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【オッドタクシー感想】ミステリってどこまで推理するの?

僕は基本的に流行りに乗れない人だ。漫画、アニメや舞台、どんなに人に薦められても、あまり腰を上げようとは思わない。

そんな流行ったもの嗜むときは、ふと自然に腰が上がったときだ。
そのときに映像を観たり、音楽を聞いたり、ラジオを聞いたり、施設等に行くことの方が多い。周囲にけしかけられたときでは、なぜかない。

鬼滅の刃もヴァイオレット・エヴァーガーデンも全話放送されてから視聴を始めた。どちらも面白かった。だから飛び込めば間違いない娯楽でも、気が向かないととことん乗らないのである。
なんなら今もそうだ、鬼滅の刃は映画より後の遊郭編はまだ見ていない。とはいえ、漫画も買って、結末まで読んでしまった。アニメはもう見ることもないかもしれない。

これは自分がひねくれているのか、とも思っていたが、乃木坂のラジオで新内さんも久保さんも同じようなことを言っていて安心した覚えがある。そう、「なんでこんな面白いものを見て来なかったんだろう!」というのがセットなのだ。

オッドタクシーもその一つだった。

友人や家族の中でも散々話題になっていたし、テレビ、ラジオで話題に上がってもいた。間違いなく面白いのは保障されたアニメだった。
けれど、結局全話通して見たのは今月に入ってからだった。それは乃木坂46ANNで久保ちゃんがいきなり「絶対観た方がいい」と言い出したのも一つの要因かもしれない。みんな何を今さらと思っただろう。

結果的に、やっぱりめちゃくちゃ面白かった。芸人が声優をやっているのもいい味出している。ミステリとしての出来も良かったと思う。

この記事はそんな超今さらの推理を披露すると同時に、タレーランなどのミステリ小説を読んでいるときにふと浮かんだ疑問を書いていく日記だ。

以下はオッドタクシー最終話前でまとめた推理なのだが、致命的なネタバレももちろん含んだものになるので読む際にはご留意願いたい。

オッドタクシー最終話前での推理

どのくらい事前情報を仕入れていたかと言うと「最終話ですべてつながる」とか、何か大仕掛けがあるアニメなのだろうとは思っていた。

見始めた直後こそ疲労していて、流し見で適当に見ようと思っていたのだが、主人公の言動に違和感を覚え始めると、本腰を入れて推理して観るスタンスになってしまった。最近、ミステリを読みすぎた弊害である。

最終話前にはかなりの謎は開示されていたので、もう少し前の話数から腰を落ち着かせて推理を始めた方がよかったかもしれない。

さて、以下が最終回前に解き明かしたものだ。手帳のメモに汚い字で書き起こしていたが、あまりにも汚いので写真は掲載しない。

・オドガワが拾ったのは黒猫→ふすまに。
・オドガワは動物に見える病気。
・オドガワ、大門は支援をボス団体からされている。しかしながら二人の死はボスによって向けられたものであることを掴んでいる。→だから全員こらしめる。
・ワダガキサクラはボスの娘、三ツ矢を殺した犯人。(母子家庭だから)
・港で撃ったのは「素人じゃねえのかよ」より姿を消していた大門弟、(うで白い→シラカワ?)
プライベートの手帳より

結果として、ボスとワダガキのつながりは間違えたが、犯人と支援する団体ということは的中。ドブを撃ったのは白川ではなかった。
そしてボスからのたったひとつのルールもわからなかった。「人を殺してはいけない」うーん、これは今までのヒントから当てられる範疇なのだろうか。

一つずつ根拠を述べていこうと思う。

オドガワは動物に見える病気。

これに関してはかなりの人が気が付いたのではないかと思う。叙述トリックの一種なのだろうが、人間が動物に見えるという病気がSFを含むかどうかと言われると微妙なところだ。

まず、医者の友達ゴウリキに「ゴリラに見える」と話して、医者は「まあ間違ってない」と言う、ここで着目すべきは動物の名前が友人から出て来ない点だ。そして白川には「アルパカ」と表現、でも白川からはやっぱり動物の名前は出て来ず、ただ「時代遅れ」みたいなことを言われる。
もしこれが普通の人間の会話だったとして、アルパカというチョイスはちょうど時代遅れと呼ぶにふさわしい年代だったと思う。

