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境部臣摩理勢の破滅(三)

「他になにか書き添えるべきことがありましょうか」
と言って山背やましろノ大兄おおえは、蝦夷えみしに問う信書の文案を摩理勢まりせに示しました。こういったものは、普段なら摩理勢などが代筆をするのでしたが、今度ばかりは事が事なので、大兄がみずから筆をとっているのです。

摩理勢は、王位継承の問題と絡めて、蝦夷をやりこめて、この三年来の恨みに対する償いを取ってやれないかと考えました。

蘇我そが一族としては、縁の深い山背大兄を擁立するのが当然なのです。もし蝦夷がそれに反して田村たむらノ王子みこを支持するようなら、摩理勢はうじの利益に背くものとして追求するつもりです。そのための能力も味方もあると思っています。

あるいは、蝦夷があとになってから大兄を擁立しようと言っても、はじめからそう明言している摩理勢の立場が良くなるでしょう。

山背大兄は、蝦夷が言う所の天王てんのうの御遺言なるものが、この耳で聞いたものと少し違っているようだということを手紙に書くこととして、文案を摩理勢に示して助言を求めたのです。摩理勢は、蝦夷も山背大兄が玉座に相応しいと思っているはずだということを書き添えるように唆使さししました。

夜が明けると、大兄はその封書を和慈古わじこに持たせて、
「必ず大臣おおおみの返事を聞かせられたく思います」
と言って、泊めさせておいた阿倍あへノおみらとともに、蝦夷の豊浦とゆらの屋敷へ行かせました。

ひるを過ぎて、蝦夷の使いとしての大伴おおともノむらじきノおみをともない、和慈古が帰ってきました。和慈古はまた蝦夷の手紙をとりついで、大兄の手もとに届けます。その手紙にはこんなことが書いてあるのです。
「申し上げるべきことは先日に言いおわりました。さらに別のことはございません。さればわたくしがどうしていずれの王子みこかを重んじて、またいずれの王子かを軽んじるということがありましょうか」
云々と。

これでは何の返辞にもなっていない、煮え切らない甥だ、と摩理勢は思いました。足を揚げてくれなければ、転ばせるのに手間がかかります。よろしい、ならばこの叔父さんがちょいと脅かしてやりましょう、と。
「王位をゆずられぬまま他界された御父君の悔しさを、ゆめゆめお忘れめされませぬように」
まだ何も決まってはいないのですから、と大兄には言い残して、摩理勢は馬を走らせて、蘇我の里の自分の屋敷に帰って、愛用の弓と矢を棚からおろし、また倉庫を開いて八十を数えるほどの矛と盾を出し、庭に立て並べさせました。そして、
「蘇我として山背大兄王子を擁立せんことを示すため、弓矢を帯びて斑鳩宮いかるがノみやに馳せ参じられますように」
云々と、手紙を和慈古や雄当おまさなど一族の有力者に宛てて、使いを走らせました。

数日が経って山背大兄は、摩理勢がものものしく武装を用意していると聞き及び、自分のしたことが原因で、仏の教えに背くようなことが起きるのではないかと、いたく不安に駆られました。そこで、
「さきに取らせました手紙はわたくしが聞いたことを述べましただけなのです。なにも叔父さんを疑っているのではありません」
などと書いて和慈古に持たせ、蝦夷に届けさせました。

あくる朝、阿倍臣や中臣なかとみノむらじが蝦夷の返書を持ってきました。それには、
「わたくしの力が足りないために、ことを速やかに定められず、御心配をおかけしております。されどこれは重いことなので、わたくしの意見を人伝にお聞かせするようではいけませんから、お目通りをたまわる機会に申し上げたく存じます。ただ一つ、天王の御遺言を誤ってはおりません」
云々と記されてあります。

この時に、摩理勢も大兄の顔色をうかがいに、斑鳩宮に来ていました。阿倍臣はその姿を見止めて、摩理勢にも大臣からの手紙を預かっていると言いました。摩理勢がそれを受け取って開くと、
「叔父さんはいったいいずれの王子が王位にふさわしいと考えていらっしゃるのですか」
とだけ書かれてあります。それは前にも聞かれたことです。同じことを二度も問うとは、人を愚弄しているのか、それとも馬鹿なのでしょうか。摩理勢は、
「なんで今また、それも人伝になどして、答えることがありましょうか」
と言って、腹を立てたようにみせて外へ出ました。

摩理勢は、馬をどすどすを歩かせて、亡き父馬子の墓のところへ向かいました。馬子の墓は、ここ数年の冷害やひでりのために造ることを控えていて、この冬から作業を再開することになっていました。そのために、蘇我一族の有力者は、各々の領民をここに駆り出して、それぞれに小屋を掘り立てて宿らせています。

摩理勢は、
「天王でさえ民どもの苦しみを憂えて、今は墓を作らぬようにとお言葉したもうたのに、臣にしてこれを造るというのは蝦夷の過ちです」
と断じて、自分の出した領民に命じて、その宿れるところの小屋を壊して鍬を棄てさせ、蘇我の里の屋敷へ連れて去りました。工夫こうふとして集められた人々でも、矛を持たせれば兵士になるのです。

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