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お祖父ちゃんが空に還った

こんにちは、紅子(こーこ)です。

昨夜、私の103歳の祖父が亡くなりました。

100歳まで畑仕事をしていたくらい元氣で、ボケもせずいたけれど、100歳を過ぎてから…101歳くらいから段々氣力がなくなり日中も寝ている事が多くなりました。

そしてこの夏103歳を迎え、暑さもあるのか持病の心不全も悪化してきたのか食が細くなり、ボケも進んできていました。


一昨日は腰を痛がるからと整形外科を受診したけど骨が折れているとかはなく、昨日は内科にかかって点滴をしてもらって、医者から「年は越せないと思う」と言われて家に帰って来たところでした。

夕食にエンシュアと果物を少し食べて、ソファに座っていた祖父。


20時半過ぎにトイレに行く為に杖をついて立ち上がり、途中で母に支えてもらってトイレに行き用を足し。

母がズボンを上げようと介助していたら急に力が抜ける様に倒れ、トイレの外へ父が出して、呼吸の確認をすると胸の上下の動きもないし、止まっているようだったので意を決して胸骨圧迫を始めました。

その間に父は救急車を要請。

119番と電話を繋ぎっぱなしで、電話の向こうから聞こえるピッピッという音に合わせて圧迫を繰り返しました。

本当に驚きなのですが、夕方職場でBLS研修を受けて、人形に対して胸骨圧迫を練習したばかり。


それでもやっぱり実際の人となると押さえる深さとか5cmいけてたかどうか…。

胸骨か肋骨かバキバキと音が鳴ると折れたかも…と思いながら怖さを抱えつつも救急隊到着まで母と交代しながら頑張りました。

途中で呼吸があり、でも今まで聞いたことのない深い呼吸を最後に聞いて、「お祖父ちゃんこの呼吸が最後かも」と知識はないながらに思いました。

救急隊到着後も心停止状態は変わらず、病院に運ばれましたが息を吹き返す事はありませんでした。


もっと出来た事はあったんじゃないかと自分自身に思う事はあります。

ちゃんと胸骨圧迫が出来てたかな…と後悔もある。


けれど同時に病院で入院しててとかじゃなくて家で死ねた事、長い事病まずにスッと逝けた事、お祖父ちゃんにとっては良かったのかなと思います。

そして気づいたら死んでたじゃなくて、胸骨圧迫したり蘇生をすぐに試みれる状況にあった事、自分がそれを出来た事を嬉しくも思います。

AEDの場所を把握していて近くにあったら良かったと反省点もあるけれど。


103歳、大大大往生!


お祖父ちゃん、ゆっくり休んでね。


また会おう。

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