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後ろの奥の隅っこで

誰かが呼んでいる。

声は大きくない。

誰かは分からない。

だけど恐らく自分を呼んでいるのだろう。

直感に近い。

追憶に近い。

そばに来てほしくないヤツだ。

できるだけ遠ざけたヤツだ。

置いてきた”気に”なっているヤツだ。

そこまで思い出し、ハッと目が覚めた。

ああ、夢だったのか。

ため息をつきながら上半身を起こす。

隣では妻が静かに寝ていた。

やけに喉が渇いていたのでそのままベッドから立ち上がって冷蔵庫に向かう。

冷えた麦茶がそこにあるハズだった。

だが扉を開けるとソコには別のモノが入っていた。

一瞬、夢の続きかと思った。

そう思いたかった。

何故ならそこには昔の自分がいたからだ。

裸でガタガタ震えている。

寒いのだろう。

いや、それ以上に目が冷たい。

冷蔵庫が造りだす人口の冷気などとは比べ物にならないほどの、意思をもった冷たさだ。

死んだ目とは違う。

何も感じていない目とも違う。

寒いのだ。

怖いのだ。

泣き出しそうなのだ。

だけど泣いたら、死ぬまでここからは出られないのだ。

静かに耐える以外の選択肢はない。

死ぬのは怖いのだ。

だけど生きるのはもっと怖いのだ。

誰かに助けて欲しい。

いやすでに欲しくもない。

どうせ誰も助けてくれないのだから。

どうせ誰も助けられないのだから。

感情を殺すなんてのは大嘘だ。

感情なんて殺しようがない。

痛いのは嫌だ。

辛いのは嫌だ。

怖いのは嫌だ。

耐えるのは嫌だ。

嫌だ、嫌だ、嫌だ。

でも変えようがない。

これは変えられる種類のモノではない。

自分の力の範疇にない。

支配される側ではなく支配される側なのだ。

相手は大きいのだ。

首を持たれれば天井まで届く。

ただ単純な力でも、それ以外の力でも、まして生まれてしまったという本当に、本当にどうしようもない力から抗するコトなど出来るワケがない。

ああ、だから、もうすでに死んでいる、それ以外の力によって”殺された”ものの”家庭”での最終地点、冷蔵庫に、もっとも”原始的”な姿で立てこもったのだ。

そうすれば、そこのモノ達と同じになれると思ったのだ。

私は、同じになりたかったのだ。

牛肉と、豚肉と、魚と、野菜と、卵と、牛乳とその他多くのモノ言わず、けれど生きていたもの達と。

狭い現実の中で、それは仲間だと思ったのだ。

家庭という現実の中で、私が唯一なれそうなモノ。

積極的な行動。

変えられるという一縷の望み。

だから目が冷たいのだ。

仲間と同じ目をしている。

そしてその中に情熱が、決意が、前向きな意思がこもっている。

そうなってしまえば、楽だと思った。

嫌なコトはなくならないだろうけど、でも仲間が出来る。

世の中は、そのころ既に私にとって途方もなく拒絶的で、破壊的だった。

皆、その中で拒絶されないように、破壊されないように、自分のコトだけを考えて生きている。

ならば、自分のコトだけを考えるモノ達と同士になるには、おんなじになるしかないではないか。

今の現実からは救われない。

ならば違う現実に行けばよい。

私は冷蔵庫をそっと閉めた。

そこにいるのは幼い自分だ。

今の私の現実から違う現実に行くには今の私に出来るコトをしなければならない

あたりまえだ。

だから私はシンクの下から出刃を出した。

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