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メルヒェンの獣

 ベルリンの寒い夜、大学病院に現れた青年は血まみれの妊婦を抱えていた。
「助けてくれ! 妻が撃たれた!」
 居合わせた外科医と看護師が駆け寄り、意識の無い女をストレッチャーに乗せる。
「第1オペ室へ!」
「おいヘルガ、病院だぞ、しっかりしろ!」
「妊娠は何週目?」
「30か、それくらいだ」
「産科に連絡! 乳酸リンゲル液を急速静注」
「なあ、赤ん坊は」
「離れて」
 次々と看護師が搬送に加わり、男は後方に追いやられる。
「脈拍微弱、血圧75の40」
「胎児の心拍は」
「ま、毎分260」
「260? ありえんやり直せ!」
「おい無事なのかよ!」
 外科医が足を止めて振り向き、男の青い瞳を見つめた。
「きみ、名前は」
「ルドルフ」
「ルドルフ、最善を尽くすよ。さあ、この先は立ち入り禁止だ。あちらで手続きを」
 扉が閉ざされ、ルドルフは立ち尽くす。

 1時間後、医療従事者7名と女の死体がオペ室で発見され、腹の子は忽然と姿を消した。逃走した青年が事件に関係しているとみて、州警察は捜査を開始した。

 翌朝、1頭の巨狼がダーレム地区の大農園を襲った。庭で朝食をとっていた赤目の老婆は、手下がひとり残らず八つ裂きにされる光景を黙って眺めていた。
「俺の子は」
 人の姿に戻ったルドルフが詰め寄り、テーブルを跳ね除けた。老婆はナプキンを摘み、口を拭う。
「子犬は好きよ。手をかければ忠実に育つ」
「答えろ!」
「あなたが考え直すなら」
「クソ喰らえ! 童話の真似事で暗殺だの革命だのと。狂った改造人間どもが」
「世間はその噂で持ちきりよ? 肝心なのは、馴染み深い筋書きと実行力。そして真の怪物こそ象徴に相応しい……拒むなら息子を担ぐ。ああ、男の子よ。予定日を待てず御免なさいね」

 ――農園の風下、遠く離れた丘。
 赤フードの少女がうつ伏せで銃を構え、人工視覚の情報を照準器にリンクさせる。
「おばばに叱られる」
 背後で大男が言った。
「魔女は馬鹿だ。親は殺すべき」
 少女は吐き捨て、引き金を引いた。

【続く】

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