及ぶなどの意見ないし論評の域を逸脱しているとはいえない

オ 別紙主張対照表3記述(4)について

 同記述が【裁判所認定摘示事実3】を摘示するものであることは前記で説示したとおりであり,同事実について被告乙1が真実であると信じたことについて相当の理由があることは前記(5)アで説示したとおりである。

(6) 乙1論文エについて

 別紙主張対照表4の記述で摘示されているところの【裁判所認定摘示事実4】は,①原告が慰安婦と女子挺身隊という勤労奉仕の少女たちが無関係であることを知りながら,②両者を結びつける事実と異なる記事を敢えて執筆したとの事実を摘示するものである。
 しかして,慰安婦と勤労奉仕の女子挺身隊が無関係であることは,前記認定事実キ(ア)のとおりであり,原告本人も,日本では慰安婦のことを女子挺身隊と通常呼ばないことを認めている(原告本人【37頁】)から,慰安婦と勤労奉仕の女子挺身隊とは無関係であることを知っていたものと推認される。そして,原告が,慰安婦とは無関係の女子挺身隊と慰安婦とを結びつけて日 本が韓国人女性を女子挺身隊として強制連行をしたという事実と異なる記事(本件記事A)を執筆したとの事実については,前記(4)アの【裁判所認定摘示事実2】で説示したとおりであって,上記事実を被告乙1が真実であると信じたことについて相当の理由があるというべきである。

(7) 乙1論文オについて

ア 別紙主張対照表5の記述は,①原告が執筆した本件記事Aにはe氏が女
子挺身隊として日本軍に連行されたという事実と異なる記載があること, ②e 氏が平成3年8月14日にソウル市内で開いた記者会見の際,家が貧しかったため実の母親にキーセンに売られたとの話をし,女子挺身隊との話が出てこなかったが,原告は,e 氏が母親に売られたとの話をその後も 書いていないこと,③原告が事実と異なる本件記事Aを訂正していないこ と,④被告乙1の知る限り e 氏が自身を挺身隊だったと語っていないこと, ⑤原告が本件記事Aを執筆するに当たって e 氏のインタビューを録音したテープを提出していないとの事実を前提として,原告が,e 氏が女子挺身隊として日本軍に連行されたという事実がないのにこれを知りながら,e 氏が日本軍に連行されて慰安婦とされたという事実と異なる記事を敢えて執筆したと言われても仕方がないとの被告乙1の意見ないし論評を表明したものであることは前記で説示したとおりである。

イ しかるところ,e 氏が,j の聞き取りにおいて,「女子挺身隊」の名で戦場に連行されたと述べていなかったことは前記(3)ア(イ)で認定したとおりである。にもかかわらず,原告は,本件記事Aのリード部分において,e 氏が「女子挺身隊の名」で戦場に連行されたと報じたものであり,被告乙 1が,本件記事Aの「女子挺身隊の名で連行された」との部分について, 韓国で慰安婦の意味として使われている「挺身隊」又は「女子挺身隊」という意味ではなく,e 氏が第二次世界大戦下における女子挺身勤労令で規定された「女子挺身隊」として戦場に動員されたと読んだ上で,本件記事 Aには e 氏が「女子挺身隊」として日本軍に連行されたとの事実と異なる記載があると信じたことについて相当の理由があるというべきである。
 また,上記②の事実のうち,e 氏が,平成3年8月14日にソウル市内で開いた記者会見の際,家が貧しかったため実の母親にキーセンに売られたとの話をしたとの部分については,e 氏の共同記者会見の内容を報じた当時の(j) 新聞にも同旨の報道がされている(前記認定事実ウ(エ))ことから真実であると認められるが,「女子挺身隊との話が出てこなかった」との部分については,e 氏が,同記者会見で,「挺身隊慰安婦」(前記認定事実ウ(ア)),「挺身隊」(前記認定事実ウ(イ),(オ))と述べたことからすると,「女子挺身隊という話が出てこなかった」との部分については真実であるとは認められない。もっとも,上記②の事実の重要な部分は,e 氏が,共同記者会見でも,家が貧しく実の母親によって売られたとの話は出ていたが,原告は,共同記者会見後の記事でも e 氏が実の母親によって売られたことを報じていないということにあると解される。そして,原告は,e 氏 の共同記者会見後,平成3年訴訟の提起前にも本件記事Bを記載しているが,その記事でも,実親によってキーセン学校に売られたとの部分を報じていない(前記認定事実エ(イ))のであるから,重要な事実において真実であると認められる。
 ③及び⑤の事実についてはいずれも弁論の全趣旨により認めることができる。④の e 氏が一度も「挺身隊」だったと語っていないという部分については,e 氏が,共同記者会見で,「挺身隊」又は「挺身隊慰安婦」だったと述べていることからすると,その限度では真実ではないというべきで ある。しかし,同記述の前後の文脈からすれば,同記述は,韓国で慰安婦の意味として使われている「挺身隊」又は「女子挺身隊」という意味では なく,e 氏が第二次世界大戦下における女子挺身勤労令で規定された「女子挺身隊」であったと語ったことはないということを意味するものと解さ れる。そして,e 氏が,女子挺身勤労令で規定するところの「女子挺身隊」であったと語ったことはないとの事実は真実であると認められる。
 そうすると,乙1論文オの前提事実は,いずれも重要な部分において真実であるか,又は真実であると信じたことについて相当の理由があるところ,これらの事実を前提として,被告乙1が,原告が e 氏が女子挺身隊として日本軍に連行されたという事実がないのにこれを知りながら,e 氏が 日本軍に連行されて慰安婦とされたという事実と異なる記事を敢えて執筆したと言われても仕方がないであろうと論評ないし意見をしたとしても, 原告に対する人身攻撃に及ぶなど論評ないし意見の域を超えたものであるとはいえない。

