コロナ不況で取締役を辞任して思うこと

5月にコロナ不況のため、今の仕事と立場を失うことになりました。
取締役という立場を辞任し、収入(と言っても、それほど貰ってはいなかった)が激減。

子どもが二人いるなかで、どう養っていこうかと途方に暮れています。

でも、実のところ、職を失ってよかった、とホッとしている自分もいたんです。

もちろん、生活のために、収入の確保を考えなくてはいけない、っていうのはあります。

ただ、今まで、ぼくは、馬車馬みたいに働く生活で家族と会話する時間すらもろくに持てていませんでしたから、家族と会話する機会が増えて、思い出がどんどん増えていくのが嬉しいのです。

世の中、お金が大事、というのは分かります。
生きていくためには、お金こそが一番大事。

それでも、今は、こんな風にも感じています。
不況の世のなかだからこそ、必ずしも、お金だけに頼らなくてもいいのではないか、と。
実は、お金だけに頼らず生きていくこともできるのではないか、と。

ぼくの認識だと、お金を儲ける、ということを軸として考えると、どうしても、椅子取りゲームになってしまいます。
椅子の取りあいをして、他のだれかを蹴落とすことでしか富は築いていけないんですね。

でも、もう、そういうのには疲れました。
どうしようもなく苦しいんです。

限られた少ないものを他の人と取り合うのではなく、お金ではない何かを人生の軸として生きたいです。
奪い合うのではなく、他の人と分け合いながら生きていきたいです。

もちろん、これから、生活のために新しい仕事を探し、再び、どこかの職場で働くことにはなるでしょう。

けれど、もう、以前のようなお金を稼ぐことだけを目的に生きたくはありません。
再び、そんな苦しい螺旋のなかに身を投じるより、貧しくてもいいから、自分の周りにあるものにきちんと目を向ける生き方がしたいです。

今はまだ、田舎の妻の実家に引っ越しをしたばかりで、引っ越しの荷物整理をしているところです。
そのさなか、段ボールから、お米の焦げや油汚れがいっぱいこびり付いた電気炊飯器が出てきました。
そのとき、ぼくは、今までこんなにも汚れた電気炊飯器でお米を炊き、そのご飯を子どもたちに食べさせていたのか! とビックリしました。

なんで、こんなことに気付かなかったのだろう。
ぼくはこれまで、馬車馬のように働いて、仕事をして、ご飯を食べて寝るだけの生活でした。
でも、これからは、もっと他のことに目を配る生活を営んでいきたいです。

もっと、周りのものを見つめて、慈しんで、生きていきたい。

どんなに些細なことでもいいんです。
もっと丁寧に生きていきたい。

たとえば、
いつも使っているご飯を炊いている電気炊飯器をピカピカにしたり、
寒い朝に窓ガラスについた結露をカビが生えないようにきちんと雑巾で拭き取ったり、
部屋の隅に溜まった埃をきちんと掃除機で吸い取ったり、
子どもに、幼稚園で楽しかったこと、つまらなかったことを聞いたり……。

そういう些細なことの積み重ねを生きる喜びとして、生きていきたい。

これからは、お金だけでなく、自分の人生と自分に関わってくるいろいろなものに対して責任を持つ生き方がしたい、と考えています。

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……電気炊飯器の汚れをキッチンクリーナーで拭き取っていく中で、
ぼくはこれまで、『お金を稼ぐこと以外の責任をきちんと取らずに生きてきた』のだなあ……
と深く実感しました。

37歳にもなってアレですが、本当の意味で、ようやく、人生が始まったのだ、という気がしています。


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