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旅する田舎間 #ニュースからの学び

 過日、こちらのニュースを読んでいると、ふと横浜郊外の畳屋が思い出されたので、筆をとりたい。

 東南アジアに茶室を建てるため、伝統的な寸法の田舎間を求めて横浜をしばらく歩いていたときのこと。居酒屋やコンビニが並ぶ何気ない道に突然、老舗の小さな畳屋がポツンとあった。窓越しに店の親爺の顔を覗くと、静かな佇まいをされている。この親爺の手仕事が、後にプノンペン郊外にできた茶室「臨川」へと飛ぶことになったのだ。

 臨川は三千家に分かれる前の寸法で建てた茶室で、吉田晋彩先生に図面を引いていただいたものになる。平日、私はそこでクメール人(カンボジア人)の若者に表千家の稽古をつけていた。そして、週末はよく茶室から畳一帖を拝借して、トゥクトゥクの屋根にのせて(妙にトゥクの屋根の寸法と田舎間の寸法が合うのである)プノンペン市内のホテルなどに運搬。今度は西欧人を中心に茶をふるまい、そのまま深夜の宴に突入することもしばしばあった。

 コロナ禍以前、私の仕事の傍らには大概、親爺の田舎間があった。クメール人(カンボジア人)はもちろんのこと、フランス人、ポーランド人、韓国人、アメリカ人、中国人、ギリシア人など非常に多国籍な方々が畳の上で正座をし、足の痺れに悶絶しながら茶を喫み、国を越えての交流を重ねた。私も含め、皆どこか近代の祖国に疑問を抱いており、プノンペンで本来の人としての生き方をそこはかとなく求めていた時代のことである。

 クメール人生徒が日本人インターン生に茶の喫み方を教えるようになった頃、私は報告がてら親爺を訪ねる機会があったが、残念ながら店はすでになかった。店を閉じられたのか、亡くなられたのか、わからない。しかし、親爺の静かな微笑が妙に思い出された。

 閑話休題。

 ニュースの前半は正直、落胆のため息しかでない。黒田幸弘代表の言葉通り、まさに今や畳は絶滅危惧種なのであろう。日本文化の特徴は畳に限らず、

 一途で多様

であることにつきる。「一途で多様」という表現は編集者の松岡正剛の言葉だけれども、ニュース冒頭にもある「座る」「寝る」「集う」などの機能を多様に担っている。個人的には、あと「愛でる」も入れて欲しいが、これは後述する。

 ただ畳文化の生き残りを考えるならば、この一途さを失ってはならないであろう。マンション等に出現した近代的な畳は、もはや惨めでしかない。それでは西欧中心で流行っている畳もどきと同じ印象を受ける。今やるべきは、畳そのものを近代に合わせて安易に変えるのではなく、伝統的な寸法に還り、そこに既にある美に気がつくことではないだろうか。

 田舎間であろうが、京間であろうが、一切の日本文化は伝統的な畳の寸法の上に成り立ってきたといっても過言ではない。カネワリといって、法隆寺が建てられた時代から脈々と日本人が受け継いできた絶対美を出す方法があるのだ。このカネワリを茶室という小宇宙へと編集したのが、紹鴎や利休といった茶人になる。

 カネワリは西欧の黄金律と計算方法は異なるけれども、結果として美の極点はほぼ一致する。すなわち、人は東洋西欧関係なく、美しいと感じる場は同じなのだ。ただカネワリの場合、絶対美を割り出してからさらに「三分がかり」といって、あえて美の極点から9㎜ズラして、茶道具を置いたりする。これは日本人が和合を目的として、美を求めてきたからに他ならない。日本人は伝統的な畳が奏でる美の上にたいせつな物を置いて、その景色もまた愛でてきたのである。

 畳が海外で流行ってきたのは結構ではないか。西欧過度な生き方が、この星の持続可能性を脅かしていると人類はようやく気がついたのだ。そして、これまた日本人が鈍感なのだが、非常に多くの海外の方々が古きよき日本をその解決の糸口として見ている。だったら、畳一帖に舞う和の美も自然体で伝えてあげればよろしい。あるべき未来への鍵は日本古来の物資の中にではなく、方法の中にあるのだから。

 ニュース後半のイ草はポストコロナの私を奮い立たせてくれるものであった。今、私はコロナ禍の時分に急逝した父の事業を継ぎ、農福連携なるものをしている。障害をお持ちの方々のお力をお借りして、人手不足が深刻な農業を支えていく取組になる。実際、農福連携は今や全国で注目を浴び、伝統野菜を福祉の力で支えている場合も多い。茶を農福が継いだ事例が京都にある。このような背景から、私はイ草の農福連携を仕掛けてもよいのではないかと感じた次第である。

 農福連携も多様な方々が関わる以上、互いに和していく必要がある。ここ数年は外国の方よりも国内の障害をお持ちの方々へ茶を点ててきた。無論、親爺が愛でた古くさい畳の上でである。

#ニュースからの学び

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