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【ショートショート】悪意の化学者

「できたそうだな」
 その研究所にふたりのスーツ姿の男が来たのは、春先の、平日の午後であった。中年の男の濁った声が響いた。
 男の前には、小柄で、ぼさぼさの白髪頭の男が椅子に掛けている。
「うむ」
 白髪の男は、黒い実験台に置かれていた銀色のパウチを無造作に取り上げた。パウチにはラベルが貼られており、何枚かの紙が輪ゴムで止められていた。
「これが、証拠の残らない毒だ。構造式と説明書とデータシートはこの紙だ」
 言った後で、白髪の男は、マスクを取って鼻をかんだ。
「いいだろう。おい」
 中年の男が、細身の若い男に眼やった。
「はい」
 若い男が前に進んで分厚い封筒をふたつ、実験台に載せた。
 白髪の男がちらりとそれに眼を向け、パウチを差し出す。
「アンプルに入れているからな。割るなよ」
「・・」
 両手で受け取った若い男は、すぐに中年男に顔を向けた。
「お前が持っていろ」
 中年男は冷たく言うと、
「なあ博士、ラベルやその、データシートはいるのか?」
 首を傾げた。
「当たり前だ。労働安全衛生法的には表示義務があるからの」
「ええと」
 白髪の男の言葉を理解するのを諦めた様子で、若い男が説明書を見た。
「係長、猛毒で、水や酸素に触れるとすぐに人間の体内成分に分解されるため証拠が残らない、と」
「依頼通りということだな」
「この私に作れない薬はない」
 一瞬威張って見せたが、白髪の男は、すぐにまた鼻をかんだ。
「さすがだな・・よし」
 引き上げるぞ、と短く言って、中年男は踵を返した。

「係長、こいつですが」
 車の助手席で、先ほどの若い男が、紙袋を見ながら呟いた。例の銀色のパウチが見えている。
「なんだ」
 中年男が運転席で応える。
「すぐに分解されるそうですが」
「そうだ。これで我が組織の目標にー」
 若い男は聞いていなかった。水や酸素で分解って・・・。
 



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