Why? Japanese peopleと言いたくなるような日本の子育て支援制度

私は2002年に留学生として日本にきた中国出身の日本人(国籍上)です。
日本に来る時は日本で何がしたいとかはっきりした目的があった訳でもなく、ただ父に「井の中の蛙になるな、海外の大学で学びながらもっと広い世界を見てきなさい」と言われるがままに高額な留学費用を出してもらい、とりあえず日本語学校に在籍することになりました。

父は海外視察等で日本にも来たことがあり、いろいろ思うことがあって私を留学させたのだと思います。
日本に来て初めて降り立った横浜駅の西口。たくさんの人でごった返る駅前、おしゃれな若者がたくさんいる、キラキラする看板が林立している。初めての日本は何だかワクワクする、楽しそう、キラキラするといったイメージでした。あの時自分が見た横浜駅西口の景色と「ビーッグビッグビッグビッグカメラ」の歌がセットになって今も当時のワクワクした記憶が鮮明に蘇ります。

そして、日本語学校を卒業したら大学で何を学ぶか悩んでいた時に「国民皆保険」に出会い、強い衝撃を受けました。この社会主義よりも社会主義な制度は一体何なんだろう(介護保険もそうですが)。国民皆保険との出会いは「資本主義は必ず滅びる」といったそれまでの洗脳教育から目を覚まし、日本という国と社会の在り方について深く考えさせられるきっかけとなった、後に自分の進路と人生に大きな影響を与えた制度でした。

なぜ資本主義国家の日本で国民皆保険が成立したのか、この制度を自分の国に輸入できないかという思いから大学院で社会福祉学を専攻し、皆保険の成立過程をめぐる文献研究を行いました。
卒業後は専攻と離れた職に就き社会保障制度について考える機会が減りましたが、社会人として母として子育を通して、多様化する子育て世帯のニーズに柔軟に対応できない現在の子育て支援についてなぜこうなったのか、どうあるべきか、と社会保障についてまたいろいろ考えるようになりました。

私が日本に来てからのこの20年間、日本は国民の平均所得がまったく上がっていないだけでなく、子どもが増えないという異常事態が続いています。
国、社会を支える基本は人であり、社会の閉塞感を打開し、国が成長するためには労働、消費人口を増やし、教育の機会を充実させ、市民が安心した暮しを送れる状態が必要だと思います。しかし現状は、少子化が進み経済成長が停滞し、本来であれば国、自治体は一番に人口を増やす政策を進め、子育て支援を通して少子化解消への努力をすべきが、支援どころか、保育従事者待遇改善の遅れや年少扶養控除の廃止、特定扶養控除の減額、高額所得層への特例給付の廃止といった、子育て世帯の負担増と市民の分断を生むような政策ばかりです。

ただでさえ少ない子育て世帯。子どもの利益を最優先に考えると本来であれば一致団結して国を相手に国のシステムを変えるために戦わないといけないのに今、所得制限をめぐって子育て世帯間で分断が起きているのを見ているとただただ悲しいです。改めて、このような分断を生んだバカげた制度の罪深さを感じます。そして、社会的弱者の救済だけが正義で、お金がある人から毟り取るのは当然という社会の風潮にも違和感しかありません。社会保障の給付を支える人がいないと(増やさないと)社会的弱者が真っ先に影響を受けることになります。迫りくる危機について危機感を持って、もう少し想像力を働かせるべきではないでしょうか。

30年後には現役1.3人で高齢者一人を支えるという試算になっています。
日本の公的年金は賦課方式です。つまり、現役世代が納めた保険料をその時の高齢者に支払う方式なので現役世代が減ると制度を支えきれなくなり、制度自体が成り立たなくなります。今の年金、介護、医療の制度を維持するためには国民所得をもっともっとあげるか、人口を増やすかしかありません。政府は30年間少子化問題を放置していますが、未だに有効策がないまま国会からは増税の議論やら社会保障の維持と安い労働力確保のための安易な移民政策やらと、ため息が出るほどの愚策しか出てきません。
ビジョンも何も見えないまま目先の票集めのためのばら撒き政策とそれに食いつく人達。貧困は心の余裕を奪うだけでなく、正常な判断をする力までを奪ってしまうのでしょうか。