(8) 乙1論文カについて

 別紙主張対照表6の記述における「捏造記事」との文言は,乙1論文オにおいて言及されている本件記事Aに関する意見論評部分を要約したものであることは前記で説示したとおりであるところ,乙1論文オの意見ないし論評については,上記意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実又は真実であると信じたことについて相当の理由があり,また,原告に対する人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでないことは前記(7)のとおりである。

(9) 小括

 本件各乙1論文が摘示する各事実や意見ないし論評の前提とされている各事実は,真実であると証明されているか,事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があると認められ,また,同記述で言及されている被告乙1による論評ないし意見が原告に対する人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評の域を逸脱しているものとまではいうことができない。

3 争点(3) (本件各記述部分が公共の利害に関する事実に関わり,専ら公益を図る目的でされたといえるか)について

 本件各乙1論文の内容及びこれらの論文を記載し掲載された時期に鑑みれば,本件各記述の主題は,慰安婦問題に関する a 新聞の報道姿勢やこれに関する本件記事Aを執筆した原告を批判する点にあったと認められ,そのような目的と異なり,被告乙1自身の「信念」の正当性を根拠づけ,強調するべく,原告や a 新聞に対するバッシングを拡散することが主眼とするものであったとは認め難い。
 また,証拠(乙イ1)によれば,慰安婦問題は,日韓関係の問題にとどまらず,国連やアメリカ議会等でも取り上げられるような国際的な問題となっていると認められるから,慰安婦問題に関わる本件各記述は,公共の利害に関する事実に係るものであるということができ,このような慰安婦問題に関する a 新聞の報道姿勢やこれに関する本件記事Aを執筆した原告への批判は公益目的を有するというべきである。

4 まとめ

 以上によれば,本件各乙1論文による別紙主張対照表の各記述の中には原告の社会的評価を低下させるものがあるが,その摘示されている事実又は意見ないし論評の前提とされている各事実は,真実であると証明されているか,事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があると認められ,同記述で言及されている被告乙1による論評ないし意見が原告に対する人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評の域を逸脱しているものとまではいうことができない。また,被告乙1が本件各乙1論文を執筆し掲載したことについては,公共の利害に関する事実に係り,かつ,専ら公益を図る目的にあるということができるから,本件各乙1論文の執筆及び掲載によって原告の社会的評価が低下したとしても,その違法性は阻却され,又は故意若しくは過失は否定されるというべき である。

第4 結論

 以上によれば,原告の請求は,その余の争点について判断するまでもなくいずれも理由がないから棄却すべきである。

よって,主文のとおり判決する。

札幌地方裁判所民事第5部
裁判長裁判官 岡山忠広
裁判官 渡 邉 充 昭
裁判官 牧 野 一 成