ただ、ここで白川から「好きな人の写真」を見せられて、この写真もセイウチというか結局小戸川になるのだけれど、この時点では、見分けられるというか、人を分類できる能力の可能性もあるかと保留。
ただ、後々、垣花の後ろ姿の写真を見せてこの人物が「垣花だ」と見分けられる事実が発覚。共感覚等の話が出てきて、この辺でほぼ確信へ。
他にも過去のフラッシュバックが明らかに人のシルエットであることからも推理できたと思う。少しメタ的にはなるけれど、実在する地名や大学名を使っていたのもヒントになっていたように思う。

オドガワが拾ったのは黒猫→ふすまに。

これに関しては少し卑怯になるのかもしれないが、もうオープニングの時点で黒猫が出ているのである。作中に登場した鳥とかならまだしも、あまりにも脈絡がない。

実際結構苦労はした。ミスリードを誘う状況の数々だ。
群馬県の少女失踪というニュースのあとに、ふすまに話しかける場面。最初は少女をかくまっている可能性もあると思った。後々、かなり線は薄くなっていたが、確信に近付いたのは、小戸川の家が銃撃されたときだ。

銃弾で空いたガラスの穴を塞いだとき、小戸川は「これで逃げられないだろう」と言う。このときに小動物の可能性が高いと思った。
作中でもキーになる文鳥の可能性もあると思っていたのだが、上記に述べたようにオープニングでわざわざ黒猫を出す意味がほぼないことからそう思った。そして、猫なら整合性が取れた。
実際は文鳥などの鳥類である可能性も捨てきれなかったけれど、じゃあわざわざオープニングに黒猫がいるのはおかしいと踏み切った。

オドガワ、大門は支援をボス団体からされている。しかしながら二人の死はボスによって向けられたものであることを掴んでいる。→だから全員こらしめる。

この支援団体についてはかなり怪しいと思っていた。支援団体は身元を晒すのが普通だ。だけれど、団体不明、出どころ不明、でも金は多くある。ここから恐らく表世界の団体ではないと推察できる。

小戸川と大門との会話の節々からなんらかの繋がりがあることはわかる。向かう敵は一緒みたいなことも言っていることから、立場は違えど志は同じだと思っていた。
結果として小戸川と大門は支援団体に世話になっていたということになり、部分的には正しかったのだが、ここから先は外すことになる。

どうして小戸川と大門兄の立場は違ったのだろうと考えた。普通にボスのためにということなら小戸川と対立する必要はないように思えた。小戸川は「全員こらしめる」ということも言っていた。
そこで考え付いたのはボスの団体は支援する立場でありながら、小戸川や大門の両親を死に追いやってもいるという説だ。小戸川は両親を死に追いやったことに気が付いたが、大門兄は気が付いていないという。そうすれば、小戸川が「全員こらしめる」と言った言葉にも整合性が取れると思った。

でも蓋を開けてみればどちらもボスに対しては敬意を払っていたので、深読みし過ぎた結果だと思う。小戸川の「全員こらしめる」という言葉は単純に白川や垣花に対しての愛だったのだろうか。この滲み出る正義感はどこから来るのだろうと考えてしまう。

ワダガキサクラはボスの娘、三ツ矢を殺した犯人。(母子家庭だから)

個人的には犯人を当てられたのは嬉しい。動機や生い立ちについてはボスとの繋がりを疑っていたが、考えすぎだった。
根拠としては薄いのもたしかだが、十分に動機はあったのが彼女だ。アイドルが行方不明になった代役に入るのは不自然だったはずで、違和感を覚えるのは間違いないのに、まるで動揺した様子がないところ、そしてフルネームもある。不自然なくらいに紹介をされていたように思ったから容疑者として浮上した。
二階堂の線も捨てきれず、最終回ではドッキリしたが、その後電話のシーンが始まって嬉しかった。回想シーンまで入れて、センターの二階堂るいが犯人だったというのはフェアじゃない気がする。

ボスの娘というのは少し飛躍し過ぎたかもしれない。よく考えたら矢野と繋がり出したのは死体を見つけたあとだったはずだ。

港で撃ったのは「素人じゃねえのかよ」より姿を消していた大門弟、(うで白い→シラカワ?)

