「ありがとう」25,000回ゲームをやってみた話
最近、わたしがハマっているひすいこたろう氏。2ヶ月前くらいに彼の声と口調を耳にしてから、すっかりハマってます。
ひすいこたろう氏は、幸せの翻訳家、天才コピーライターを銘打ち、夢を叶える方法や幸せになる方法を伝える作家さんです。そして、話がユーモアたっぷりで、しつこいくらいに同じ話をする話調も、私には面白く口元を緩ませてくれます
YoutubeやiTunesでお話を拝聴したり、書籍を読んだりしていたら、とても面白そうなゲームに出会いました。それが「ありがとう」25,000回ゲーム。
元々彼が師とする小林正観氏が伝えているものですが、心を込めなくていいから「ありがとう」という言葉を25,000回言うと心からの感謝が溢れてきて、涙でタオルが濡れるほどになり、そしてそして、だいたい半年以内に心からの感謝の思いが溢れてくる現象がやってくるそうです。
私は、ここ1-2年"感謝"という言葉にとても心惹かれていました。そして私の人生のテーマとしても設定しています。ただ、「感謝」することは頭でわかっていても、心からそう思えているかというといつも疑念が湧いてくる感じがしていました。
そして、この夏なぜか「感謝」という言葉を見聞きすることが多くなっていたのです。
そして出会った「ありがとう」25,000回ゲーム。
「これはもうお告げだ!やるしかないでしょ!」と直感と共に、涙がタオルが濡れるほどの感謝を味わってみたい、そして心からの感謝の思いが溢れてくる現象を楽しみに、煩悩と若干の邪念を抱きながらチャレンジすることにしました。(ちなみに小林正観氏の著書には邪念があっても良しと書いてありましたw)
ただ、このゲームには、一つルールがあって「ありがとう」を25,000回言っている間、不平 / 不満 / 愚痴 / 泣き言を1回も言ってはいけないこと。もし、不平 / 不満 / 愚痴 / 泣き言を1回でも言ってしまったら・・・、
「チーン・・・」
となって、「ありがとう」の回数はリセット=また0からやり直さなければならないというのです。ちなみに心の中で不平 / 不満 / 愚痴 / 泣き言 が浮かんでくるのはセーフだそうです。
まあ私、不平 / 不満 / 愚痴 / 泣き言は、言わない方なので簡単簡単。
25,000回唱えながら数えるのは現実的ではないので、1分間で何回言えるか計測。大体1分間に80回くらい口元が疲れてきたり、息が続かなくなってきたりして大体1分間に70回程度だったので、ズルをしないためにも1分間で70回としてカウントすることにしました。なので、「ありがとう」を25,000回言うのに360分=6時間で達成できる計算。
そして、9月15日。幸にしてオフにしていた金曜日。「1日で達成できちゃう」と安易で楽天的な気持ちで、ブツブツと「ありがとう」を唱え始めました。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、・・・、・・・」
全然気持ちを込めず、ただひたすら唱える「ありがとう」。
初回は40分言い続け、計2,800回。「本当にすぐ達成できちゃうわ!」と楽しみが増すばかり。少し休憩をとって、また2回目をスタート。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、・・・、・・・」
少しずつ、ありがとうに関連する過去体験や存在が呼び起こされてくる。
「これか〜」なんて思っていた矢先、猫が私の手をガブッ!
