【古代メキシコ×STEAM教育】マヤ文字
古代中南米には、さまざまな文化・文明が興りました。しかし、メソアメリカ全体で共通する言語や文字がなかったということをご存知でしょうか。古典期後期には、ナワトル語が広い地域で使われており、現在も170万人の人が使っているそうです。
そんななか、残されているのが『マヤ文字』です。
メソアメリカ文明の文字の歴史
メソアメリカ文明の文字の起源は、紀元前1000〜800年頃と言われています。メキシコ湾岸カスカハル遺跡で、小型石板に描かれた62の文字が発見されました。しかし、まだ解読されていません。
文字の原形は、紀元前700〜500年頃オアハカ盆地で発見されました。
サン・ホセ・モゴテ遺跡 3号石彫に刻まれた「一の地震」というサポテカ文字
モンテ・アルバン 石碑12、石碑13
310個ほどの「踊る人」石碑群
これらの文字は点と棒で数字が表され、260日暦の日付のほか、人物名と思われる文字が刻まれていたそうです。
マヤ文字が登場するのは、ティカル(現在のグアテマラ)の石碑29です。そこには「292年」という、石碑に記された中でもっとも古い日付が残されています。
この石碑の文字は大変整っているため、突然文字が生まれたようにも見えます。しかし紀元前後~300年の間に、イサパ、エル・バウル、カミナルフユなどの文化地域から、多くの影響を受けていたのが原因ではないかと考えられています。
マヤ文明の中で文字が登場するのは、ペテン中央部(現在のグアテマラの北部)ですが、そこから広い地域に広がりました。
7世紀は古典期後期と呼ばれ、マヤ文明は黄金時代でした。さまざまな出来事がマヤ文字で石碑や多色土器に残されました。
800年を過ぎると、石碑にマヤ文字を記さない都市が増え、都市が放棄されるようになりました。原因は戦争、食料不足、人口過剰、異民族の侵入などが考えられていますが、はっきりとしたことは分かっていません。その後、ユカタン半島で後古典期が始まり、文字が使われたものの発展しませんでした。
現在、13〜15世紀に書かれたとされている絵文書が、4点残っています。古典期の絵文書を写したものと言われており、後古典期の文化や言葉を反映しています。
記される歴史
マヤ文字の碑文には、何が記されているのでしょうか。
20世紀半ばまで、天文学や暦、宗教に関連した内容だけが記されていると考えられてきました。これはマヤ文字の研究者たちが、天文学や暦に関する部分しか解読できなかったため、マヤ人が天文学、暦、宗教活動しか行っていなかった…という間違った解釈がされていたのです。
ところが、1960年に「生誕」「即位」「盾ジャガー」王、「鳥ジャガー」王といった、王国の歴史に関係するマヤ文字の解読に成功しました。
これをきっかけに、さまざまな王朝史が記録されていることが分かったのです。
実在した王、支配層の名前
称号
生誕と崩御、埋葬
結婚
即位
王朝の家系
王朝間の訪問
戦争
捕虜の捕獲
大型建造物の落成
球技・儀式
役人の名前
代表的なものに、長年敵対していたティカルとカラクムルとの戦争記録があります。
カラクムルの同盟国、カラコルには562年にカラクムル王がティカル王を捕獲・処刑したことが記録されています。
これまで神官が国を治め、天体観測を中心とした宗教的儀礼しか行っていない平和的な社会・民族と思われてきたマヤ人が、実は戦争を繰り返しており、政略結婚、王と血縁関係がある親族の裏切りなどもあったことが分かりました。また、マヤ文字の中には経済に関わる記録がされていないというのが定説でしたが、「物資の貢納」という文字が解読されているそうです。
碑文のマヤ文字には、支配者たちが重要だと考えた出来事が多く記されています。支配者の権力や正当性を示すのに利用されていたため、考古学調査で内容を検証する必要があると考えられています。
なお、マヤ文字の解読が進むにつれ、王以外の王族、従者の名前、地位も明らかになっています。
マヤ文字を描いていたのは一部の貴族で、特別な知識とされていました。書記は自ら石にマヤ文字を刻み、「アフ・イツァート」(賢者)と呼ばれ、さまざまな役割がありました。
王室文書館司書
歴史家
系図学者
税務官