白川の可能性も捨てきれなかったのかメモには残っていたが、まあ当てたということにしておいて欲しい。

これに関してはドクロの弾が残っていたことから逆算。そこまでは特に気にも留めなかったが、ここでドクロに撃たれたのはたしかに違和感を覚えてはいた。
ドブは撃たれた後「素人じゃねえのかよ」と言っているので、考えられるのは警察かと思った。この時点で大門弟は小戸川から真相を聞かされており、連絡が取れず、行方不明ということだったので整合性は取れると思った。
白川はカポエラをやっていたというところで、もしかしたら拳銃の扱いに長けている可能性もあるかと、捨てきれず、いちいち引っかかってしまった、無念。

そんな具合で以上が推理である。そこそこ当てられたのではないかと思っているのだが、ここで最近の個人的な疑問が付きまとうことになる。

ミステリってどこまで当てれば解けたと言えるんだろう。

日常ミステリが好き

サムネイルにも設定した珈琲店タレーランの事件簿という大人気シリーズがある。作者は岡崎琢磨先生だ。

タレーランシリーズに出会った頃、僕はアニメの氷菓にドはまりしていた頃で、同時にミステリの中でも日常の謎というジャンルにハマっていた。

古典部シリーズとして米澤穂信先生から始まり、北村薫先生、加納朋子先生。特に加納先生の作品はこと感情の機微が凄まじい。好きな小説家になった。
人の死ぬお話はあまり好きじゃないんです。と千反田さんと同じようなことを思っている中、本屋をうろついていると、平積みされた本の中に、ある表紙が目に飛び込んでくる。
何この可愛い童貞ウケしそうな女の子、そしてコーヒー、どうやら日常の謎。すべてがイケてない理系大学生にとってはツボだったのだ。

購入して適当に読んでいくとこれが面白い。そしてこの二人のカップリングが可愛い。いいからはやくアニメ化してほしい。
ビブリア古書堂と構図が似ているが、結局今も読み進めているのはこちらのタイトルになる。

先日そのシリーズが10周年を迎えた。それに伴いタレーランシリーズは8まで刊行された。
年1弱ペースは素晴らしすぎる。古典部シリーズはいつになったら出るんだ。
8巻はファンの為に、という旨の岡崎先生の言葉だったが、その通りの作品だったと思う。なんというか、ファンが求めていた姿を見せてくれるのである。

自分は活字に飢える時期が波のように周期的にやってくるのだけれど、その流れで積み本になっていた「夏を取り戻す」という岡崎先生の作品を読んだ。これもめちゃくちゃ面白かったのだけれど、結局、どこまで当てれば正解なのかというのを考えてしまった。
この作品も岡崎先生らしく、ラストスパートが凄まじいのだが、そこには気が付かなかった。ただ大本の推理はそこそこ当たっている。最後の小ネタについても当たる。うーん……。

ミステリ小説を読む際に、メモを取って推理してみたのは最近のことだった。
いつもは適当に読んで、こいつが犯人かなーくらいの気持ちで読んでいる。予想外のときはびっくりするし、当たったらなんとなく嬉しい。動機やトリックを聞いて面白く感じることもあるし、なんだそれと残念に思うこともある。

ミステリ小説の正解はどこまで言えば推理成立と言えるのだろう。探偵役のようにすべての謎を解き明かした場合のみ、初めて「謎は解けた」と言えるのだろうか。

オッドタクシーを例に出すと、三ツ矢を殺した犯人は当てられた。そして、動物に見えるという叙述トリックについても解き明かした。ドブを撃った人も当てられた、ミスリードを誘う黒猫もだ。

ただ、人が動物に見えるようになった理由や、犯人の動機面、それから大門兄の動機、そしてボスとのつながりについては間違っていたり、そもそも思考が回っていなかった部分もある。

間違いはともかく、動機面まで当てるのが正解になるのだろうか。ミステリはどこまで推理できればよいのだろうと最近考えてしまうのだ。

自分はミステリ愛好家とはいえないと思う。ミステリの決まり事には詳しくない。だから、次ミステリを読むときはメモを取らないで読もうと考えている。こんなこと考えているとキリがないのだ。
けれど、ある程度読む手を止めて推理するのも面白いし、適当に物語の流れを汲みながら読むのも好きだから、自分が楽しめる読み方をすればそれでよいのだろうか。


推理しながら読むことを好んでいる方がいたら、教えていただきたい。
どのようなタイミングで推理を開始し、どこまで推理し当てて、初めて「謎は解けた」「満足のいく回答」になるのだろうか。それらになんらかの基準などはあるのだろうか、コメントを頂けたらとても嬉しく思います。


さて、ミステリではないのだけれど、妹にやたら薦められていた「ビッグバンセオリー」という海外ドラマも見ないうちにアマプラ配信が終了してしまった。

別に流行りではないのだろうけど、恐らく見たら「なんでこんな面白いものを見てなかったんだ!」と言い出すに違いない。

なるべく薦められたものには乗っておくものだと、今も思う。なんでこう、自然に腰が上がらないかな。

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