「考えない力」が欲しい。

家が決められない

社会人になって2年が経ち、ぼくも「大人」と呼ばれるようになった。そんな中で、考え込む機会が増えたように思える。色々と検討し、考えることは素晴らしい。だが、考えすぎは、決断力を鈍らせる。いま、決断疲れに陥っている。

いまは全国を旅しながら生活しているが、以前までは、定住しようと考えていた。なので、家を探していた。家探しとは、厄介だ。賃料はもちろん、検討すべき物件の条件(都市ガス、交通アクセス、広さ、綺麗さ、風呂トイレ別、キッチンは広いか)などが多すぎる。

また、近隣住民と仲良くできそうか?友達を家に呼べるか?彼女ができたら同棲できるか?スーパーの食材は安いのか、定員さんは優しいか?

ふだんは「どうでもいい」と思える点でも、なぜか、考えれば考えるほど「決断できない病」に陥ってしまう。重要ではないことを「重要だ」と錯覚してしまうことで、本当に注目すべき点に、目がいかない。

結局のところ、家探しに半年かかった。入居する数日前、働いていたベンチャー企業から「業務委託終了の通知」が届いた。そして「家いらねぇじゃん」となって、入居前に、家を解約した。

というのも、ベンチャー企業は、福岡にオフィスがあったため、福岡に住んでいる必要があった。しかし、ベンチャー企業を辞め、自由の身になり、福岡に居る必要性も感じなくなった。

「旅をしよう」

そのように決断し、速攻で「家を解約します」と不動産屋に伝えに行った。もちろん、初期費用は手放すことになったが。でも、結果的にそれでよかったと思っている。

そして「家探し」に悩む生活から、解放されたのである。しかし、どうだろう。次は「仕事探し」に悩む生活が始まってしまった。

ぼくは個人事業で仕事をしているため、何の仕事をしようが自由だ。あと、割と起用なので、色々なことをやってのける。新しいサービスをつくっても、割とうまくいく確率が高いかもしれない。

ぼくは「器用貧乏」である。

そんな選択肢が多い中で、何を仕事にしようか?という悩みがでてくるのである。Aという仕事も出来るし、Bという仕事も出来る。AとBを組み合わせて、Cという仕事もできる。

しかし、「A」「B」「C」のどれを仕事にしたいのか。よく分からない。全部できるけど、全部できない。そんな「矛盾」に満ちた世界に、いまの自分がいる。

たぶん、選択肢を消し去ることで、はじめて「決断」が生まれる気がする。ぼくが大学を辞めるときも、同じだった。大学を辞める前は「大学辞めたら、どうなるんだろう」ということについて考えていた。

しかし、大学を辞めてからは「これから、どうしていけばいいんだろう」と考えるようになった。決断を迷っているのではなく、決断しなければならないという状況に追い込まれて、はじめて「決断」ができる。ぼくは、そう感じる。

昔から「行動力あるね」と言われてきた要因は、きっと「ぼくが進んで決断してきた」のではなく「決断せざるを得ない状況に、自分を追い込んできた」からではないかと、今になって思うのだ。

なので、これから僕も、考えが止まらなくなったら「いまの環境を捨てること」を意識してやってみようと思う。君も一緒に、いまの環境を捨てよう!



▼ ぼくの著書「人生は壮大な茶番劇」






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