婚姻や儀式の進行役
天文学者
数学者
実用品
戦士
書記の妻は家事のほかに、美術品や工芸品を作っていました。
機織りは、現在でもマヤの女性にとって重要な仕事で、社会的な地位、誇りと強く結びついていたそうです。
日本でも、文字を使うことができたのは貴族や武士が中心でした。
庶民が読み書きできるようになったのは、寺子屋ができた江戸時代と言われています。
江戸時代の幕末期、武士はほぼ100%、庶民の男子でも半数近くは読み書きができ、世界一の識字率だったといわれています。同時代の英国の下層庶民の場合、ロンドンでも字が読める子どもは10%に満たなかったと言われ、日本の識字率の高さが伺えます。
この識字率の高さが、日本の伝統と文化を守ったことをご存知でしょうか。
第二次大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本を視察した後、報告書で「日本語は漢字や仮名を使わず、ローマ字にせよ」と勧告したそうです。これは日本語が難しく識字率が上がらないため、民主主義が進まないためとされています。しかし、過去の歴史からも、元々あった言葉を奪う行為には文化をなくし、国を弱体化させる目的があることは明らかです。
日本人の識字率について老若男女、都市農村をくまなく(15歳〜64歳、270ヶ所、17,100人)網羅して調査したところ、97.9%が読み書きできることが分かりました。
当時の連合国の中で、日本以上の識字率を誇る国はひとつもなかったと言われています。この結果、日本語はローマ字表記にならずに済み、伝統文化が守られました。
マヤ文字と日本語
マヤ文字は、いろいろな動物の頭や人間を文字にして組み合わせており、絵のように見えます。
同じ文字でも、向きが変わると違う意味になることも。
読むときは、複数の行がある場合は、縦2列を1セットにし、左→右→(1つ下に下がり)左→右…と読み、縦1列のときは、上から下に、横1行のときは、左から右に読むのが基本だそうです。ほとんどの場合左から描かれ、人物や動物の顔が左向きになりますが、右から描かれる場合は、それらの顔も右向きになり、読む向きも右からになるそうです。
マヤ文字は、丸い角をした四角形にまとまっています。
ひとつの四角形は大きさの違う数種類の文字が組み合わさって構成され、こちらも左から右に描かれています。左と上にある文字、右と下にある文字は、描く場所を交換することができ、バランスを見て、左にある文字を上にしたり、右ではなく下に描いたりできるそうです。
文字は、さまざまな文字の組み合わせで成り立っています。
マヤ文字はさまざまな分類の仕方がありますが、音節文字と表語文字の二分類が、多くの碑文研究者によって支持・使用されています。
このほか、意味を表す意符、音を表す音符からできている文字も発見されています。
マヤ文字は、意符(漢字の部首でへん、かんむりなどに当たる部分)が700ほどあると言われていますが、時代によって使われる数が変わっていたそうです。平均して250から300が使われ、多くても400を越えることはなかったとのこと。
それらを組み合わせて描かれ、全部で3万〜5万文字があると言われています。
漢字、ひらがな、カタカナを使う日本語に、よく似ていますね。
マヤ文字には大きく分けて、紋章文字、音節文字があります。
紋章文字
マヤ文字の解読が進んだきっかけとなったのが、考古学者・碑文学者ハインリッヒ・ベルリン(1915〜1988年)による紋章文字の発見と言われています。
1952年、メキシコの学者アルベルト・ルスは、パレンケ「碑文の神殿」の下に墓があることを発見しました。以前の記事でも触れた通り、建物の下に死者を埋葬し、建物を増築していくのはマヤ人の習慣でした。
ここで発見された石棺の四側面には、10人の半身像と関係する文字が2〜4文字刻まれていました。
ベルリンはそれを分析し、文字の最後の部分が同じ構造で、ほとんどが同じ主字となっていることに気付きました。そこから、各都市の碑文にも同じような文字があることを発見し、都市間で何かしらの繋がりがあったと考えたそうです。
この発見から、碑文には歴史的な出来事が刻まれていることが推測され、名前を表す文字の発見に役立ちました。
