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僕たちのクソ・スタンド・バイ・ミー

 僕には忘れられない出来事があります。高校2年の夏に台湾南部にある高雄というところに行く機会がありました。というのも僕が通っていたクラスはいわゆる国際系クラスで、SGHからの援助によって海外研修がものすごい値段で行くことができたのです。ホームステイとはいえ一週間台湾にいて四万円を切るぐらいという法外な値段です。もらえるもんは病気以外もらっとく精神の僕からすればこれほどのチャンスはありません。研修には同学年の男子数名と女子十数名が参加してちっさい旅行みたいになってました。とはいえ研修ですのでそれなりに台湾の学生との交流や意見交換が求められました。そんな折、事件は起きたのです。

 交流した台湾の高校は台湾の南部ではトップの学力を誇る学校でした。入学する月が日本と違うらしく、交流した全員が年下だったんですが、僕らよりもはるかに能力が高い人たちでした。そしてとてもありがたいことに女子生徒がそこそこみんな可愛かったです。僕たちはそんな台湾の学生と英語でコミュニケーションをとりながら共同で社会問題のプレゼンをつくりました。年下にプレゼン作りをキャリーされる情けない立場の我々でしたが、それでも、台湾の学生(特に女子)は僕たちとの交流に積極的になってくれていました。それもあって日本人男子の間では台湾女子の話で死ぬほど盛り上がりました。「誰が一番かわいいか」はもちろん「〇〇ちゃんと喋れた」「〇〇ちゃん星野源知ってた」なんて話を毎日繰り返していました。そんな台湾の学生の中でも一際目を引いたのが「イヴァちゃん」という女の子です。小柄な茶髪のおかっぱ頭でとても幼い雰囲気の可愛らしい女の子でした。そこそこ可愛い台湾女子の中でも日本人男子からの人気はブチ抜き一番で、僕も一番好きでした。そんな可愛らしい見た目でかつ、いっぱい喋ってくれるので全員イヴァちゃんが好きになってました。
 研修が始まって数日、日本人男子はいつのまにかイヴァちゃんとどれだけ多く喋れるかを競うゲームをして、鎬を削っていました。そんな中、放課後に僕と同じ学年の日本人の男女とイヴァちゃんを含む台湾の女子5、6人で遊ぶことになりました。そしてデパートのフードコートみたいなところにみんなで座って台湾では定番らしい禁止ワード言ったらアウトのトークゲームをやりました。ひとしきり話してそれぞれの禁止ワードを言っちゃったやつが指さされて負けになるシステムでゲームが進んでいきました。そして、ゲームが苦手な僕が思いっきり禁止ワードを言ってしまい、凄い勢いでみんなから指をさされました。ここまではただゲームして楽しいだけでした。ここで大事件が起こります。みんなが僕に指をさしていましたが当然イヴァちゃんも僕に指をさしていました。その時ふと半袖から覗くイヴァちゃんの脇を見てしまったのです。そこで僕が見たのは、想像していたような幼さが残る女の子の脇ではなく、真っ黒な脇でした。男でも多いぐらいの毛量に包まれた脇が僕の目に飛び込んできたのです。しかもその禁止ワードゲームのゲーム性からその脇を見ることができるのは角度的に僕だけ。その一瞬で幼いイヴァちゃんからは想像もつかない脇毛が生えているという事実を自分一人で抱えることになりました。僕はすぐさま「それは見間違いだった」「影がめっちゃモジャっとしてた」と思うようにしました。が、そううまくもいきません。上に書いたのと全く同じ流れでもう一度指をさされ、しっかりとイヴァちゃんの脇の光景が脳裏に焼き付けられました。なんなら2回目はもう見に行っちゃってました。そこからの僕の研修は地獄そのものでした。美少女の脇毛という絶対自分一人で抱え込みたくない言葉を言うことができない禁止ワードゲームが始まったのです。であるにも関わらず依然としてイヴァちゃんと喋ったら勝ちゲームは並行して行われており、ぼくは研修どころじゃなくなりました。男子には話そうかと何度も悩みました。確かに、男子に話してしまえば全てのゲームが同時にゲームオーバーになり、僕は楽になります。しかし、僕にとって彼らは同じイヴァちゃんを追いかけていたかけがえのない友達です。イヴァちゃんと話している時のあの笑顔を思い出すと、とてもそんなことは言えませんでした。それを言ってしまったら彼らの追いかけてきたイヴァちゃんを殺してしまうも同然だということは明らかでした。なので一人で抱え込むしかなかったのです。見た次の日なんて一人でずっとイヴァちゃんの脇のことを考えていました。誰が悪いのだろうか、勝手に脇を見た自分?それともそんなになるまで放っておいたイヴァちゃん?勝手な幻想を抱いた男子全員?台湾のうだる夏の暑さ?考えても答えは出ませんでした。
