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【インタビュー(2)】今岡光枝さん(多文化コーディネーター)〜「帰ってこられる場所」を

*マスクをしていない写真は全てコロナ禍以前に撮影

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【黎明(れいめい)編】

住友商事株式会社が創立100周年を機に立ち上げた社会貢献活動プログラム、「100SEED」(ワンハンドレッド シード)。SDGsの目標4「Quality Education (質の高い教育をみんなに)」を共通テーマに、世界各地の住友商事グループ社員が中長期的な教育課題の解決に取り組んでいます。

日本における活動のうち、公益財団法人 日本国際交流センター(JCIE)との提携による「多文化共生社会を目指す教育支援」で、住友商事プロボノチームとYSCグローバルスクールの協働が始まりました。
2020年10月より、社内公募による有志のメンバーの皆さんに、海外ルーツの子ども・若者への学習支援やスクール運営基盤の強化にご協力いただいています。

その一環として、当スクールの先生・コーディネーターへのインタビュー企画を連載中。
多言語・多文化な現場で日々奮闘する先生やコーディネーターたちの姿を、プロボノチームの皆さんの視点から伝えていきます。

今回はインタビュー第三弾です。福生スクールで多文化コーディネーターとして活躍する今岡光枝さん(以下、「みつえさん」)にインタビューします。

※新型コロナウイルスの感染状況を鑑み、本インタビューはオンラインで実施しました。

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――みつえさんはどんな経緯で今の仕事を目指したのか教えていただけますか?
働き始めて2年ほどというお話でしたが、それ以前から海外ルーツのお子さんに関わる仕事に向かおうと思ったきっかけはあったのでしょうか。

遡ると、20代で海外で働きたいなという思いはあったんですが、大学卒業後はいったん国内の企業に就職しました。でもやっぱり海外で仕事をしたい、このままではいたずらに時間が過ぎてしまうと思い始めました。

ただ、海外で働くにしても、私には何も武器というか、特に秀でたものもなく…。どうしようかと思っていたところで日本語教師という仕事を知り、資格をとるために動き始めました。
同時に、子どもに関わりたいという想いもずっとあって。海外でも日本でもいいから、子どもに関われる仕事ができたらというのはベースにありました。

――日本語教師の資格というのはどのように取得するんですか?

いくつか方法はありますが、私は民間の日本語教師養成講座を420時間かけて修了し、資格を取りました。他にも日本語教育能力検定試験合格や大学・大学院での日本語教育の主専攻(副専攻)を修了した人も資格があります。​​

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ーー資格を取ってからは、どうされたのですか?

資格を取りながら、進路について考えていた時に、JICA(独立行政法人 国際協力機構)の日系社会青年ボランティア(現在は「日系社会青年海外協力隊​​」)を見つけました。これに参加することになってブラジルに2年ほど行きました。サンパウロから2時間くらいの郊外で、農業が盛んな地域です。

日系社会のコミュニティがかなり残っている場所で、多くの方が農場経営などに携わっていました。その地域にある日本語学校で、地元の日系人の先生と一緒に日本語や日本文化の授業をしていました。

そこには、日本とブラジルを往き来する子どもたちが多くいました。
日本に出稼ぎで行った親に呼び寄せられて日本に行く子、日本にいる親と離れてブラジルで暮らしている子、ずっと日本に住む予定だったけれど、急にブラジルに戻ることになった子…。

現地に行ってから、ブラジルにそういう子どもたちがたくさんいると初めて知ったんですが、「日本でも、いろんな国のいろんな子どもたちが似た境遇に置かれているのでは?」と思い当たったんです。
それから日本にいる海外ルーツの子どもに関わりたいなと思い、帰国後にいろいろと探してこのスクールにたどり着きました。

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――そうした経緯で働き始めた時に、これからどんなことをやりたいという気持ちをお持ちでしたか?