円安、物価上昇等既にスタグフレーションが起きている中、対外的も対内的にも無策な現政権を見ていると絶望しかありません。10年後、20年後、30年後の日本のことを考えて政治をやっている政治家が果たして何人いるのでしょうか。自分の中で日本はもう20年前のキラキラした、ワクワクしたイメージはなく、日本の将来に対して悲観しかありません。強い思い入れのある国民皆保険制度もこのまま少子化が進むと維持できなくなるのではないかと思います。

少子化が止められないなら少ない人口でも支え合えるよう質の高い高等教育を受けさせ、国の予算で大学まで行けるよう支援する等、国民全体の所得を上げる努力をすべきだと思いますが、なぜか政府は真逆のことばかりしています。所得制限を設けて保護者から教育費を取り上げていることが正にそうです。そして、子育て支援については納税者への優遇政策があるアメリカと比べて頑張って収入を上げている中間所得層が税制で冷遇され、叩かれる。

娘には物心両面で豊かな社会を生きてほしいと願っております。
こんな不安要素ばかりの社会を次の世代に引き継がせたくない、という強い思いがあります。
幸い、Twitterには私と同じ思いの保護者が沢山いました。私は今「子育て支援拡充を目指す会」で仲間たちと国のシステムを変えるべく活動をしています。政府には偏った社会保障の給付と穴だらけの税制を早急に見直していただきたいと思います。中・高所得層は子どもを育てたら実質子どもの数だけ増税されるシステムになっている点も含め、おかしいと思う所はたくさんありますが、とりわけ以下3点を挙げます。

1.扶養控除について
私の父は中国に住んでおり、日本に納税しているわけでも当然ながら日本で消費しているわけでもないので日本に何ら貢献もしておりません。しかし、海外に住んでいる父は扶養控除の対象になっています。反対に、日本に住んでいて消費税にも貢献している娘は扶養控除がありません。更に扶養控除の代わりだった児童手当の特例給付も経団連の提言で一部の家庭は今年の10月からもらえなくなります。他国民優先、自国民軽視の制度とも言えますね。

2.高校無償化について
実質高校無償化と言っていますが、実は左から取って右につけただけの見せかけの給付です。高校無償化と同時に特定扶養控除が63万から38万に減額され、高校3年間×25万×子供の人数が課税対象となり、高校無償化前よりも所得税と住民税を多めに払うことになっています。しかも所得制限付きなので、無償化対象外の家庭にとっては子どもの人数だけ増税されただけになりました。授業料を今まで通り払った上での増税なので多子世帯は死活問題ではないでしょうか。
しかし、税金や控除のことは分かりにくいため、このカラクリに気付いている人はとても少ないと思います。「バカとブスこそ東大へ行け」という名台詞が言いたかったのは上記のようなことではないでしょうか。

3.大学の奨学金について
大学の給付型奨学金が少し前に話題になりましたが、これもまた所得制限とセットになっていて成人年齢が18歳になったにも関わらず、子どもを主体とした制度になっていません。
返済型にももちろん所得制限があり、所得制限家庭は児童手当、高校無償化、奨学金等すべての給付から外されます。これに比べて国費留学生は授業料ただ、生活費月14万、渡航費まで日本政府から支給されます。私自身もかつて文部科学省の給付型奨学金をもらいましたが、日本人の学生には返済義務があることを結婚して初めて知りました。因みに私の夫は未だ奨学金を完済できていません。数年前に住んでいたアメリカのペンシルベニア州の場合、州立大学の授業料は州内の納税者の家庭の子どもは60万円相当、州外はその倍、留学生は3~4倍でした。大学の授業料一つを取っても日本は諸外国と比べて自国民に冷たく、外国人にはとても優しいです。「留学生は国の宝だ」と言っている岸田さんにはありがとうと言うべきか、ばかなの?というべきか。。。 子どもこそ、国の宝です

長くなりましたが、言いたいことは一つです。
少子化は国難です。
我々一人一人に係る問題であり、真剣に向き合わないといけない問題です。
目先の損得勘定でいがみ合ってないで、全体の底上げの議論をしましょう。子ども達にどのような未来を引き継がせるか、未来に向けた議論をしましょう。国は子育て支援にもっと予算を回し、社会は全ての子どもが安心安全で信頼できる社会で(末冨先生のお言葉を借りました)育てられるようにしましょう。

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