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「線を引く時の気分。この絵は言うなればうちの犬がオシッコを自由にどこでも撒き散らすような感じ」FDL Tips 12−5−1

今回の作品FDLはちびっこのうちの犬がどこでも好きなようにオシッコを自由に撒き散らすような気分で描きます。
如何に好きなように描くかが今回の作品のポイントです。

好きなように絵を描くとは難しいものです。
意外にそのままではつまらないもの。
目的が明確でなければすぐに嫌いになります。
オシッコを撒き散らす犬の行為には明確に目的があると思います。

私の目的は皆が好きなように、犬がオシッコを撒き散らすくらいに自由奔放な気分で絵を描けるようにすることです。
そのためには、皆さんにとって明確で意味のある目的が手に取る用に見えてなければなりません。

ただ単に皆さんに好きに描いてみて?とキャンバスを差し出しても
「はぁっ?」
って感じですよね。

好きにするといっても色々と手続きが必要です。
オシッコを撒き散らすといってもただの自己満足で描くつもりはありません。

絵を描くには、まず絵を描く場を設けなければなりません。
一枚のキャンバスを用意し、その中でどこに手を入れるか、どのような感覚か、どんな考え方で、どのように場所を決めていくかを決めなければなりません。
決め事は闇雲に決める訳にはいきません。
好きなように構図を決める。構図の詳しい話は別のTipsで・・。
今回はこれでもの話。

好きなようにと言うからには好きな瞬間に描かなければなりません。
気が向かない時には描いてはなりません。

そもそも好きになっていなければ好きになることから始めなければなりません。

好きなように好きなを設け、好きな瞬間に描けるかというと意外に難しいものです。

好きな場と瞬間自体問題です。

好きとは何か

この話は皆さんが仕事を楽しくやっているか?ということに絡めるつもりです。
好きに絵を描けるようにすることは、好きに仕事ができるようにするということでもあるのです。

またの機会に詳しくお話しますが、複雑な意識の中から好きの瞬間を上手く引っ張り出すプロセスが大切です。それがなければ好きに描くこと、好きに仕事をすることはできません。さあそれがまた大変な作業です。
私は今好きな時に絵を描いています。つまり好きな時に仕事をしている。
もちろんそこそこ稼げなければなりません。

最終的に皆さんに好きな時に好きなように描けるようになって頂けるかが最も大きな問題です。

人は突然好きなようにやれと言われてもできません。
やれと言われてできるようにするためには、好きなように描こうとする瞬間に邪魔してくる魔を一つ一つ丁寧に見極めなければなりません。そして捕まえて、晒して、二度と出てこれないようにします。その捕まえた魔はきっと他の人にも共通、共有しています。晒すと他の人の助けになります。
さて、でも、それがなかなかできないので今回のようなお話が必要なのです。

全ての魔を取り除く。
そうすることで好きなように描けるようにします。
そしてゆくゆくは皆が好きに絵が描けるようにする。
仕事ができるようにする。

魔は共有されています。
基本的に日本人は皆絵を描いたり鑑賞したりあまりしません。
家に絵画がないご家庭が殆どです。
それだけあまり楽しんでいないというか、硬い気分で毎日を過ごしていると思います。

私にもあなたにも毎日を硬くしてしまう共通の魔があり、同じ空気を共有しています。同様の情報を得たり、教育を受けているから当然です。

私が最も問題視する魔は美術やアートが自分で作り上げているものです。
特別な才能という幻想だったり。
ほとんどの技法は簡単なのに伏せていること。
人の意見をなぞるように教わっていること。
変わった意見を言えなかったり。
出る杭は打たれる。
従わなければ生活できない。
などのことです。

くだらない魔を取り除いて皆が絵を描ける社会を目指します。

師匠
今回の絵の師匠をご紹介します。師匠は我が家の犬ひなた7歳なったばっかりです。
今回の絵は家の長男ちびっこのひなたに習って描きます。
ちなみに私は彼の保護者であり、親であり、パトロンです。
彼は絶対に我々の言うことを聞きません。
言うことは聞きませんが嫌われること無くとても愛されて生きています。
さて、ここが一つ鍵です。
嫌われることなく愛されている
こいつはかなりモテますしイケメンです。