当スクールに一度つながった子どもたちが、「帰ってこられる場所」のような、居場所づくりに関わりたいと強く思って、このスクールに入りました。

私にとっては、ブラジルでの生活がすごく新鮮でした。
私がいたコミュニティでは、たくさんの人が日本に出稼ぎに行き、子どもたちも行ったり来たりを経験していましたが、10代の子どもたちが、自分は将来ブラジルで生きていこうか、日本で生きていこうかと真剣に悩んでいました。その中で、相談に乗って一緒に考えてくれる人が身近にいる。私がいた日本語学校は、そうした場のひとつでもありました。

子どもたちにとって、何かあった時に「あー、あそこに行けば大丈夫かな」と思える場所があるといいなと思うようになりました。もちろん何もなくても、顔をだしてくれるだけでうれしいですし、グローバルスクールが子どもたちにとっての心の居場所になればいいなと思っています。

――ブラジルの日系社会って、昔の日本のいいところがかなり残っている部分があるのではと思うのですが…。

はい、大家族でおじいちゃん、おばあちゃんも一緒に住んでるとか、隣のおじさんおばさんが、よその家の子どもでも面倒を見てくれて、話を聞いてくれたり叱ったり。
「今度、あそこの家の子が日本に行くらしいよ」と聞くと、隣のおじさんが心配して相談に来てくれたり…。

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――そういうコミュニティの手厚いネットワークのようなものを、今度は日本にいる海外ルーツの子どもたちにも作れたらいいな、という思いがみつえさんの心にあったということですね。

そうですね。スクールの卒業生が、在籍生たちの良き相談相手になってくれれば理想的だなあと思っています。やはり経験者だと気持ちも通じやすいし、体験も共有できるし。

卒業生との交流会などもやっていけたらいいですね。
特に、今の生徒たちよりちょっと年上で、「自分の体験を振り返る気持ちの余裕もあるし、小中学生の頃の鮮明な記憶もある」という卒業生たちと交流できたら、お互いに得るものが大きそうです。

――みつえさんが、大学時代にすでに「海外と関わりたい」、「子どもと関わりたい」という気持ちを持たれたきっかけなども、もう少し聞かせてもらえますか?

ただただ子どもと一緒に遊ぶことが好きで、何より元気がもらえるので…。それがいちばん大きな理由ですかね。

海外で働いてみたかったのは、私、福岡出身なんですが、小学生の頃、JICA九州の事務所が近くにあって。学校で毎年、JICAの研修生との交流が盛んに行われていたんです。

小学1年生から、名前も場所も知らない国について勉強したり、研修生と一緒にレクリエーションをしたり。その中でもパプアニューギニアの人と一緒に給食を食べたことはいまだに印象に残っています。
いろんな国があるんだ、海外っておもしろそう、違う国で働いてみたいなあっていうのが意識の端にうっすら芽生えましたね。

中学では職場体験があって、その時にも「近いからJICAに行こう」と考えました。
体験先に自分で電話して申し込むんですが、間違えて国際交流協会に電話してしまったんです。間違えたことにも気づかなくて(笑)。

結局、国際交流協会で職場体験することになって、そこで留学生や日本語教師の方とか、いろんな大人と話をすることができました。
外国の人と関わるの楽しいな、自分の知らない世界がいっぱいあるとまた思い始めて。英語を勉強したいとか、いろんな思いが積もっていって、いつか海外で働きたいなあという気持ちが強まりました。

――今の仕事を選ばれたのは、小中学生時代の体験に根ざしていたんですね。われわれプロボノチームの人間も、多かれ少なかれ、「外国で仕事したい」という気持ちもあって今の会社に入っていると思いますので、みんなどこか似たようなきっかけを持っているんじゃないかと感じました。

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ブラジルでの体験をベースに、日本で海外ルーツの子どもたちの支援に関わろうと決めたみつえさん。ここまで聞いただけでも、けっこう波乱万丈なライフヒストリーだと思いました。

そのみつえさんがこれから目指す未来は? 次回は「未来編」です。お楽しみに!

執筆:住友商事プロボノチーム
(編集:YSCグローバルスクール​​/写真:森佑一)


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