私:「痛い、バカたれ!・・・っあ!」
チーン・・・、が響きました。
チーン!が響いたにも関わらず、「でもこれは不平 / 不満 / 愚痴 / 泣き言に入るのか?噛まれて痛くて自然な反応だったんじゃ?」なんて考えが駆け巡りましたが、私には確かに「チーン・・・」と言う音が響いたことを受け入れ。泣く泣くリセットすることにしました。
そして再チャレンジです。今度は猫に噛まれぬように環境を整えてスタート。そして順調に夜を迎え、歯ブラシしようと思った時。
私:「あっ、歯ブラシ変えよ」
妻:「買っといたいい歯ブラシあるよ」
私:「じゃ、それちょうだい、ありがとう」
妻:「はい、これ」
私:「なにこれ、ちっちゃ!!」
またね、チーン・・・が響いてしまいました。これは完全に不平不満だと悟りました。こんな日常に落とし穴があるのか〜、と思うと同時に、私は不平不満を口にしていることに気づかず、言っていることがあることに気づいかされるのです。
もう夜の出来事。1日で達成できると思っていた、「ありがとう」25,000回ゲームは振り出しに戻り、初日を終えるのでした。
翌日からもチャレンジを続けても何度か振り出しに戻される。
今年は猛暑も続いて湿気も多く、お風呂上がりに「あっちいな〜」と口にしたり。一時停止違反を影で見張っている警察を見て「影で違反者見つけるくらいなら、表に出て見張ってなよ。その方がよっぽど安全だ!」と口にしたり、洗濯物をお願いされても、「俺今日は疲れてるから自分でやって」と口にしたり、何度も チーン・・・の 音が響きました。
1日で終えると思っていたこのゲームは何度もリセットにあい、それでも5,000回、10,000回、15,000回とどんどん記録を更新していきました。意識的に言葉に気をつけるようになってきたのと同時に、これまで当たり前にある日常や存在に「ありがとう」の感情がのってくるのを感じてきました。
馬鹿らしいかもしれませんが、
・今日も健康で安全に過ごせたこと
・今日も美味しい食事をいただけていること
・妻や猫、親兄弟や友人がいること
・蛇口をひねれば水が出ること
・5体満足に体を動かせること
・生活を支えてくれている食器や道具、家があること
・電気があること
・雨が食物を育ててくれていること
などなど
当たり前にある日常の物事に少しずつ感謝の念が湧いてくるのでした。
そして、10月8日、日曜日の朝5:00。これ迄の最高記録23,780回で迎えた朝。
「今日は日曜日。時間もある。そして残り1,000回と少し!」ということで、まだ静まる早朝にひとりいつものようにブツブツ「ありがとう」を唱え続け、ようやく25,000回を達成しました!
そしてタオルが濡れるほどの涙は・・・。
特に出ませんでした汗。
でもね。24日間続けてきて、何度もリセットされても言い続けてると、なんか込み上げてくる情動があって、鼻の奥がツンツンと反応して、目はウルウルしてくることは体験できました。うまく言い表せないけど、何かを対象に感謝するというよりは、私を取り巻くもの全てに「ありがたい」という感覚になる感じ。
そして、不平 / 不満 / 愚痴 / 泣き言を言わずに、「ありがとう」を続けてたら、なんか予期してなかった意識・行動にまで色々変化がありました。
毎日トイレやキッチン掃除をするようになったり、出先でまでトイレ掃除しちゃったり、夫婦でこれまでより「ありがとう」を言うことが増えたり、体を労る時間が増えたり、道を掃除しているおじちゃんに「ありがとうございます」って言えたり、今とっても恵まれていることに気づけたり、言葉の受け取り方・解釈が変わってきたりとこれまでとは異なる意識が働いているようです。
ちょっと気がふれたんじゃないか、という左脳的な考えが我ながら働きますが、望んでた感謝の情動ってこういうものだったという妙な納得感を得ています。
こうして、直感と興味、煩悩と邪心で始めた「ありがとう」25,000回ゲームはクリア!これから半年以内に心からの感謝の思いが溢れてくる現象がやってくる!のかはわかりませんが、私はこの「ありがとう」を唱えるゲームが気に入ったので、今後も続けていこうと思います。
なぜなら、言葉は先に、後から勝手に思考がその出来事を探す、ということを身をもって体験できたから。これはコーチとしても良き学びと確信になりました。
そして、無理せずとも、不平 / 不満 / 愚痴 / 泣き言 を言わない状態が続くってめちゃくちゃハッピーってことですよね。
引き続き、50,000回を目指します!
ここまで読んでくださった方、興味湧いたら是非やってみてください。
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