マヤでは彫刻石碑を持つ都市が約200ありますが、紋章文字を持っている都市は20ほどしかありませんでした。また、大規模な建築物があったり、重要な都市と考えられたりする場所では、複数の紋章文字を持っていたそうです。
音節文字とマヤ文字の解読
16世紀の中頃、スペインからユカタンに布教にやってきたランダ神父が「ユカタン事物記」に、マヤ人の風習、歴史、自然などを記録しました。その中には暦の文字、「ランダのアルファベット」と呼ばれる文字が残されていました。これはスペイン語とユカタン語を結びつけたものです。
マヤ文字を解読する初期の研究者たちは、ランダのアルファベットを使って解読を試みましたが、残された文字はたったの30。解読することはできませんでした。マヤ文字には、アルファベットにあたる文字がなかったからです。
それから40年間、マヤ暦の仕組み、星々の暦の読み方、倍数表の仕組みが解明され、マヤ文字を読む順番も定義されました。まだ、本格的な解読に入る前の段階でした。
1952年にロシア人の言語学者ユーリー・クノローゾフが、ランダのアルファベットを研究し直しました。そこで、マヤ文字には表語文字だけではなく、ひらがなのような音節文字があることが分かったのです。
この発見を元に1973年のパレンケ円卓会議で、パレンケ「碑文の神殿」で発見された石棺に刻まれたマヤ文字が、パカル王であると解読されました。
これまでに210以上の音節文字が解明されました。
日本語には50音ありますが、マヤ文字には19の子音、5つの母音があり100音にもなるそうです。まだ完全ではないものの、100音表も作られています。
現在は、およそ80%が理解されていると言われていますが、本当の読み方、正しい文脈からの意味が解読されているのは、50%程度だそうです。
さいごに
言葉は時代によって言葉の意味が変わったり、同じ時代でも使う年代によって、使い方や言い回しが変わったり、新しい言葉が生まれたりします。常に変化し、まるで生きているようですね。
マヤ文字は、大変複雑です。自由に書き記すことができた神官たちの知識の深さ、儀式や戦いにも参加する万能ぶりに驚愕させられました。
マヤ文字が、漢字とひらがなを持つ日本語に似ていると知り、大変驚きました。
漢字をひらがなで書き表すことができるように、マヤ文字の表語文字も表音文字で置き換えられます。ふりがな、送り仮名にあたる文字もあるそうです。
日本語には、「意義」「異議」「威儀」など、同じ発音で意味が異なる同音異義語があります。私たちは漢字を使って、それぞれの意味の違いを表していますが、これはマヤ文字も同じだったそうです。
「日本人はマヤ文字の解読に向いている」という文章を、今回参考にした書籍の中で読みました。外国の研究者からのお世辞として紹介されていましたが、研究が進み、よりさまざまな歴史や背景が分かることを願っています。
〇●ーー特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」
展示会場・期間
東京国立博物館 平成館 2023年6月16日(金)~9月3日(日)九州国立博物館(福岡会場)2023年10月3日(火)~12月10日(日)
国立国際美術館(大阪会場)2024年2月6日(火)~5月6日(月・休)
〇●ーーBIZEN中南米美術館
世界中で愛されるチョコレートの起源を明らかにする特別展『チョコレートの王国』
期間:2023年10月21日(土)~2024年3月31日(日)
【参考】
BIZEN中南米美術館オンライン講座「古代中南米ww」第1回「古代中南米への誘い」
BIZEN中南米美術館オンライン講座「古代中南米ww」第4回「マヤ戦国物語と輝いた王たち」
Ancient Mexico 特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」図説集
メソアメリカ文明ガイドブック 市川彰 新泉社
マヤ文字を解く 八杉佳穂 中公新書
マヤ文字を書いてみよう 読んでみよう 八杉佳穂 白水社
マヤ文明を知る辞典 青山和夫 東京堂出版
基礎日本語学 衣畑智秀編 ひつじ書房