 研修も終盤になり、僕はそれまで楽しく話していた台湾女子の話にそっけなくなり、日本人男子からスカしてるとそしりを受けつつも、さながら街の人からは馬鹿にされつつも人知れず世界を救っているやつみたいな気持ちをもつ余裕がうまれてきました。「そんなんいうけど、今楽しいの俺のおかげやで」と。そして研修最終日、台湾の学生とのお別れの時間がきました。そこで、学生同士インスタ交換が盛り上がっていました。僕も何人かとインスタを交換したのですが、色々あったのでイヴァちゃんはフォローできませんでした。友達はとても不思議がったり、スカしてる疑惑をかけてきたりしましたが、別段怪しまれることはありませんでした。そうしてみんなで日本に帰り、僕も脳にこびりついた脇毛の映像を持ち帰りました。帰国しても依然としてイヴァちゃんの話で盛り上がっていたのですが、脇毛の話は封印していました。そして、夏も終わり、いつしかイヴァちゃんのことも脇毛のことも忘れてしまっていました。
 この話、まだ終わりません。冬になり、毎年恒例の自分たちの学校に海外の学校の生徒を招待して社会問題についてディスカッションをするイベントが開催されることになりました。そのイベントに僕たちが行った台湾の学校も参加することになり、なんとイヴァちゃんも日本に来ることになりました。「イヴァちゃんが来る...」当然、同じクラスの男子は大歓喜。しかし、僕はすぐさまあの半袖から覗く深淵がフラッシュバックしました。そしてついに、今までは友達のために固く口を閉ざしていましたが、フラッシュバックによって僕のダムは決壊したのです。ただ、言いふらすのも格好が悪いので特に口が堅そうなやつにだけ脇の話をしました。それが僕の判断ミスでした。そいつはあろうことかしばらく悶絶したのちすぐさま全員に話したのです。悶絶する男子、人に話してスッキリした様子の口が堅くなかったやつ、後悔の念に苛まれる自分、しっちゃかめっちゃかでした。人は自分が憧れていた存在に脇毛が生えていたと知ったらどういう思考にいたるのか、それは「みんなでそいつの脇毛を見よう」です。もうそこにはあの頃の小さな恋心の種を持っていた男子の目は無く、ただ珍しいものに対する好奇心だけが残っていました。その昔、人間を見せ物にする人間動物園というものがあったそうですが、それとかもそういうマインドでできたのかなと思います。僕以外の目からは声も顔も気さくに話してくれることもなにも変わっていないはずなのに脇毛があるという情報だけで人はそんなに見る目を変えてしまうんですね。そこから「みんなで脇毛を見にいこうぜ」という僕たちのクソ・スタンド・バイ・ミーがはじまったのです。
 イベントがはじまってからはいかに脇を見てやるかと全員が躍起になっていました。冬に開催されたイベントであったため、それは困難を極めました。長袖であっては脇を見ることは叶いません。今から考えたら長袖の季節に脇毛が生えてたらなんなんだという話ですが、僕たちは意味もなく上からのアングルでイヴァちゃんと記念撮影をしたり、腕を伸ばしたピースを要求したりしました。しかし、ついに脇毛を見ることは叶いませんでした。そして、脇毛に関しては「トリッキーな嘘だ」、「虚言癖だ」、「おもしろいと思って言ってた」という自分にとっては不名誉な形で結論づけられました。僕たちのクソ・スタンド・バイ・ミーは日本の圧倒的な寒さに阻まれてしまったのでした。
 さてここまで高校2年の自分に起こった出来事を振り返ってみましたが、今、大学4年の自分がこの話に関して根本から覆すようなことを言いたいと思います。
 この話は美少女の脇毛を見てしまった自分が、他の男子には言ってはいけないと思い隠していたが、結局後日男子に言ってしまい、そこからは男子全員で好奇心から脇毛を見てやろうとなる、という話でした。ここからは過去の自分に訴えかけようと思います。

