Fingertip spectacle!~公募団体に油絵を出品する。例えば東京芸大の学生が日展に出品する。

世界的にはアート=美術。世界的なアートの解釈は=技術と読み解くことが自然です。

その技術とは例えば写真の印画紙が発明されるまでに発展していた古典的な絵画です。終盤はレンズに光を当てて透過した影を紙などに写し取ったり、写し取った形に耐久性の高い絵の具で着色して大切な視覚的情報を伝えたり残したりしていました。その後印画紙の発明により、影を紙に写し取る技術は必要なくなりました。アートの世界で絵画は誰にでも簡単に描けるこの技術を捨てて新しい試みを始めます。実験的な絵画の始まりです。又一方で技術は写真から動画に進歩します。映画が生まれ、テレビが生まれ、ビデオで録画ができるようになり、今では携帯でいつでも動画が撮れます。アニメも制作することもできます。このような最先端の技術を前に便利な技術として油絵の選択はないというのも頷けます。

撮影技術の進化の一方で絵画は実験を続けます。
印画紙の発明と同じ頃絵の具のチューブが開発されます。絵の具のチューブによって絵の具の長期保存が可能になり、量産でき、安価になりました。又、屋外でも制作が可能になりました。
その後の展開をざっくりと一行で言えば印画紙ができてからは誰でも描ける写実以外の新しい「絵」を創造する時代に入ります。
そして月日が流れ私が東京芸大を目指して美術予備校に入る頃はすでに新しい絵は出し尽くされたと言われていました。

新しい絵が出し尽くされたことは良いとして、当時、芸大の先生たちが心配した学生たちへの弊害は形骸化した道に足を踏み入れ無用に搾取され可能性を潰されてしまうことです。
そこで注意を促されたのは完全に形骸化してしまった公募団体への出品でした。
私が東京芸大に入った当時、アートの外の社会では今でもそうですが、一般的には画家になるなら日展を目指さなければならないという常識がありました。巷で絵を描いているとおばさんにいうと日展を目指しなさいと怒鳴られる始末。今でもそのように熱心に日展に至高のイメージを持たれている方はおられます。でも実際は当時すでに東京藝術大学絵画科油画専攻の学生の中で公募に出品する人は誰一人としていませんでした。
公募団体ではなく画廊で発表すると言い始めたのは中原佑介です。そのお達しの通り、芸大生の中では公募団体に出品する人は誰もいませんでした。

そして着々と油絵を制作して発表する場は無くなっていくのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?