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家人の納豆卵かけごはん #うちの卵かけごはん

 卵かけごはんの美味しさは、いかに衒(てら)いを加えないで素材を活かし切るかにつきる。

 我が家の場合は、横須賀にあるSho Farmの直売所で卵が仕入れられたときのみ、幻の卵かけご飯にありつけることになっている。こちらの卵は卵アレルギーの方が食べても平氣であったという話があるくらい自然なのだ。要は餌にも衒いがないのであろう。直売所からもどる家人を私は運転席で大概待っているのだけれども、籠を一瞥し、とれたて野菜のしたに卵があった際は近々例の卵かけご飯にありつけるなと靜かに微笑するわけである。

 冒頭、高飛車に散々、衒いのない卵かけごはんを主張してきたものの、ここで納豆を入れ、早くも衒うことにする。うちの納豆卵かけごはんの場合、納豆は昔ながらの石室づくりで長期熟成された「豆むすめ」とSho Farmの卵が、ほくほくの米のうえで媾(まぐわ)うように仕向ける。たしかな納豆は多いけれど、豆むすめにはタレがないのが佳(よ)い。

 私も二十代、よく卵かけごはんに納豆のタレをかけて樂しんだものであるが、これは一生の不覺であった。一般的にタレこそ衒いの塊だからである。今では家人の自家製白出汁が、納豆卵かけごはんの凡てを統合させている。白出汁はたしかなものの、その配合はわからない。おそらく家人も感覺でやっているとおもわれる。

 米に関しては、我が家は酵素玄米からはじまり数々の浮氣を重ねてきているので、ここで卵かけごはんにおける米を語る資格は一切ない。ただその米をやさしく包む茶碗は陶藝家の荒川真吾ひと筋であり、常に食卓は古家具屋でもとめた無名の勉強机である。

 あとはこの時期、家人がバルコニーにでて採れたての葉ネギをプランターから摘んでこれれば、あたかも納豆卵夫妻のあいだに緑の花束が咲いたかのような景色になるだろうか。

 本来はうちの卵かけごはんの傍らには必ず家人の味噌汁があり、こちらも陰陽の調和がなされた一品なので紹介したいのは山々であるが、ご飯が冷めてしまっては野暮であろうから、別の機会に譲りたい。

※箸は木製が佳い。正しく箸を持つのは卵かけごはんを愛する者としては当然のことだけれども、できることなら利き手の薬指を伸ばして、やさしく箸を持っていただきたい。このようにすることで、箸が卵を貫く瞬間がより美しくなるからになる。

#うちの卵かけごはん
#shofarm #豆むすめ
#荒川真吾

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