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つい話しすぎてしまう癖をどうにかしたい。

観光地で出逢った人、お店の店員さん、ひさびさ出逢った友だち。はじめましての人とも、10年来の友だちとも。ついつい話しすぎてしまう癖がある。立ち話というと、せいぜい数分くらいだろ。でも、ぼくの場合、なぜか30分、1時間。ときに、それ以上の時間が経っていることもある。目の前の人と会えたことが嬉しいし、話したいことも、聞きたいことも沢山ある。しかし、あまり立ち話したくないなぁと感じる人もいる。それは、聞くばっかりの人と、話すばっかりの人だ。特に、年上(50代以上)の人に多い気がする。しかし、その中でも、聞くと話すのバランスが上手な人は、会話をしててとても楽しい。じぶんも聞いてばっかになってないか、話してばっかになってないか、ついつい考えてしまうのだが。そんなこと考えずに、気軽にコミュニケーションとればいいじゃないかと思うかもしれない。でも、自由に何でも話せる仲間より、適度な緊張感をもって話せる、言葉は少なくても心で繋がることができる。そんなコミュニケーションを目指している。何の話だっただろう、話が脱線した。あ、話が脱線といえば、昨日、あまるべ鉄橋にいってきた。あまるべ鉄橋の電車の脱線事故は、いまのぼくらの世代は知らない人が多いだろう。ぼくも、はじめて知った。鳥取砂丘で出会ったおじさんに『あまるべには、行っとけ』と教えてくれて、きた次第だ。いまから30年か、40年頃前。強風に煽られて、電車が脱線し、鉄橋のうえから電車が落ち、何名もの死者を出した。たまたま道の駅に居合わせたおばあちゃんに『あまるべ鉄橋の事故を知っていますか?』と尋ねると。なんと、たまたま事故の瞬間を目撃した人だった。自宅の窓から『まさかこんなときに電車なんかこんよな』と。不安そうに眺めていたらしい。そしたら、電車がごーーーっという音を立てて走ってきて、そのまま後ろの車両が浮き上がり、ごどーーーん、がっしゃーーーんという音を立て、列車が落ちたらしい。30年以上前のばす?なのに、おばあさんの記憶はとても鮮明で、興奮した様子で話してくれた。おばあさんと別れ、周辺を散策していると。あまるべ鉄橋の事故を書いた場所はあまり見当たらない。亡くなったかたを追悼する慰霊碑はあるが、それ以外は、鉄橋があったという事実が書かれてあるのみだ。そこで何が起きたかは、ほとんどの場所に書かれていなかった。こうして段々と、ぼくたちは事件や事故を忘れていき、歴史は繰り返すのだろうか。なんて残酷なことを考えてしまう。ただ、技術は進歩するし、先人から学んだことは、ルール化していく。しかし、そのルールや、そこにあるマークを、わたしたちは段々見えないように、あたかもなかったようにしていく。ルールは運用されてはじめて、意味を成す。ぼくは、ルールを破ることもあるけれど、ルールがある意味を、誰よりも考えるように意識している。このルールがなぜあるのか、どういう経緯でできたのか。それを考えれば、自ずと『やってはいけないこと』と『やってはいけないこと』が理解できてくる。長くなったが、脱線事故も、今回知れてよかった。この事故を忘れないよう、安全な運転環境をぼくらの手でつくっていきたいと思う。天候不良で、交通機関が運休になっても、誰も責めない。少し電車が遅れても、イライラしない。音楽を聞く、読書する。『仕方ないねぇ、駅員さんも大変だし』で終わらせる。まず、ぼくらに出来ることは、そこからなきがする。

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