「迷走王ボーダー」以前と以後、境界線上に挟み込まれた栞
狩撫麻礼先生が逝去されたという一報をTwitterで目にし、驚きとともに「氏が一番文句を言いそうなシチュエーションで知ってしまったな」と、ちょっぴり苦笑いしてしまいました。
虚を突かれたと言いますか、体調が悪いとは聞いていたのですが、狩撫麻礼以降、次々と筆名を変え、(しかし狩撫節でバレてしまうという魅力は今はさておき)ほとんど謎に満ちた素性からなのか、未だ実感がわきません。この非現実感は、まるでデヴィッド・ボウイが亡くなった時のようです。来週にでも既視感のある筆名のもとに、いかにも狩撫節が効いた連載がどこぞの雑誌で始まったら、私はどちらかと言えばニュースの方を疑ってしまうかもしれない。
とにかく、狩撫麻礼作品にはじめて出会ったときの衝撃は凄まじかったとしか言いようがありません。十数年前にはじめて「迷走王ボーダー」を読み、すっかり蜂須賀、久保田、木村、たまに神野さんに移入してしまった私と友人たちは「就職なんてしてる暇はねぇ。俺達は境界線上を生きなければ」と毎日原価で買った酒を酌み交わしながら本気で話し合い、「ボーダー的に生きるにはどうするか」と考えていたのです。
ボーダー的ライフのひとつの答えは、作中にも出てくる「旅」で、ある友人は「最強の山岳民族に会いに行く」と言い残しネパールの山奥へ分け入り、またある友人は「伝説の魚が居るらしい。そいつを捕まえる」と南米に旅立ちました。世界中に散らばった友人たちは、当時できたてのSNSに時折足跡を残しつつ、それぞれの旅をしていました。
海外のみならず、日本でも沖縄にあるというリアル便所部屋に泊まりにいった奴もいれば、教会の屋根裏に住み着いた奴もいました。一方、私は、チャールズ・ブコウスキーとトム・ウェイツをお守り代わりにしていたということもあり、都会でボーダー的生活を営むことにしました。と、カッコつけて書きましたが、ボーントゥー出不精であり、単純に外の文化圏に出るのが面倒くさかった&ビビっていたのが、大きな理由です。
営むっても、毎晩夜の街を漂流して酒を飲むくらいしかなかったのですが、とにかく、20代の頃は、ものすごく酒を飲んだ。酒しか飲んでいないのに、俺はあちら側の人間じゃない、何者かになれると、本気で信じていました。数年後、何者にもなれず、溜まったツケを払い続けることになるとも知らずに。
とは言え、本当の「大人」なんて存在しないこと、テーブルの上はその人の痕跡であるということ、楽しそうに笑い、哀しそうに泣く女の人は遅かれ早かれ街から消えるということ、人は横並びで話すと本音が言えること、手があまりに綺麗な人は簡単に信用してはいけないということ。連日連夜の飲酒から、夜の街の知恵をたくさん学びました。失ったモノの方が多いけどな。
世界中に散らばった友だちや、酒しか飲んでいなかった私は、今ではそれなりに仕事をしていたり、旅の途中だったりと様々だけれども、若くて馬鹿だったあの頃から変わりゃあいいのに変わらずに、未だ境界線上を歩き続けています。「迷走王ボーダー」以前と以後で、私を含めた友人たちの人生はまったくと言っていい程変わってしまいました。そして記憶のゼロ地点には、「ア・ホーマンス」じゃありませんが、少しだけ古ぼけた栞が挟まり、すぐにページをめくれるようになっています。
以前、たなか亜希夫先生と飲んだとき、「先生、俺とか友達とか、みーんなボーダー読んで就職せずに、今の今まで来ちゃってるんですよね」と、「どうしてくれるんすか半分くらいは田中先生のせいっすよ」くらいのニュアンスを含めて言ったところ、「それ、何十年も前から色んなやつに何回も言われてるわ」と、呆れ顔で言われたことがあります。
「お前みたいな奴等はいっぱいいる」
狩撫先生も、おそらく同じことを言うでしょう。狩撫先生、こんなこと言われたら呆れるだろうし、蜂須賀先輩だったら絶対に怒るだろうけど、かつてあなたが引いた境界線上を目指して歩く男たちを、私は自身を含め、たくさん知っています。
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