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交友関係

また昼に起きてダラダラと過ごしています。起きても特にやりたいことがなく、何もする気が起きません。昨日は4時頃まで友人達と通話をしていました。それほど繋がりの強い友人達ではないのですが楽しい気持ちにさせてくれます。

ふと考えます。子供の頃みたいに気軽に遊びに誘える友人がいないなぁと。まず大都市に出てきたこともあり、近くに中の良い友人がいません。休日はほとんど一人で過ごします。年末には小学生からの友人である人に随分前に勧められていたnintendo switchを購入しました。正直昔みたいにゲームに熱中することはできないとわかっていましたが、寂しさのあまり購入するに至ったんだと思っています。年末は勧めてくれた友人を誘い、オンラインゲームで大半の時間を過ごしました。やはりゲームは一時的な欲求を満たすだけですでに購入当初の熱は冷めてしまっております。

私の寂しさには矛盾があります。私は周りの人と比べて一人でいることが好きです。自分の事をあまり話したくないのです。自己開示しないので関係が深くなりにくいです。自分の心の中を探ってみると承認欲求も強いはずなのに何故だろうと考えます。私は自己開示してその人と合わないことが怖いんだと思います。人は自分の弱みを見せないでいたり、自分のことをあまり話さないと心を開いてくれないと感じたり、自分のことに興味がないのかなと感じるのか私から離れていってしまいます。そのことは悲しいと感じますが、私は今の性格を変えることができません。自分の中に、自分はこうあるべきだという欲がそうさせます。何年も自分を変えようと努力してきましたが変わることはありませんでした。もう無理に変えようとは思っていませんが、休日に気軽に食事に行ったり、旅行に行ったりする仲間が欲しいなと思うのです。

新しい出会いはここ数年でも多くはないですがありました。初対面の人にはそれほど抵抗があるタイプではないのですぐに表面上は仲良くなれます。表面上と行っても本当に自分が仲良くなりたいと思ってはいるのですが、ここで矛盾が生じます。仲良くなりたいと思っているのに私は自分を優先します。遊びの誘いは気が乗らないと断ります。考えてみると、大人になった私達は変な気遣いのようなものを覚えます。誘いに断られると"察する"という社会的能力が発動してそっとしておこうとなる確率が格段に上がります。私がそうなることもありますし、こちらから断っていると誘いが来なくなります。本当に用事があることを説明していても、そうなります。これは日本人特有の文化なのでしょうか?子供の頃はそんなことは今よりは少なかったように感じます。大人になると継続して交友関係を続けるのは難しいですね。

いつも記事を書いていて思います。私は表ではこんなに頭の中で世間一般で言う考えてもしょうがないことを考えている人だとは思われていないと思います。なぜならそれを隠しているからです。人に話を聞いているとき、「こんな変なことを言っている奴がいてさ〜」「そんなこといちいち考える?笑」と言っている友人に対して共感したフリをしますが、自分がその言っていることに当てはまっていることもあります。

と、ちょっと話がどこに向かうか自分でもわからず、永遠と締めることができそうにないので本来のレールに車体を戻すと、自分で自分を生きづらくさせてるなと思うのです。結局はどんな環境にいてもその人自身の心の在り方がキーであると。他人から見てどんな過酷な境遇にいる人でも幸せと答える人は5万といます。

そういうことなのかな。

サムネイルの写真は前回の記事の旅行に行った時に撮った写真をMacに取り込んだのでここで使ってみました。

シャワーでも浴びよう。

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