 『待て高2の俺。美少女の脇を見たらめちゃくちゃ毛が生えてた?それをみんなに言おうか迷って結局言っちゃった?何があかんねん。最高やないか。お前は謎のゲームでボロ負けしたおかげで普段通り接してたら見ることができんかったイヴァちゃんの隠したいであろう部分を奇跡的に見ることができたんやぞ。自分の未熟さでその神秘を己の脳内で破壊したことを恥じろ。お前がぶっ壊したそれはとんでもなく価値の高い物やぞ。おれは今お前が見て苦しんだ光景を価値あるものに変えるだけの力がある。社会はそれを「ムダ毛」と呼ぶが、無駄こそ至高だと知れ。その昔、建築家のミースファンデルローエは「神は細部に宿る」という名言を残したが、俺から言わせれば無駄なものにこそ神は宿る。覚えとけ。ただ、この話に関して一点だけ合ってたことがある。それは、「みんなに言わなかった」こと。もし、そんなものを見たらみんなに言うなんて愚の骨頂。一人だけで楽しめ。その光景を見たただ一人の人物なのだから独り占めしてなんぼじゃ。だから結局みんなに言ったのも大間違い。ボケ。あとインスタはそんなん抜きでフォローしたらええやろ。どういうつもりじゃ。お前のそういうスカしたところは大学4年になっても治ってないぞ。お前のくだらんスカしで俺だけ成長したイヴァちゃん見れてへんねん。許さん。死ね。』

 以上、現代の僕から高2の僕へのメッセージでした。昨今、ハリウッドなどでは脇毛を気にしないというスタイルの女優さんが増えているそうです。それを「脇毛解放運動」と言うそうです。「脇毛は剃って然るべき」という勝手な押し付けへのアンチテーゼですね。まさに高2の自分たちがしてしまっていたことのカウンターです。いかに自分たちが愚かで未熟だったかって話です。ちなみにハリウッドの「脇毛解放運動」に関してはガッツリ出しているので「本来隠れているものが見える」というこの話のミソがないので無関係ですね。ちなみに程度に書きました。高2の自分は社会的にも、この先成長する上で獲得した価値観からしても、自分の言動が大間違いだったってことを知ってくれたらそれでいいです。
 飛ばしすぎました。今後はこんなに書くことは無いと思います。脇毛で4,000字書くなんて我ながら正気の沙汰じゃないと思います。そもそもこんなに長い文章を書くこと自体高校生以来なんじゃないかなと思います。こんな感情にのまれまくった駄文にここまでお付き合いいただきありがとうございました。どれほどの人間がこの話に興味を持ってくれるのか単純に疑問です。ちなみに、大学に入ってからも何度も女子の脇毛を目撃しました。どうやら僕は、イヴァちゃんのそれを目撃して以降、脇が目につきやすい人になってしまっているみたいです。高2の俺、いろいろ言ったけど今の俺は幸せに暮らしています。
 てなわけで今回はここで筆を置かせていただきます。タイトルにも使わせていただいた「スタンド・バイ・ミー」ですが、僕は見たことがありません。ごめんなさい。線路沿いにみんなで死体を探しに行く話という知識のみでタイトルに起用させていただきました。「名作映画をこんな脇毛の話と絡めるな」「脇毛見に行くってなんだ!人に付随するものを見に行くとは言わないだろ」と聞こえてきます。原作ファンの方はどうか怒らないでください。今からスタンド・バイ・ミーを見てきます。ノスタルジックで自然体な若いエネルギーをテーマとした映画で、今となっては大切な思い出と化したあの日見た脇毛ぐらい魅力的なんでしょうね。

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