大事なポイントは2点です。
1.絶対に人の言うことを聞かないこと。
2.言うことを聞かなくても嫌われないむしろ好かれていること。

彼が今の日本の社会に立証していることは言うことを聞かなくても嫌われないということ。言うことを聞くか聞かないかは好かれるか嫌われるかの問題とは関係ありません。
日本の論理は言うことを聞いていれば得のような気になるように働いています。でも実際はそんなことはありません。

今回の作品で考えたいのは皆の「幸せ」についてです。
絵を描く時に楽しめるようにすることは仕事を楽しくしたり、日常を楽しいものに変えられます。

兎に角日本人は硬い。

私の家の子はミニチュアダックスです。
長女おとめが少し前に亡くなり、今は長男ひなたがいます。
ちなみに長女と長男は会ったことはありません。
長女はよくできた子でした。
この子達はまったく対照的で長男は完全にだめな子です。
長女は学業優秀。日本語は大方わかっているのではないか?と思える程です。
悪いことをして優しく指摘するともう2度とやりません。勿論トイレも失敗しません。
逆に長男は未だかつて言うことを聞いたことはありません。日本語はまったくわかっていないようです。私に近いです。
でも、長女は弱虫です。家族以外の人が少しでも見えると吠え立てます。外出が大変でした。
一方で長男はとても落ち着いた強い子です。殆ど吠えません。はじめて吠えたのは3歳になってから。私がハロウィンの被り物をして家に帰ったら不審者と思って力強く3回吠えました。それが彼が生まれて始めて吠えた時です。今は宅急便の人が来た時だけ吠えます。散歩の時には吠えたことはありません。その代わりといってはなんですが、言うことは全く聞きません。トイレは気が向いた時だけトイレにして普段は自由にその辺りにします。散歩は行きたくない方向だと伏せってしまいます。ああもういつでも好きなように歩かせています。でも長男はいつも幸せそうな顔をしています。誰に対しても優しいです。長女は家族には優しいですが他の人には一切なつきません。頭が良い分神経質でした。
Tips-12-4でもお話しましたが長女は家のトイレ以外ではトイレをしませんでした。旅行に行った時我慢の限界がきてやっと3日目にしてくれた。一方で長男は好きな時に好きな場所で撒き散らしています。
兎に角長男は幸せそうです。

私はこの子たちは今の日本の学校教育によって育てられた子供と重ねてみています。
大人の振る舞いができていて自由にのびのびできない子
そして、自由にのびのびできていて大人の振る舞いができていない子

人間はやがて皆大人の振る舞いを身に着けます。
そして知らない内に自由にのびのびできなくなる。
これまでの日本はそれが常識でした。
これまではそれで良かった。自己犠牲が美徳になりました。
でも、これからの日本は違います。
この20年(2020年現在)で日本の一人負け状態はとても深刻な状況です。
この事実を認識している日本人は少ない。

一歩引いてなんでも黙って言われたことを聞く人間ではなく、自分でも物事を考えて一歩前に出られる人。
これから日本が挽回していくにはぐいぐい前に出ていける気分を皆が持つことが大切です。

絵の世界はというと今の日本の画家は基本的に大人の振る舞いができている人しか残っていません。私以外は。
なので日本の画家はこれまでの人の考えや感覚をなぞって制作している人達です。出る杭は打たれる。美術館も大学も画廊も市場も杭を全面に出し脅迫しながら発表するか否かを問うてきます。
私はこれが根本的に間違っていると思えてなりません。
まあ、これらは迂回してなんぼの時代がまもなく来るでしょう。

大人の振る舞いを超えて全員が自由にのびのび出来るようにしなければなりません。
画家だけでなく、日本中の、世界中の皆が絵を楽に描けるようにする。

ひなたがオシッコを自由にどこでも撒き散らすような気分で絵を描く。

その時間と空間を設け創造力を掻き立てること。
嫌われることを恐れず一歩前に出て仕事をすること。
新しい時間と空間を作り上げるのです。
それを私は新絵画と称します。

絵を描こうとすると最初の1手に全てが良く現れます。
手がこわばるのです。
Tips12-5のシリーズで、これから1つづつ詳しくお話させて下さい。
続く・・。

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