見出し画像

土器の破片鑑定と明日香村の雷丘(イカズチの丘)【0126】

こんにちは。文来(ブンク)です。

1月26日。今日は去年纏向遺跡から100mぐらい離れた所の神社内の盛り上がった所で、表面に出ていた土器の破片鑑定に桜井文化財センターに行きました。

7点の内3点は新しいものだが、その神社は古墳時代の遺跡でもあるとの事でした。

画像2

「具体的にはわからないが、何かでそこに土が盛られたも知れない。
だから色々の土器が混じっているのかも、と言って、文化財を持ち出すのはいけない」と叱られました。

そして「崇神以来の王朝は、主に纏向にあったと私は思っている」との事でした。

画像2

その他、稲の事でも話しました。

「稲は大阪から大和に入ったルートは考古学的に証明されてる」「古墳時代に大和に湖などない、みな水田だった」との事でした。職員なれど今でも稲を作っているとの事、エライです。


その後飛鳥資料館に行きました。

画像3

画像4

去年の飛鳥塾での、飛鳥寺の考古学の講座とか昨日の富本銭の講座とか、
同じ物見ても知識が深まっているせいか、感慨が違います。

画像5

やはり講座とか知識を深める事は、必要ですね。


その後、かつてより気になっていた、明日香村の雷丘(イカズチの丘)に行きました。

画像6

登れるようなので登ってみました。

画像9

結構高く見張らせます。

画像7

登って見ると上はひょうたんを、ひっくり返した様な形でした。

画像8

下に降りて、周りを回って見ました。すぐそばの周りは行き止まりでした。
でも、外にある風呂場が、薪と石油で炊いた居るのが見え、懐かしい感じです。

少し離れた所の畔道から一周しました。道の先には同じような丘がまだありました。

画像10

行くだけ行って見ました。なんの看板もなく、ただの岡らしいデス。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?